アフガニスタンを中核とする対テロ戦争の結末に、国際社会は米国の露わになった「本音」を見た。8月24日に収録された「先端研創発戦略研究オープンラボ(ROLES)」による動画配信「ROLES Cast」第3回は、中山俊宏・慶應義塾大学教授をゲストに米国のアフガニスタン政策の20年を再確認します。

 

*お二人の対談内容をもとに、編集・再構成を加えてあります。

「自分探しモード」に入るアメリカ

池内 今回は慶應義塾大学の中山俊宏さんをお迎えして、過去20年の米国のアフガニスタン政策について振り返っていきたいと思います。

 8月15日の衝撃的なカーブル陥落という事態に際し、過去20年のアフガン関与にどういう意味があり、どういう問題があったのかという議論が世界中で沸騰しています。アメリカの前倒し撤退と首都陥落をふまえ、この20年のアメリカの政策、アフガニスタンへの関与について、中山さんのご見解と今現在の評価をお伺いしたいと思います。

 

中山 アメリカ自体は目の前で展開している事態を処理するのに精一杯で、この20年が何だったのかという大きな質問に明確な答えは出せていないだろうと思います。

 ただ、巨大な徒労感のようなものがある。

 アメリカは、相当な労力をアフガニスタンに割いてきました。米軍ももちろんですが、国務省員の多くもアフガニスタンで勤務をし、その限りでは他人事ではない部分がある。単にお金をつぎ込んだというだけでなく、少しでも民主化を促進し、市民社会の基盤を強化しようとやってきた。もちろん西側の民主主義をコピーして貼り付けるようにはいきませんが、少しでも社会が良くなるのだという可能性に賭けてきた。これはアメリカのナイーブさという部分もあるのでしょうけれども、そういった過去20年間のアメリカの行動を支えていた考え方そのものが崩れてしまった。

 ビン・ラディンを殺害した後のミッションを確定できないまま、介入を続けて、それを引き延ばして、引き延ばしてやってきて、ここへ来てもうだめだと諦めてしまった。

 アメリカは今、単にアフガニスタンの情勢が混乱している、アメリカに協力した人々を置いてきてしまったという罪悪感だけではなく、ベトナム戦争後のように、果たして20年に及ぶ介入はなんだったんだろうか、アメリカはあそこで何をやっていたんだろうかという自分探しのモードに入っていくのかなという感じがします。アメリカは常に自分探しをしている国ではありますが。

巨大な「対テロ戦争政策コンプレックス」

池内 私と中山さんは9.11以後の20年間、ある種のコミュニティを両側から見ていることになります。

 私は中東研究者として中東に関与していましたが、9.11事件をきっかけに否応なくアメリカと関わらざるを得なくなった。アメリカが深く中東の世界の中に侵蝕して各国の政治を方向づけ、巨大な知的なパワーを向けてくる中で、私も中東研究者でありながらワシントンに住んだり、訪問して会議に出たり、研究を始めた頃には予想できなかったことをやっていました。

   それは、非常に大きなシステムの一部でした。アメリカが中心になって対テロ戦争を動かしたわけですが、その中核はアフガニスタンにあり、さらにアフガニスタンからパキスタン、アフガニスタンからアラブ諸国の中東、イラク、イランといった方向に広がっていく。これを支える巨大な「対テロ戦争政策コンプレックス」みたいなものがあり、これらの地域の人間を世界中からアメリカに集めて学位をとらせ、アメリカの機関に勤めさせて、外交政策の中枢に関わらせた。巨大なアメリカのパワーを中東にもって行き、NATOや日本など同盟国も動員して、現地社会に影響を与え、現地のエリートをアメリカ流のエリートにつくりかえたわけですね。

 しかしその結果、何を残せたのか。アメリカがどうなったかということと同時に、アフガニスタン社会に何を残せたのかということでも、私も徒労感という言葉が浮かびます。

 

