北朝鮮「ウラン濃縮」をめぐり揺れ動いた米情報を検証せよ
2007年4月号
「三年前の話をなぜまた?」「北朝鮮はウラン濃縮を進めている」との情報を米政府から伝えられ、日本の外務省高官は耳を疑った。小泉純一郎首相訪朝前の、二〇〇二年八月下旬から九月中旬のことだ。「三年前」の一九九九年、北朝鮮はウラン濃縮用の遠心分離機に必要な周波数変換器を日本から輸入しようとして、米情報当局が察知、売却を阻止した。同じ年、北朝鮮が平安北道・金倉里に大規模地下核施設を建設したとの疑惑が浮上、米側が立ち入り査察して何もないことを確認したはずだった。 〇二年九月十七日、小泉訪朝で発表された日朝平壌宣言。日本側は米側の指摘を受けて、宣言文の中に、核・ミサイルに関して「関係諸国間の対話を促進し」という文言を急遽挿入した。ウラン濃縮問題に関する「米朝間の対話」の開始を見越して、日本外交の技を見せた形だった。 二日後、小泉首相はブッシュ大統領に電話して、訪朝結果を報告。ウラン濃縮問題では「米国も高官を北朝鮮に派遣すれば?」と提案した。そんな経緯で、当時のケリー国務次官補が十月三日から三日間訪朝した。 これ以後、北朝鮮のウラン濃縮問題が起点になって第二次核危機に発展した。 〇二年十月十六日、国務省は突然、「北朝鮮側が(濃縮ウラン計画を)認めた」との声明を発表した。ケリー次官補と会った姜錫柱第一外務次官の発言を「国務省の韓国語専門家が何度もチェックしてそう判断した」と国務省高官は私に言った。
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