対ロ宥和政策は失敗だったと認めたドイツ・シュタインマイヤー大統領
ウクライナや東欧諸国からガスの輸入停止要求が高まるのは確実だ。ロシアのロビイストと化していたシュレーダー元首相を筆頭にSPDが重ねた対ロ宥和政策についてシュタインマイヤー大統領が過ちを認めるなど、エネルギーと安全保障の矛盾というドイツの難局はさらに深まる。

 肌に粟を生じさせる映像が、世界中を駆けめぐった。ウクライナ政府と欧米諸国は「ロシア軍がキーウ近郊で多数の市民を虐殺した」と非難している。第二次世界大戦中のオラドゥール・シュル・グラヌやバービーヤール、ベトナム戦争中のミライ、ボスニア内戦中のスレブレニツァを想起させる惨劇が、再び起きた。

 キーウの北西25キロメートルのブチャ(人口約2万4000人)は、3月上旬からロシア軍に占領されたが、3月下旬にウクライナ軍が奪回した。

 4月1日に同市に入ったウクライナ軍の国土防衛隊員たちは、道路のあちこちに住民の遺体が横たわっているのを見た。彼らの車両は、路上の遺体を避けて走らなくてはならなかった。一部の住民は手を背中の後ろで縛られており、後頭部を銃弾で撃ち抜かれていた。国土防衛隊のオレクサンドル・ポーレビスキ氏は「遺体は数日前から放置されていたと見られ、町には死臭が漂っていた」と証言している。

 ある家族の遺体は、一カ所にまとめて遺棄されていた。妻と息子の身体の一部が、土から突き出ている。夫の遺体は土管の中に捨てられており、裸の上半身には拷問を受けた跡のような傷があった。

 ロシア軍が司令部として使っていたと見られる建物の地下には、手を縛られて膝と頭を撃たれた複数の遺体が見つかった。自転車に乗っていて撃ち殺された男性、車の中で殺された母親と子どもの遺体があった。ある市民は食料を買った帰りに撃ち殺されたのか、遺体の横に袋からこぼれたジャガイモが散乱している。一部の遺体は、燃料をかけられて焼かれて炭化していた。

 ブチャのアナトーリ・フェドルク市長は、「これまでに410人の市民の遺体が収容された」と語っている。

 ウクライナ政府のウォロディミル・ゼレンスキー大統領は、4月4日に防弾チョッキを着けて虐殺現場を視察した。欧米の記者団の同行も許し、一部の遺体を公開した。彼は普段報道陣の前に出る時は、闘志と活力に満ちた表情を見せる。しかしブチャで市民たちの話を聞いた時には惨状に打ちひしがれたのか、悲痛な表情を見せた。

 ゼレンスキー大統領は、この前日に行ったビデオ演説で、「これはロシア軍による民族虐殺(ジェノサイド)だ。私は、全てのロシア軍兵士の母親たちに、ブチャで殺された市民たちを見てもらいたい。ロシアの兵士たちは人間性を失い、処刑人になっている。なぜ無抵抗の市民たちが射殺されなくてはならなかったのか? なぜ自転車に乗っていた人が殺されなくてはならないのか? 平和な暮らしをしていた人々がなぜ拷問によって殺されなくてはならなかったのか? なぜ女性たちは耳からイアリングを引きちぎられた後、絞殺されたのか? なぜ母親たちは子どもたちの目の前で強姦された後、殺されなくてはならなかったのか? なぜ一部の市民は殺された後、遺体の一部を切断されたのか? なぜ一部の人々は殺された後、戦車で轢かれたのか?」と述べ、怒りを露わにした。

 彼はブチャだけではなく、イルピン、ホストメルなどロシア軍が一時的に占領した他の地域でも残虐行為が行われていると指摘している。米国のNGO「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」も、「ウクライナ市民から、ロシア軍による民間人の射殺、婦女暴行、金品の略奪などの犯罪行為について多数の報告を受けている」と伝えた。

 ゼレンスキー大統領は、国際刑事裁判所(ICC)に対し、ブチャなどにおけるロシア軍の戦争犯罪を捜査するよう要求した。

 これに対しロシア政府は、「我が軍はウクライナ市民に全く危害を加えていない。ブチャの映像は、ウクライナ軍が演出したものだ。ロシア軍が撤退した後に、ウクライナ軍が路上に遺体を置いたのだ」と反論している。