中山 私たちが初めて会ったのはBS・NHKの番組だったでしょうか。その後も日米交流のフレームワークなどで会う機会がありました。これだけいろいろなところで一緒に仕事をさせていただいたのは、アメリカがつくりあげた巨大な政策コンプレックスがあったからだと思うのですが、それが今回のアフガニスタンをもって、ある種終わったという状況なのでしょう。

 アフガニスタンはイラク戦争との対比でずっと「正しい戦争」と言われてきました。巨大な政策コンプレックスが何か変な方向に向かっても、「アフガニスタンでは正しいことをやっている」というのが1つの支えだった。しかしそれがなくなって、アメリカの政策の重心が大きく他の方角に向きを変えているのだなと感じます。そういう意味で言うと、今回の撤退には目の前の現象を超えた大きな含意がありますね。

「正当性の根拠」としてのアフガニスタン

池内 対テロ戦争には毀誉褒貶ありました。9.11のその瞬間はテロがアメリカ本土に向けられ、それにどう立ち向かうかという問題にアメリカが主体性をもって考えはじめた。それが2003年にはイラク戦争に移っていき、焦点が拡散したわけです。

 しかし、いわば「正統性の根拠」「出発点」がアフガニスタンにはあった。アフガニスタンをテロの聖域にしてしまったがゆえにアメリカへの攻撃が行われ、対テロ戦争も行わざるを得なかったという部分は揺るがなかった。であるがゆえに破格の対応をして、ほとんど丸抱えでアフガニスタンという国の国づくりを支えることにも、あまり批判を受けなかった。

 ただ今回の雪崩を打った政権崩壊、アメリカ市民の退避、そしてその映像によって、アメリカがアフガニスタンでやってきたことにどれほど実効性があったのか、実態があったのかという批判が多くの人の内心に兆している。

 アメリカ研究者と中東研究者という畑違いの我々がしょっちゅう議論するようになったことは個別の事象のように見えます。しかしもっと大きなレベルで言うと、日本の外交官や自衛官にとっても、かつては日米同盟が最重要ということで、そこにかなりの人員やリソースが費やされ、中東は傍流というイメージがありました。それが、9.11をきっかけにアフガニスタンを中心とする南アジア、中央アジア、中東の専門能力と、日米関係を運用する能力は一体でなければならないということになった。

 何しろアメリカの最重要課題は中東であり、対テロ戦争はアフガニスタンからシリア、ソマリア、イエメンと中東アフリカ地域に広がるイスラム勢力の問題であり、そこにアメリカの外交安全保障政策の関心が振り向けられている。そこで日米関係を円滑に運用していくためには中東問題を含めた形で日本の政策をつくらないといけないという前提ができあがり、日本政府の諸機関や省庁は20年間、そういう人事や育成をやってきた。日本も見えないところで変わっている。

米国と中東「専門家の世界認識」は変わったか

中山 日本における中東研究者はある意味で日米問題、グローバルな安全保障問題の前にいきなり引きずり出されてしまったのだと思いますが、それにうまく対応できたのでしょうか。

 

池内 ここであまり学問の業界についての論評はしたくないというのがありますが(笑)。

 学問の業界は内側の流れと構造があり、もともとは反植民地主義、帝国主義批判から出てきた学派が有力なので、中東を中心とする対テロ戦争などの新たなアメリカの政策にあわせて日本の政策を考えていくこと自体が、より高次の視点から批判されるのです。「そのような政策はイデオロギー的に良くない」という政策批判、あるいは「そのような言説に巻き込まれることが良くない」という言説批判の流れで対処した面があり、あまり対応できなかったというところがあると思います。

 

中山 アメリカ研究者も、アメリカの向き合った地域をアメリカのメンタリティで見て解説していく、言わばアメリカの介入主義と一緒になって地域に入っていくという面があります。

 つまり、専門ではなくても中東やイスラム圏を20年間見てこざるを得なかった中で、アメリカマインドを携えて見てきたと言いますか。

 ですので、池内さんとは交流がありましたが、もう少し広くいろいろな人たちとの交流があっても良かったなという反省があります。

 

