日清戦争と金本位確立の離れ業に成功した明治政府

執筆者:野口悠紀雄2017年11月23日
国立銀行が発行した、日本初の紙幣 (C)時事

 

 前回見たように、明治の通貨制度も、財政状況も、確固としたものではなかった。

 大量の金が国外へ流出していたため、名目的には金本位を採用したものの、実際には銀本位であった。また、政府紙幣の信用は著しく低下していた。

 そして戊辰戦争(1868~1869年)や西南戦争(1877年)の出費を賄うために、太政官札や国立銀行の不換紙幣が大量に発行され、それがインフレを引き起こした。これらの戦争の出費は、インフレという形の税によって、国民に押し付けられたのである。

 こうした状況を大きく変えたのが、日清戦争( 1894~1895 年:明治27~28年)の勝利だった。日本は3500万英ポンドの金を賠償金として獲得した。これは、当時の日本の国家予算(約8000万円)のほぼ3年分という巨額のものだ。

 これを元として、明治政府は念願の金本位を確立した。そして、世界の先進国のグループ入りを果たしたのである。

 1897(明治30)年に、明治政府は、金のみを本位貨幣とする貨幣法を公布し、1円を金0.75gと定めた。

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