党内の感覚とは大きくずれてしまっていた ⓒEPA=時事

「殿、ご乱心!」の言葉が自民党内で囁かれるようになってから、退陣宣言に至るまではあっという間の一本道である。一寸先は闇を証明した菅義偉総理の転落の軌跡は、8月30日月曜日の午前中に始まり、9月3日の金曜日昼の退陣宣言まで。時間にしてたった100時間程度で、菅総理は再選断念にまで追い込まれてしまったのだ。

 この間、菅総理は3度、連鎖するように政治的な判断ミスを繰り返して躓いた。党内の実力者たちからは、失笑をかみ殺すような溜息が漏れて見切られていたため、退陣宣言の際にも、小泉進次郎環境相などごく一部を除いて同情の声は聞かれなかったのである。

「下村出馬」は勝利への“当て馬”だったはずなのに

 コロナ対応の後手後手や横浜市長選の惨敗をひとまず横に置き、総裁選挙に的を絞れば、菅総理の最初の失敗は、8月30日(月)の午前10時半、下村博文政調会長を官邸に呼びつけたことだった。総裁選出馬に強い意欲を見せていた下村政調会長に「総裁選に出るなら、政調会長のポストを降りろ」と、半ば脅すようにして出馬を撤回させたが、実はこの力業、政治的には大失策で、菅総理の見通しの甘さを白日の下にさらす結果になってしまったという。

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