津波で被災した後、家々が消えた石巻市三ツ股地区=2012年3月26日(筆者撮影)

 

「お母さんが、すぐにも死にそうなんです」「目を離したら何をするか分からなくて」――。

 東日本大震災の大津波が宮城県石巻市を襲った2011年3月11日から2週間後。檀家の犠牲者の枕経に追われていた西光寺(同市門脇町)の副住職、樋口伸生さん(56)は、次の遺族宅で出迎えてくれた息子さんからこう訴えられた。津波を免れた日和山(海抜56メートル)にある住宅地の一角。顔なじみの檀家の両親と、被災して実家に身を寄せる娘たちの家族が待っていた。

母の心に届いた言葉

 火葬を終えたお骨箱が見え、亡くなったのは小学6年の鈴木秀和さん(12)だった。憔悴しきった顔で母親の由美子さん(50)が、心配する長男=当時(19)=と次男=同(15)=に寄り添われるように座していた。

「それまでの記憶が飛んでいた」と話す由美子さんと、樋口さんの回想から、その時の出来事を再現する。

 樋口さんは実家の両親とはなじみだが、長女の由美子さんと話すのは初めてだったという。

 その様子に「いったい、どうなってるんだ」と息子たちに問い掛けながら、お骨箱の前に一家を集わせた。津波の犠牲者の遺族を巡っての枕経を、樋口さんは死者と生者のどちらの心にも届くようにと平易な言葉で語りかけていた。

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