広島サミット後もG7議長国としての役割は続く(C)時事

 2022年2月24日のロシアによるウクライナ侵攻から一年。アジアでも有事の可能性が懸念される現在、この戦争から日本が学ぶべき「最も重要なこと」は何か。英国外交史と国際政治が専門の細谷雄一氏と、ヨーロッパの安全保障を専門とし、新著『欧州戦争としてのウクライナ侵攻』(新潮選書)を刊行した鶴岡路人氏が、「日本の喫緊課題」を語る。

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日本人の戦争観は「先の戦争」で止まっている

細谷雄一 ロシアによるウクライナ侵攻から一年を迎えて、鶴岡さんとこの一年間を振り返りながら、「欧州戦争」としての性格、そして「ロシア問題」について議論をしてきました。今回は日本との関係を考えてみたいと思います。この戦争が始まった頃から、力で現状を変更しようとする国家はロシアだけではない、日本にとってもまったく他人事ではないということが盛んに言われてきました。

 鶴岡さんはロンドン大学キングス・カレッジで「戦争研究」を修められましたが、戦後の日本では、戦争というものを学問の対象とはしてきませんでした。戦争を忌み嫌い否定すべきものとして、直視することを避けてきたと思うんです。さらには、第二次世界大戦後の戦争も直視してこなかった。朝鮮戦争、ヴェトナム戦争、湾岸戦争そしてイラク戦争と大きな戦争が起きてきましたが、これらの戦争を冷静に客観的に分析するのではなく、感情的に拒絶して、時には無視し、看過してきた。そのため我々は戦争がどういうものかを理解する機会を失って、結局は太平洋戦争が、我々にとって唯一の参照基準になってしまった。太平洋戦争は言わば「日本が起こした戦争」でした。今回のロシアがウクライナに仕掛けた戦争では、「戦争はいけない」という議論があって、それはその通りだけれども、「起こした側」と「起こされた側」ということを考えなければいけないとも思います。そこはいかがですか。

鶴岡路人 「戦争とは何か」ということは、今回のウクライナ侵攻で改めて日本人に突きつけられた巨大な課題だと思います。おっしゃるように、日本人の戦争観は「先の大戦」で止まってしまっているようです。いろいろ議論はあるでしょうが、「先の大戦」が、日本が攻められてはじまった戦争でなかったのは確実でしょう。その戦争に照らして「戦争はいけない」と言う場合、それは「侵略戦争はいけない」という意味だったはずですが、「あらゆる戦争がいけない」となってしまった。第二次大戦直後は、憲法の言う戦争放棄に自衛戦争が含まれるか否かが国会で問われるなど、侵略と自衛の差をめぐる議論が存在したものの、その後、その違いが意識される機会は減ったのだと思います。結果として、「戦争はすべてダメ」という理解になってしまった。そうすると、今回のウクライナのように、侵略に対して自衛のために戦っている国にも、「停戦すべきだ」という議論がなされることになってしまうのです。侵略をする国とされる国の違いが相対化されてしまう、ということでもあります。

 ともあれ、日本に関して「やってはいけない戦争」というのは、「日本が他国を攻めてはいけない」という話である一方、「日本が攻められる戦争」が具体的にイメージできていないという問題があります。日本にとって今後、蓋然性が高い戦争は、「日本が攻める戦争」なのか「日本が攻められる戦争」なのかと言えば、これは明確に後者なわけです。もちろん前者と言う人もいるわけですが、そのような人は、「侵略ができる国」にしてはいけないという意味で、「戦争ができる国」にしてはいけないと言っているわけです。

 我々が直面している、より現実的な挑戦が「攻められる戦争」だとした場合は、やはり日本を守らないといけない。その時に「戦争ができない国」では困るということです。端的に言って、日本人の戦争理解は第二次世界大戦以降、ほとんど変化していません。これはある意味では、成功の証なのです。日本が「戦闘」という意味で本格的に戦った戦争は、第二次大戦が最後だった。それ以降、戦闘に巻き込まれることがなかったため、国民の中での戦争イメージをアップデートする必要性が認識されなかったわけです。それ自体は幸せなことだったはずです。