池内 両方の側の問題がありますよね。

 たとえばアメリカを専門とする実務家や研究者が、アメリカが最重要視しているアフガニスタンやアラブ世界やイランについて、現地の感覚から見て常識的な土地勘を身につけられたかと言うと、それすらも危ういと思うのです。中山さんはこの問題について非常にアップデートされてきているという感じがしますが、研究者の世界が全体として底上げがあったかと言うと、なかった。

 それは中東に足場を置く実務家や研究者でも同じで、中東の独自性にしがみつくようなところがある。アメリカは外から来る介入者であるという拒否の姿勢が現地にあり、それを受け入れる。なかなか両方の側が本当の意味で組み合わさることはなかったかなと思います。

 ただ、今現在は、アメリカから中東、南アジア、アフリカにかけての外交・安全保障上の「不安定の弧」みたいなものにまたがって広範囲に見ようとしている人たちが育ってきている。新世代においては世界認識が変わってきているかなと思うことはあります。 

 やや、我々の過去20年間の専門家コミュニティにとっての空白感の分析になってしまいましたが、アメリカ政治においてどういう受け止め方をされているか、近い将来どういう政治問題に展開していくのかお伺いしたいと思います。

事実上「トランプ路線」を継承したバイデン

中山 今アメリカを語る時の常套句は「分断」や「分極化」ですが、アフガニスタンからの撤退については相当強いコンセンサスがある。

 ただ、それはベトナム戦争の時のような反戦感情に根ざしたものではありません。あの時は徴兵制もあって(撤退の時はありませんでしたが)、社会が全体としてベトナム戦争を体験していました。対してアフガニスタン戦争を体験している人はアメリカの中でもごく一部でした。多くの人にとっては、改めて言われてみるとまだやっていたのか、という感覚です。そのうえはっきりとわかる成果を出せていない状況のもと、もういいんじゃないかという感覚が広がっていきました。だから「厭戦気分」ということばでも少し強すぎるくらいかもしれない。

 そうした感覚はビン・ラディン殺害から数年して強く出てきたんだと思うんですよね。オバマはそういう雰囲気を察知してアフガニスタンを出ようとするのですが、軍からの押し返しにあった。軍としてはアフガニスタン国軍を育てているので、現場で見ていて「これはもたないな」というのが肌感覚では分かりつつも、うまくいくんだ、うまくいくんだ、と念仏のように唱え続けた。公聴会などでの発言をみると、アフガニスタン情勢は「turned the corner」、つまり一番難しい状況を乗り越えたということを過去20年間ずっと言い続けている。

 オバマは、米軍がいれば改善はしないにしても今の状況をどうにか保っていられるということでしぶしぶ軍の進言を受け入れたわけです。

 ところがそこにトランプがやってきて、軍のアドバイスは気にしない。あの人は人々が感じている違和感や怒りを察知する天性の嗅覚を持ち合わせていて、アフガニスタンにおける「終わらない戦争」に人々がまったく関心を失っていることを察知した。そして70年代にベトナム反戦運動の活動家たちが使っていた「終わらない戦争」「フォーエバー・ウォー」「パーペチュアル・ウォー」「エンドレス・ウォー」などのフレーズを自在に使いこなして厭戦気分を煽り、そういう中でワシントンの外交安保エスタブリッシュメントを徹底的に批判していくわけです。

 2020年2月のターリバーンとマイク・ポンペオ(国務長官=当時)の合意は平和交渉ではなく、アメリカがどうやって抜け出るかということを実現するための交渉だったのだろうと思います。

 それを引き継ぐ形でバイデンが大統領になり、「アメリカは国際社会に戻ってきた、アメリカ・ファーストはやらない」と言いつつも、事実上トランプ路線をアフガニスタンにおいては継承した。

