月岡芳年『日本略史 素戔嗚尊』

 スサノヲのモデルは弥生時代後期(ヤマト建国直前)に活躍した人物で、森林資源(浮く宝)の重要性を力説したに違いない。だからこそ、スサノヲの着想は神話となって、今に伝わったのだろう。

 ただ、スサノヲは葛藤していたのではなかったか。文明を選択することの怖ろしさを朝鮮半島で知ってしまったが、進歩して繁栄を勝ち取らなければ、文明国に飲み込まれてしまう。ならばどうすればよいのか……。スサノヲの出した答えは、『日本書紀』神話の中に隠されているはずだ。

 スサノヲは天上界(高天原)から出雲の簸川[ひのかわ](斐伊川)の川上に舞い下りたと『日本書紀』神話の本文は言っている。これには異伝があって、一書第四には、スサノヲが天上界から子のイソタケル(五十猛神)を率いて新羅国に下ったとある。ところが「この地にはいたくない」と言って赤土(埴土[はに])で舟を造って出雲にやってきたという。

 この話から、「スサノヲは渡来系の神」「日本に新たな技術をもたらし圧倒した王」とする説もある。しかし、かつて盛んだった騎馬民族日本征服説のような、渡来人が古代の日本列島を席巻したという考えは、もはや通用しない。日本列島が渡来人に征服された物証はなにもみつかっていないし、多くの渡来人は、中国や朝鮮半島の圧政や戦乱、飢餓から逃れてきたボートピープルだった。また、ヤマト建国は「弱い者がヤマトに寄り集まってゆるやかな連合体を形成していた」こともわかってきている(このあたりの事情は、連載中に詳しく述べる)。

記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。