*浜由樹子氏の講義をもとに編集・再構成を加えてあります。

主流派とは言えないドゥーギンの遍歴

浜 1980年代から思想家として活動を始めたドゥーギンは、当初はアンダーグラウンド集団の「ユジンスキーサークル」に所属し、ファシズムに同調した時期もありました。「ユジンスキーサークル」は一言でいえば反体制派なのですが、西側で一般的にイメージされるような自由を求めて戦う集まりではなくて、例えばルネ・ゲノン、ユリウス・エボラの怪しげな神秘主義思想やナチズムのオカルト論などに傾倒していた人々です。ソ連の凡庸さ、退屈な平等主義を嫌悪するというその体制批判は、ある意味では“遊び”の範疇を出ていません。

 しかし危険思想を持ち込んでいますし、ファシズムはタブー中のタブーですから、当然当局に踏み込まれて逮捕、解散ということになりました。興味深いのは、この頃の自分の思想遍歴を、ドゥーギンが全く隠そうとしないことです。自分の出版社を「アルクトゲイア」と名付けているのは、ナチスのオカルト論の影響です。神秘主義への傾倒を否定しないどころか、もう前面に出してくる。

 その後、彼は主流派のナショナリスト集団「パーミャチ」に入りますが、そこでも悪魔崇拝をしているなどと批判され、追い出されてしまいます。ところが、先に申し上げたように1990年代からブレイクします。出版活動だけでは飽きたらず、自身の政党であるユーラシア党を作ったり、あるいは青年ユーラシア同盟を立ち上げたりします。また、国防省の一部要人から支援を得て、1998年にはドゥーマ(=国家会議)の議長であったゲンナジー・セレズニョフの顧問としてポストを得るなど、政治の中枢に近付きました。

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