撤退自体には強いコンセンサス

中山 今回いろいろな議論を見ていても、撤退そのものについて反対している人は、本当に深くこの問題に関与してきたライアン・クロッカー元駐アフガニスタン大使のような人や、タカ派で介入主義的なことで知られるハーバート・マクマスター元安全保障担当大統領補佐官などごく一部で、今回の撤退はやむを得なかったんだ、というのが全体としての受け止めです。ただ、やり方が他にあったよね、と言う人たちが共和党に多く、民主党の一部にもいる。

 いずれにせよ、撤退すればこれは混乱が起きたであろう、だからこのタイミングでやるしかなかった、遅らせるとターリバーンとの間での約束を破ったということでいざこざが発生するかもしれない、来年中間選挙にも影響を及ぼすかもしれないので、ここでやっちゃおう、と。

 なので、その次元での対立であって、撤退自体について大きな対立があるという感じはしない。分断されたアメリカの中でアフガニスタン撤退は強いコンセンサスがあり、だからバイデン大統領も自分の撤退は根本的には間違っていないのだという点については一切譲る素振りを見せない。

 今後、どう事態が展開していくかは分かりませんが、フォーサイトに寄せた原稿では、アメリカ人の撤収さえどうにかうまくいけば、アメリカ人の意識の中でアフガニスタンの問題は隅の方に追いやられてしまうのではないかと書きました。これはアメリカの評判を大きく傷つけるでしょう。アメリカの気まぐれさに対する不満は、中東だけでなくヨーロッパや同盟国の間でも高まるのではないでしょうか。

 私はそうした見方に完全には同調しませんが、日本でもそういう議論がちらほら見えてきているという感じですよね。

問われるアメリカの信頼性

池内 アメリカの信頼性(credibility)というのが、今回の急激な米軍撤退とターリバーンの鮮烈なカーブル攻略を受けての1つのキーワードになっていますよね。

 同盟国にとってのアメリカの信頼性を大きく傷つけるという議論が出て、それについてアフガニスタンとアジアやヨーロッパの同盟国では状況が違うので同列には論じられないのではないかという弁護がある。

 それはその通りだと思います。アメリカにとって日本やドイツ、フランスは資産であって負債ではないので、そこから逃げていく理由はない。ところがアフガニスタンはいくらやってもお金と人を費やすだけである以上、そこから損切りをして出ていく、と。アフガニスタンにとっては良い結果ではないけれども、アメリカにとっては良い判断だった、とアメリカの識者は冷酷な言い方をしています。

 そして中山さんはフォーサイトの原稿で、もっと深いところで我々の納得のいかない部分を的確・詳細にあげている。つまりバイデン大統領は8月16日の演説では、ある意味では「自分は悪くない」ということばかり言ったわけですね。非常に雄弁に、いかにも優秀な人が書いた原稿によって、「自分は前任者と同じことをやっただけだ」と言った。私を批判するならトランプを批判しろ、と。

 さらに、2009年にイラクとアフガニスタンから引いていくという期待をアメリカ国民に持たせて大統領に就任したオバマの最初にやったことが、結局は「ちゃんと撤退するには一度増派しないといけない」という軍の説得を受け入れることだった。(バイデンは)それにも自分は反対したんだと言う。

 そのうえで、根本的にはアフガニスタン政府が悪い、と。自分の国のために戦わない軍のために我々が戦うことはないと言い切ってしまった。

 これに対しては、アメリカが急に引いていくと決めたからアフガニスタン政府は瓦解したと指摘せざるを得ませんが、バイデンはそれも織り込み済みで損切りしたと見えるわけですよね。

 これをアメリカとアメリカの同盟国、アメリカが対処する国の国民にとってのもう少し一般的な問題として捉えれば、やはりアメリカには本音と建前があるということなのだと思います。非常に美しく理論的に整合的に議論するのだけど、それと本音がずれたところにあって、普段はそれが見えないのだけど、決定的な瞬間に、見えてくる。

