薄氷を踏むが如き「成功の内幕」

執筆者:白戸圭一2020年8月29日
 
 

「今回の会議は、アフリカ諸国とアフリカの開発パートナーとが、アフリカ開発の今後のあり方について真剣な政策対話を行う場を提供するものであります。

 私は、こうした対話を通じて、自助努力に対するアフリカ諸国の確固たる意思が示され、また、それを支援する政治的コミットメントがアフリカの開発パートナーより示されることを強く期待したいと思います」

 1993年10月5日午前8時半、東京都港区の高輪プリンスホテル(現グランドプリンスホテル高輪)で始まった第1回「アフリカ開発会議(TICAD)」の冒頭、基調演説に立った細川護熙首相(当時)は、この会議が援助金額を約束する「プレッジ(Pledge)会合」ではなく、「政策対話を行う場=インテレクチュアル(Intellectual)会合」であることを主催国代表として明言した。

 本連載の6回目(前回)で、「プレッジ会合」ではないTICADにどれだけのアフリカの国が関心を示すかは開催まで未知数だったと記したが、蓋を開けてみれば、アフリカ53カ国(当時は南スーダン共和国は存在しない)のうち48カ国の代表者が出席し、会場は熱気に包まれた。

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