「相馬野馬追」から見える「福島第1原発事故」からの復興
2019年8月7日
7月28日、福島県相馬地方で開催された相馬野馬追の本祭を見学した。東日本大震災以降、毎年見学しており、今回で9回目だ。騎馬武者約400騎が騎馬行列、甲冑競馬、神旗争奪戦を繰り広げた。
相馬野馬追の歴史は古い。始まりは鎌倉幕府開府前の軍事訓練で、現在の公的行事としての形が整ったのは江戸時代前期という。なぜ、いまだに相馬の人々は騎馬武者行列を続けるのだろうか。
本当のところは分からない。ただ、この神事が相馬人の苦難の歴史を象徴しており、現在進行形の試練を乗り切る上で、余所者には分からない重大な役割を果たしているのは間違いなさそうだ。
その試練とは、2011年3月に起こった東日本大震災・東京電力福島第1原子力発電所事故だ。この事故で汚染されたのは原発の北側に位置する旧標葉郡と相馬地方だ。標葉郡とは、現在の大熊町・浪江町・双葉町・葛尾村、相馬地方とは相馬市・南相馬市・飯舘村・新地町を含む地域である。
この地域は、かつて相馬氏という大名が統治していた。居城が置かれた中村(現相馬市)の地名にちなみ、相馬中村藩6万石と言われた。鎌倉時代から幕末まで約700年間、この地を治めた。
記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。