 だがニューヨークタイムズ紙は、4月4日に地上で撮影されたブチャの動画と衛星写真の比較結果を公表。「ロシア軍がブチャから撤退した後、ウクライナ軍が道路に遺体を置いた」というロシア側の主張を覆すデータを明らかにしている。同紙は、「ロシア軍がブチャを支配下に置いた3月11日以降、11人の遺体が道路上に確認されている。これらの遺体は3週間以上路上に放置されており、ロシア軍撤退後に置かれたものではない」と主張している。

ゼレンスキー大統領が独仏の「二枚舌」を痛烈批判

 ブチャの虐殺が明るみに出たことで、欧州では、ドイツやフランスなど、ウラジーミル・プーチン大統領に対して懐柔的な態度を取って来た国への風当たりが強まっている。

 ゼレンスキー大統領は4月3日のビデオ演説の中で、両国を厳しく非難した。彼の指摘は、北大西洋条約機構(NATO)が2008年にブカレストで開いた首脳会議に関するものだ。NATOは同年4月3日に発表した共同声明の中で、「我々はウクライナとジョージアが将来NATOに加盟するということについて合意した」と明記している。

 ゼレンスキー大統領はこう述べている。「共同声明の『ウクライナは将来NATOに加盟する』という言葉は、中身を伴わない口先だけの約束にすぎなかった。実際には、ドイツとフランスの反対によって、ウクライナのNATO加盟要請は拒否された。しかしその事実は、公にされなかった。独仏がウクライナのNATO加盟を拒んだのは、ロシアを刺激したくないという、両国の愚かな恐れが原因だ。独仏は、ウクライナのNATO加盟を拒否すれば、ロシアを懐柔しておとなしくさせることができると思い込んだのだ」。つまり宥和政策(アピーズメント・ポリシー)である。

 さらにゼレンスキー大統領は、「14年間にわたる独仏の宥和政策と誤算が、ロシアのウクライナ侵攻、ウクライナ東部での内戦、そして今回の戦争犯罪につながった。私は、アンゲラ・メルケル元首相と、フランスのニコラ・サルコジ元大統領をブチャに招く。両氏には、拷問を受けたウクライナの男女に会ってほしい」と述べた。

 メルケル元首相とサルコジ元大統領は、2008年のブカレストでのNATO首脳会議に出席した。つまりゼレンスキー大統領は、「ウクライナがNATOに加盟できなかった一因は、当時ドイツとフランスが展開した二枚舌外交にある」と主張しているのだ。

 NATOがこの時に「ウクライナは将来NATOに加盟する」と共同宣言に明記したことを、プーチン大統領は脅威と感じたはずだ。かつてソ連の一地域だったウクライナがNATOに加盟すれば、ロシアがNATO加盟国に隣接することになるからだ。このためNATOは、共同宣言でウクライナの加盟を明記したにもかかわらず、その実現は見送ってきた。ゼレンスキー大統領が「二枚舌」と批判するのも無理はない。

 ウクライナがもしもNATOに加盟していれば、同国の今日の運命は、全く違うものになっていたはずだ。NATO加盟国がロシアに攻撃された際には、米英仏独など他のNATO加盟国は、北大西洋条約第5条の集団自衛権の原則に基づいて参戦し、ロシアに反撃しなくてはならない。つまり欧州諸国にとって、NATO加盟はロシアという強権国家から身を守る「保険」なのだ。

 ウクライナは前述のNATOの共同声明にもかかわらず、この保険を手に入れることができなかった。このためNATOは、ロシア軍がウクライナの市街地に対して無差別にミサイル攻撃を加え、市民に多数の死傷者が出ても、ウクライナに派兵して戦う義務はない。

 ウクライナ政府は、国民をロシア軍の戦闘機やミサイルから守るために、主要都市の上空に飛行禁止空域を設定するようNATOに要請しているが、欧米諸国は拒否している。その理由は、ロシア側が飛行禁止空域に侵入した場合、NATOはその戦闘機を撃ち落とさなければならないからだ。つまり第三次世界大戦が勃発する恐れがある。NATOにとっての「越えてはならない一線」は、戦略核兵器も保有するロシア軍との交戦なのである。

