2001年12月、ドイツ・ボン郊外で暫定政権樹立の合意文書(ボン合意)に調印するアフガニスタン4派代表(前列)。後列左から2人目がシュレーダー独首相、その右隣がブラヒミ国連事務総長特別代表(いずれも当時)(C)AFP=時事

「アメリカはアフガニスタンについて無知で傲慢だから失敗した」と言われる。そうかもしれない。だが、それは具体的な政策レベルでは、何を意味しているだろうか。アフガニスタン平和構築の枠組みに沿って考えてみたい。

タリバン不在のまま締結された和平合意

 アフガニスタンの平和構築の枠組みを語るときに、ほぼ定説になってきているのが、「ボン合意の不適切さ」である。

 ボン合意とは、2001年にアメリカの攻撃によってタリバン政権が崩壊した直後に、アフガニスタンの国家再建の枠組みを定めるためにドイツで開催された会議の合意文書のことだ。新たなアフガニスタン政府の形成の道筋を定めたボン合意は、結果的に「ボン・プロセス」と呼ばれたボン合意履行期間を越えて、アフガニスタンの国家建設の枠組みを決定し続けた。

 今日の国際社会主導の紛争解決においては、紛争当事者が調印する和平合意の締結を通じて、その後の平和構築の枠組みを決めていくことが標準的なやり方だとみなされている。アフガニスタンの場合に、和平合意に相当する機能を果たしたのがボン合意であった。

記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。