プーチン大統領に「敵」も「同盟者」もいない(C)EPA=時事

 

ターリバーンに接近するプーチンの掌返し

 2001年9月11日。同時多発テロのショックで揺らぐアメリカを落ち着かせようと、いち早くネブラスカ州にあるオファット空軍基地からホワイトハウスに帰ったジョージ・ブッシュ米大統領に、他の外国首脳より先に電話を掛けたのは、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領だった。プーチン氏は米国民に哀悼と同情の意を表し、国際テロの根絶に向けてロシア側の全面協力を米政府に約束したと言う。

 緊迫している今の露米関係では想像できない協調ムードだが、テロ攻撃が後を絶たない当時のロシアにとって、アメリカの大惨事は決して他人事ではなかった。そのたった2年前にコソボ危機を巡って北大西洋条約機構(NATO)と激しく対立したモスクワが、躊躇なくワシントンに手を差し伸べたのはそのためでもあろう。

 だが、露米接近の主な原因は共通の敵の存在だった。

 ブッシュ政権は攻撃の首謀者がウサーマ·ビン·ラーディンであると断定し、彼が率いるテロ組織「アルカーイダ」が拠点とするアフガニスタン、そしてアフガニスタンを支配する過激派組織「ターリバーン」を標的に定めた。

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