歴代政権の積み重ねた「本音」

池内 そこで先ほどから中山さんおっしゃっているように、アメリカ側では実は歴代政権の間にアフガニスタンをやめようという本音の部分が積み重なって形成されていたけれども、それをなかなか表現しなかった。それを、ここでアメリカ大統領自身がぶちまけたわけですよね。アフガニスタン側が自分の国のために戦おうとしないのだから出ていきます、と。

 それが分かっていなかったのなら能力不足という点で責任を問わざるを得ないですが、実際は分かっていて、ここで損切りするためにぶちまけて去ったのだという印象は、とくに外部の同盟国や現地の中東、南アジアの人間にはあると思いますね。

 とりわけパキスタンは普段からアメリカと協力するような顔をしながらお互いに不信感が強い関係ですが、パキスタンの首相自身が「ターリバーンがアメリカに勝った」というようなことを言っている。

 

中山 奴隷の鎖から解放されたというようなことを言っていましたね。

 

池内 パキスタンとアメリカの関係は本音と建前がずれていることをむき出しにしているような関係ではありますが、それにしても一緒にターリバーンを追い詰めていたことになっているパキスタンの政権の人たちが「ターリバーンが勝った、勝った」と言っているに等しいのは、ひどい話ではあります。

 これはかなり根深い問題で、アメリカの政治家はアメリカの本音を出さない。本音を出さずにある政策を推し進めるけど、ある時突然、本音が出てしまう。そこがトランプの方が良かったという議論に繋がるところです。

 中東でアメリカと深い関係にある国の人は、トランプは率直で良かったという発言をかなりします。バイデンさんは言っていることは綺麗だけど本音と違うし、いざとなったら突然本音をぶちまけてしまうじゃないかという反応は非常にありますね。

 そういう意味での不信感は、もやもやとしてあったものが明確になったと思います。

トランプの方が分かりやすいという発想

中山 イギリスですらそうですからね。イギリスはアフガニスタンで450人以上の死者を出しているわけですが、そういうイギリスとも今回の撤退にあたっては十分な調整をせず、アメリカは単独主義的に出ていった。ヨーロッパでも、バイデン大統領は国際社会、国際協調に戻ってきたんだと言いながら、話が違うじゃないかという声があります。

 これはしばしば指摘されてきたことですが、アメリカ・ファーストはトランプ固有の現象であると同時にもっと大きなトレンドでもあり、トランプはそのトレンドを掴んで増幅させた。つまりアメリカ・ファーストは個々の大統領が拾ったり捨てたりできるものではないということを、今回のバイデンの対応は示したのかなと思います。

 トランプの場合はアメリカ・ファーストに思いっきり乗っかりましたが、バイデンの場合は「自分はそれを否定する」と言いながら、結局そこに乗っからざるを得なかったということが、いま池内さんがおっしゃったことだろうと思います。

 日本でも、トランプ大統領に不安を感じつつも、少なくともトランプ大統領の発言はストレートで、しかも力と力のぶつかりあいのような世界観の人なので、分かりやすいという見方がある。

 一方、バイデン政権は発足してかなり早い段階で日米豪印の協力枠組み「Quad(クワッド)」や日米同盟そのものを重視する姿勢をはっきりと打ち出し、さらに菅総理とのバイの会談を早期実現させるなど、やらなければならないことを予想外のスピードでこなしていった。でもこういうことが起きると、「本当に大丈夫なの?」という不安が出てくるのは、ごく自然なことですよね。

 もちろん外交安保の専門家は、日本とアフガニスタンは違うとは分かっている。しかし、日本には、アメリカに頼るしかないという状況を受け入れつつも、その関係に違和感を持っている人たちが少なからずいる。そういう人たちは、アフガニスタンからあっさり撤収したアメリカを見て、この国の言葉を本当に信用できるのか、国家の生存に関わる問題を日米の二国間関係に委ねていいんだろうかという不安は、当然出てくる。

