岸田首相は対中国で「したたかな外交が求められる」との認識を示す(21年10月8日、中国の習近平国家主席と電話会談を行った岸田氏) ⓒ時事

 1972年9月29日、日中国交正常化が実現した。米中が、ソ連に対する共同戦線を張るために180度の方針転換をした結果、それが可能となった。日本の外交空間は確実に拡大し、国力の増大を背景に日本のアジア外交も勢いを増した。だが、それからの日中関係は、日米共通の台湾問題をはじめ、歴史認識問題と尖閣問題により揺さぶられ続けた。

 日中国交正常化は、戦争を戦った者同士の「握手」であった。あの世代の日本の指導者には大なり小なり、中国に対する「贖罪意識」はあった。毛沢東をはじめとする中国の指導者には西洋列強にアジアで唯一対抗した日本に対するそこはかとない敬意があり、特に周恩来には日本滞在経験から来る「感情」があった。80年代までの日中関係は「ウエット」な関係だったのだ。

 1989年の天安門事件は、日中関係の一つの分水嶺だった。日本社会の中国に対する「感情」は薄らぎ、経済的な互恵関係を中心とする「ドライ」な関係に徐々に変わっていった。日中双方の世代交代が、これを後押しした。

記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。