左上に見えるのが、ロシアの中枢クレムリン(筆者撮影、以下同)

 

 ソ連崩壊後のロシアが置かれた立場は、(上)で指摘したような旧東欧諸国と重なる面が多い。社会主義の夢破れ、疲弊した国家を立て直すために、西側モデルの「模倣」を余儀なくされたからである。

当初は開放的な指導者

 こうした状況を反転させ、「模倣」を断ち切るかのように振る舞うプーチンは、オルバンと共通する役どころを演じている。

 ただ、人口1000万足らずのハンガリーとは異なり、1億5000万弱の人口を有するロシアは、核兵器保有国、国連常任理事国であり、かつて米国と対等にやり合った大国である。その指導者の戦略も対応も、おのずから異なってくるだろう。

 1991年暮れのソ連崩壊に伴い新生国家として出発したロシアは、1999年まで大統領を務めたボリス・エリツィンの統治下、市場経済の導入と過激な改革によって資本主義化を図った。まさに西側を「模倣」したわけだが、その試みが招いたのは、ハイパーインフレと失業率の急騰、新興財閥オリガルヒの台頭だった。経済は行き詰まり、市民は貧困にあえいだ。

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