 ただ我々がそこに全面的に乗ることが誰を利するかということも同時に考えないといけない。今回の撤収の我々の地域に対する意味合いは、うまく捉えて行かないと、そのこと自体が日本の国益を害するような状況になることもあり得ます。

 あまりエモーショナルに反応するのではなく、しっかりと上手に考えて、信じていかないといけないという感じがします。

理念とロジックに関与すること

池内 日本や西欧の同盟国から言えば、崩壊していくアフガニスタン政権を叱責したかのようなバイデン大統領の演説は、深いところで堪えるところもあり、かつ一緒にされることが不当だということもあります。そもそもアメリカが丸抱えして、自由度を与えていなかった政権を突然放り出して「お前たちに自由にさせたら、何もできなかったじゃないか」と叱るのは、違うのではないかというのもあり、いろいろな思いがある。

 ただ、アメリカにとって自分たちはアフガニスタンとは全く違うアセットであるということを再確認させていく方向に進むのかなと私は見ています。つまり、もう少し安定的なアメリカの同盟国から言えば、我々はちょっと別なので、今後もアメリカと一緒になってアメリカが過度に内向きにならないように積極的に支えていきます、という方向にいくと思います。

 

中山 ただ、日本はアメリカが提示する国家建設のロジックに乗っかったわけですよね。その日本の努力も水泡に帰したことを、日本としてどう考えるのか。そこの部分は他人事じゃないですよね。

 

池内 そうですね。日本では社会一般に、日本がアメリカの理念と実際のオペレーションに民生部門で深く関与していたことがあまり知られていないということがあります。そこを通じて揺らぎが生じる可能性がある。

 もうひとつ、国民全体の数から言えば少数ですが、日本の開発援助や平和構築や外交安保に携わる人間は過去20年間、この問題を中心に生活し育成されてきた。そうした人々にとって今回のアメリカの出ていき方は、モラール(士気)と言いますか、結構深いところで影響を与えるのではないかという心配もしています。

 それについてバイデン大統領はある方向性を示している。我々の今の課題は中国などの新たな挑戦者だと、少なくともアメリカ人を方向づけようとしている。それに同盟国の人たちが乗れるのかという問題がありますね。アメリカ側の本音と建前、バイデン大統領の場合はトランプと違って突然、建前を放り投げて本音を言うという事例が今回出てきてしまったので、「同じことをまたやるのではないか」という不安が出てくる。

 その時に「米中対立の大国間競争の時代です。その中で同盟国はついてきてください」と言われても、ヘッジして中国やロシアにもちょっと足を掛けるという、そういう方向に後押しした面はあるのではないかと思います。

重くのしかかるバイデンの言葉

中山 米中の間で揺れるスイング・ステーツはそうでしょうね。ただ日本は否応なしに米中大国間競争の最前線に立たされているので、アメリカのロジックに当然乗っかっていくわけですよね。今回日本が米軍のアフガニスタン撤収から学んだ最大のポイントは、「自分たちのことを守れない国を助けるつもりはない」という、この大統領の言葉ですよね。最前線に立たされている日本としては、その言葉が非常に重くのしかかってくる。でも日本は、その状況に対応していく以外にオプションがない。

 

池内 どうもありがとうございます。今回は米国のアフガニスタン政策の20年を振り返りながら、単に米国がアフガニスタンに何を残したのかというだけでなく、我々日本にとっても何を残したのかということを内省する機会になったと思います。

 今現在、現役世代で外交安保政策や地域研究をやっている人間や実務で関与しているさまざまなセクターにいらっしゃる方は、アメリカが対テロ戦争を戦っているという大きな枠組みの中で生きてきたという面が否めないと思います。そのコミュニティ意識についての言及が多すぎると感じられるかもしれませんが、これはアメリカの急速な撤退、アフガニスタン政権の急速崩壊という事態を受けて、専門的な立場で関わった人がおそらく様々に行っているであろう内省の一端をお伝えした、とご理解いただければ幸いです。

(2021年8月24日収録)

 

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