ブリヤート共和国の首都ウラン・ウデ市のオペラ劇場は、シベリアに抑留された日本人の手によって建設されたという ©Yuliya Letfullova

 

日本車が9割

 次に訪れたのは、ブリヤート共和国の首都ウラン・ウデ市だ。モスクワから飛行機で6時間、日本との時差は1時間しかない。人口は約100万人、日本でもよく知られているバイカル湖に接し、木材を中心に天然資源が豊富な地域である。民族構成はモンゴル系のブリヤート人のみならず、ロシア人、ウクライナ人、トルコ系のタタール人など、様々な民族が暮らす。そのため、街中を歩いているとしょうゆ顔のアジア人もいれば、彫りの深い白人もいるし、その両方の血を引く人もいる。

 空港を降りて真っ先に気づいたのは、走る車の9割が日本車、しかも右ハンドルであることだった。空港で呼んだタクシーの車種が、筆者が幼少期に乗っていたトヨタMarkⅡで思わず目頭が熱くなった。山間の風景を走る、旧式の日本車を見るにつけても、あたかも40年前の日本にタイムスリップをしたような感覚に陥った。

右ハンドルの日本車であふれるウラン・ウデの市街地 写真・筆者提供
 

 実は、ウラン・ウデ市は日本人にとっても深い縁のある街だ。太平洋戦争終結直後、関東軍の軍人や軍属など60万人が、ソビエト軍によってシベリアや中央アジアに連行され強制労働に従事させられた。いわゆるシベリア抑留だ。この街にも数千人の日本人が連れてこられた。街の中心にあるオペラ劇場は、「日本人が作った建物」として知られ、他にも日本人が作った家などが沢山残っている。筆者が日本から来たことを知った地元の人は、ほぼ例外なくこのエピソードを披露してくれた。また、一時期話題になった“日本人バイカル湖起源説”を根拠に、「日本人はブリヤート発祥だ」と真面目な顔をして力説する人にも何人も出会った。

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