津波後の荒れ野に唯一残る震災遺構の家=名取市北釜(筆者撮影、以下同)

 

貴行さんの月命日、午後2時46分を仙台空港のロビーで待つ荒セツ子さん=10月15日

 大阪からの到着便を告げるアナウンスが流れる。今年10月15日、宮城県名取・岩沼両市にまたがる仙台空港の1階ロビー。その外れにあるソファーで、荒セツ子さん(72)=仙台市青葉区=は腕時計と携帯電話の時刻を並べて見入り、じっと時を待っていた。午後2時46分。

「息子と、皆さんに会いに行きます」

 と言って、荒さんは立ち上がった。

 9年前の2011年3月11日のその時刻、三陸沖を震源とする大地震が発生し、やがて津波が、海岸のそばに位置する仙台空港にも押し寄せた。

 気象庁の報道発表資料によると、高さ3メートル以上の津波が到達した時刻は、震源への距離が近かった岩手県大船渡で午後3時15分ごろ、仙台空港から約15キロ北の仙台新港では同46分。空港に押し寄せたのは同55分前後で、高さは約4メートルとされる。 

〈津波が滑走路を水の底に沈め、到着ロビーなどがある空港ビル1階にがれきや車などを押し込んだ。停電、断水、通信不能。旅客や地域住民、航空会社やビル、関連施設の職員ら1600人が孤立した〉(2011年5月17日『河北新報』「ドキュメント大震災」)

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