母親たちが初めて胸の思いをつづった原稿。文集「愛と哀と逢と…」に編まれた=2012年10月1日(筆者撮影、以下同)

 

 2012年10月初めに話は戻る。

 石巻市門脇町の西光寺で、女性たちがテーブルに持ち寄った手書きやパソコン入力の文章に見入っていた。このシリーズで紹介してきた鈴木由美子さん(50)、青木恭子さん(60)ら、津波でわが子を亡くした地元の女性4人。毎月市内で催される遺族の集い「つむぎの会」の世話人、田中幸子さん(70)=仙台の自死遺族の会「藍の会」代表。本シリーズ(3)参照=が呼びかけた文集作りの原稿だった。

 その少し前、全国の自死遺族が手記を寄せ合って『会いたい 自死で逝った愛しいあなたへ』(明石書店)という本を刊行したことから、「同じ母親として声を伝えることは大事」と鈴木さんらに勧めてくれた。

「つむぎの会」は宮城県の気仙沼、仙台、岩沼各市でも開かれており、それらの参加者たちが合同で10月下旬、「遺族による震災フォーラム」という公開の催しを仙台で催す企画を進めていた。由美子さんらは「その機会に、会場を訪れる人たちに私たちの文集を配ろう。無理をせず、書けるという人が書いてみればいい」という目標を立てた。しかし、胸の思いを文章に変えるのはつらい作業だ。自らの苛酷な体験、深い喪失と向き合わねばならなかった。

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