 メルケル氏は、ゼレンスキー大統領の批判に対し、「私はブチャでの虐殺を糾弾し、ロシアの侵略戦争を終わらせるための国際的な努力を支援する」と述べたが、同時に「2008年にウクライナのNATO加盟に反対したことは正しかった」というコメントを発表し、当時の決定を正当化している。ただし同氏は、なぜウクライナをNATOに加盟させなかったことは正しい決定だったと考えているのかについては、説明を避けた。

「政策の誤り」告白したシュタインマイヤー大統領

 一方ドイツのフランク・ヴァルター・シュタインマイヤー大統領は、4月4日に「ロシアからドイツへ直接ガスを輸送するパイプライン、ノルドストリーム2(NS2)の建設に尽力したことは、誤りだった。私は、プーチン大統領の真意を見抜けず、東欧諸国などの警告を受け入れなかった」という声明を出し、対ロ政策の失敗を認めた。シュタインマイヤー大統領は、2014年にロシアがクリミア半島を併合したにもかかわらず、その4年後にドイツ政府がNS2の建設を許可したのは失敗だったと断言した。

 これは、駐ベルリンのウクライナ大使アンドリー・メリニク氏が4月3日に「シュタインマイヤー大統領は、プーチン大統領が仕掛けた蜘蛛の巣に絡めとられている。彼は、プーチン大統領のドイツでの代弁者だ」と批判したことに答えたもの。シュタインマイヤー大統領は、シュレーダー政権の連邦首相府長官、メルケル政権の外務大臣として、ロシアとの緊密な経済関係を構築した責任者の一人である。大統領が、過去の外交政策の誤りを公に認めるのは、極めて異例だ。

 シュタインマイヤー大統領は、4月5日のドイツ公共放送連盟(ARD)とのインタビューでも、「プーチン大統領が2001年にドイツ連邦議会で、『冷戦は終わりました。一緒に平和な欧州を築きましょう』とドイツ語で演説した時、私は彼が真剣にロシアを民主化する改革者だと思った。まさか彼がその21年後に、残酷な侵略戦争を始めるとは思わなかった。彼は今や、自分の目的を達するためには、ロシア経済が崩壊してもかまわないと考えている。2001年のプーチン大統領と、今のプーチン大統領は違う人間であるかのようだ」と述べた。

 プーチン大統領はソ連の秘密警察KGBに勤めていた時に、東ドイツのドレスデンに駐在していたので、ドイツ語に堪能である。シュタインマイヤー大統領が属する左派中道政党・社会民主党(SPD)は、ヴィリー・ブラント元首相の東方外交に象徴されるように、ソ連と対決するのではなく、貿易や文化交流によって交流を深めることによって、東西緊張緩和を目指してきた。その政策は、「Wandel durch Annährung(接近することによって、相手を変えていく)」と呼ばれた。

 SPDがロシアに対する宥和政策を取った背景には、ナチスドイツの侵攻によってソ連に甚大な被害を与えたことによる負い目がある。独ソ戦でのソ連の死者数は約2700万人にのぼるが、これは第二次世界大戦での一国の死者数としては、世界で最も多い。

シュレーダー元首相のSPD除名を求める動きも

 1998年に首相に就任したSPDのゲアハルト・シュレーダー氏の路線は、「Wandel durch Handel(貿易によって相手を変えていく)」だった。ドイツの経済界と太いパイプを持っていた彼が首相だった時に、ドイツなどのエネルギー企業とロシアの国営企業ガスプロムは、独ロを結ぶパイプライン・ノルドストリーム1(NS1)の建設を決定した。プーチン大統領とシュレーダー首相(当時)は、合意文書の調印式に出席した。独ロ共同経済プロジェクトの目玉である。NS1は2011年に稼働し、年間550億立方メートルのガスをドイツなど西欧諸国に供給。ドイツのロシアからのガスへの依存度を高めた。

 シュレーダー氏は、プーチン大統領をハノーバーの自宅に招くほど親しくなった。子どもがいないシュレーダー氏は、プーチン大統領の出身地サンクトペテルブルクから2人のロシア人孤児を養子に迎え入れたほどだ。通訳を交えずに、ドイツ語で話せるという気楽さも手伝った。シュレーダー氏の父親も、ソ連軍との戦いで戦死していた。これも彼が、ロシアとの友好関係を特に重視した理由の一つである。

