あの奇妙な事件は、今年四月から五月にかけて、旧ソ連構成国だったバルト三国の一つ、エストニアとロシアの関係が急速に悪化した時に起きた。 エストニアが首都タリンの中心部に置かれていたソ連兵士の記念碑を撤去し、郊外の墓地に移転したことから、騒ぎは広がった。エストニアは今や北大西洋条約機構(NATO)、欧州連合(EU)の一員だが、バルト三国にはソ連に併合された屈辱の歴史がある。ソ連兵士記念碑は、ソ連による「不法占領」の象徴とみなされてきたのだ。 ロシア側はこれを許し難い暴挙と考えた。プーチン露大統領を熱烈に支持する青年組織「ナーシ(友軍)」数百人がモスクワのエストニア大使館に押しかけ抗議した。現代版の「ヒトラー・ユーゲント(青少年団)」だ。 その時期に、エストニアに対する激しいサイバー攻撃が二週間以上にわたって繰り返された。ターゲットにされたのは、エストニア外務省や国防省などの政府機関、民間銀行や主要新聞社など。大量のスパム攻撃を受け、サーバーは処理能力を超え、クラッシュしたという。ホームページに、エストニアを非難するロシア語のプロパガンダが書き込まれる被害もあった。「これほどの規模のサイバー攻撃は過去に例がない」と英エコノミスト誌は伝えた。

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