官房長官時代の仙谷氏。2010年を「拓」(ひらく)という漢字1字で表した(C)時事

 

 10月11日、仙谷由人・元官房長官が亡くなった。あまり知られていないが、仙谷氏はわが国の医療にとってかけがえのない政治家だった。もし、彼がいなければ、日本の医療、特に産科医療は崩壊していたと言っても過言ではない。今回は、仙谷氏の医療にまつわるエピソードをご紹介したい。

 筆者が仙谷氏と知りあったのは、国立がんセンター(現国立がん研究センター)中央病院在籍中の2005年のことだった。当時、仙谷氏は翌2006年に成立することになる議員立法の「がん対策基本法」に取り組んでいた。胃がんを患い手術を受けた経験からも、がん医療を良くしたいという熱意を感じた。私もお手伝いしたが、「胆力があり、相手の懐に飛び込むのが上手い」という印象を抱いた。民主党政権下で、彼が官僚の心を掴んだのも当然かもしれない。

 2005年10月、筆者は国立がんセンターを辞職し、東京大学医科学研究所に異動した。

産科医が逮捕された「大野病院事件」

 それから間もない2006年2月18日、福島県立大野病院の産科医が逮捕されるという事件が起こった。その時の仙谷氏の対応に筆者は多くを学んだ。

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