 運命の分かれ目は、シュレーダー氏が2005年の連邦議会選挙で敗北した時にやってきた。彼は失意の内に首相を辞任した。すると、「刎頸の友」プーチン大統領が彼に電話をかけ、「NS1の運営会社の監査役会長になってほしい」と要請した。シュレーダー氏はこの要請を受け入れて、議員辞職直後に監査役会長の座に就き高額の報酬を手にしたほか、NS2や、ロシアの石油会社ロスネフチの監査役会長にも就任。ガスプロムの監査役会長にも推挙されている(就任するかどうかは未定)。

 シュレーダー氏は、2014年にロシアがクリミア半島を併合した時にはプーチン大統領を擁護するなど、事実上ロシアのロビイストと化した。

 SPD執行部は、シュレーダー氏に対してNS1の運営会社などの監査役会長の職を辞めるよう要求しているが、彼は拒否している。SPDハイデルベルク支部は、同党執行部に対し、シュレーダー氏を同党から除名するよう求めている。

 シュタインマイヤー大統領は、シュレーダーの親ロ路線を継承した政治家だった。現首相のオラフ・ショルツ氏(SPD)も、シュレーダー派に属した。ショルツ首相は10万人を超えるロシア軍がウクライナ国境に集結していた今年1月の時点でも、「NS2は純粋に民間経済のプロジェクトであり、政治とは無関係だ」という、親ロシア色をうかがわせる発言を行っていた。

 同氏が去年9月に完成したNS2の稼働許可申請を事実上却下したのは、プーチン大統領がウクライナ東部の「ドネツク人民共和国」と「ルガンスク人民共和国」の独立を承認した今年2月22日、つまりロシア軍のウクライナ侵攻開始の2日前だった。

 ドイツは当初ウクライナへの武器供与をためらい、同国に対戦車ミサイルなどを供与し始めたのは、NATO加盟国の中で一番遅かった。その背景にも、ロシアに対する配慮があったとされている。

BASF社長は「数十万人が失業」と警告

 SPDの主要政治家たちは、「ノルドストリームはロシアの政治的武器だから、建設してはならない」というウクライナやポーランドの警告を無視した。ロシアとの経済プロジェクトにのめり込んだ結果、ドイツは輸入ガスの約40%をいまだにロシアに依存し、毎日数億ユーロの代金を支払う状態に追い込まれた。

 ショルツ政権は、ロシアからのガス輸入を即時停止すると、自国経済に甚大な被害が生じるとして禁輸措置に反対している。ドイツ最大の化学メーカーBASFのマルティン・ブルーダーミュラー社長は、「ロシア産ガスの輸入が突然停止した場合、ドイツの製造業界には、第二次世界大戦後最も深刻な損害が生じる。我が社の本社工場は操業停止に追い込まれる。サプライチェーンが破壊されて、自動車業界や製薬業界にも悪影響が及び、ドイツ全体で数十万人が失業する」と警告している。ショルツ政権は、ロシア産原油と石炭の輸入は今年末までに終えられるが、ロシアからのガスの輸入を停止できるのは、2024年の夏になると説明している。

 だがブチャの虐殺が明るみに出てからは、ウクライナや東欧諸国から「ドイツはいつまでロシアに多額の金を払い続けて、プーチン大統領の侵略戦争を間接的に支援するのか」という批判が高まることは確実だ。たとえばリトアニア政府は、「ロシアは、もはや文明国には属さない」として、4月1日をもってロシアからのガスの輸入を停止した。ウクライナと東欧諸国は、ドイツ政府に対し「自国経済の安定」と「ウクライナ人の生命」のどちらを重視するのかという問いを突き付けるだろう。

 ショルツ政権のガス禁輸の決定が一日遅くなるごとに、同盟国のドイツへの信頼は崩れていく。数十年に及ぶ対ロシア政策の失敗は、同国の外交史上最も深刻な「蹉跌」である。この政策破綻は、欧州のリーダー国だったドイツを深い袋小路に追い込みつつあり、出口はいまだに見えない。ウクライナ戦争後の欧州では、ドイツの政治的・経済的な影響力は大幅に低下する可能性が強い。

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