 ただ、その結果として「古い戦争」をずっと語り続け、「古い戦争」を参照点に今回の戦争を理解することになってしまう部分があったのではないでしょうか。でも皮肉なことに、現在ウクライナで行われている戦争は、極めて古典的な要素が強く、その意味で、本来は日本人が最も理解できるはずの古典的な侵略戦争だと言えそうです。侵略国と被侵略国がこれだけ明確で、しかも戦車戦のような、我々が数十年忘れていたような古典的な戦闘が行われている。「やはり火力が重要だ」なんて、この数十年、考えてこなかったことです。ウクライナがあれだけ火力つまり砲弾を使ってしまうと、アメリカを含めて弾薬の在庫が一気に減少したりする。これも我々が想定していなかった事態です。さらにロシアという国が、住民を連れ去ったり、強制的に移住させたりしている。これはまさに日本人が一番よく覚えているはずのロシア人のやり口だったわけですよね。

次に来るのは「日本が攻撃される戦争」

細谷 考えてみると、近現代史の中で日本は、日清戦争、日露戦争――第一次世界大戦はやや特殊ですが、それでも日本から中国におけるドイツ領に戦争を仕掛けていて、そして第二次世界大戦と、常に日本が攻撃する側だったわけですよね。つまり近現代史においては、先制攻撃が「Japanese Way in Warfare」――日本の戦争のやり方であったわけです。ところが戦後においては、アメリカの圧倒的な軍事力に守られた拡大抑止、核の傘によって、攻撃される経験をしてこなかった。攻撃する経験もなければ、される経験もなかった。そうすると、戦前においても戦後においても、第二次世界大戦の末期を除けば、日本は圧倒的な軍事大国に攻撃される、あるいは侵略されるという経験をしてこなかった。おっしゃる通り、これは日本にとって非常に幸運なことだけれども、逆に、攻撃をされないようにするためにはどうしたらいいかという教訓と、攻撃された時にどうしたらいいかという教訓がない。

 もう一つ、おっしゃったことで重要なのは、日本が次に巻き込まれる戦争は、ほぼ間違いなく日本が攻撃する戦争ではなく、攻撃される戦争であろうということです。だとしたら我々が学ぶべきなのは、ロシアがどのように侵略を成功させるかという「攻撃する側」の教訓ではなくて、どのようにウクライナのように抵抗するかという教訓――侵略させない、あるいは占領されないということですよね。ウクライナにさまざまな形で協力する、連帯する、支援をするのと同時に、今のウクライナを見て、どのように抵抗するのか、どのように国土を守るのか、あるいはどのように抑止によって相手に侵略させないのかというところで、学べる教訓がたくさんあるはずです。

鶴岡 その「侵略・侵攻をさせてはいけない」ということですが、これは二つに分ける必要があると思います。今回の戦争が与える教訓の最大のものの一つは、「戦争を起こしてはいけない」「起こさせてはいけない」――つまり抑止が大事ということです。ウクライナが抵抗しているのは素晴らしいのですが、ウクライナにとっても、攻められない方が良かったに決まっています。戦争が一年間続いて、決着がまだ全く見えないということを考えると、さらに犠牲と破壊は大きくなってしまうわけです。犠牲と破壊はウクライナが抵抗すればするほど大きくなるのか、ここは大問題なんですが、では占領されれば破壊や殺戮は終わるのか――これはおそらく終わらない。

 このあたりはまた別の議論になりますが、重要なのは、ウクライナがどれだけ英雄的に戦おうとも、戦わずに済んだ方がよほど良かったということなのですね。これは相手がロシアであろうと中国であろうと、とにかく抑止が大事だというのが、我々にとっての最大の教訓だと思います。抑止が崩れたら、たとえどんなに頑張って英雄的に戦ったところで、あのように悲惨なことになってしまう。ウクライナ人をどれだけ英雄だと讃えたところで、国土は破壊され人は殺されているわけで、望ましい状況ではまったくありません。ですから、侵略はとにかく抑止しなきゃいけない。侵略を起こさせてはいけないということですね。

国際社会の支援は「当たり前」ではない

鶴岡 もう一つは、抵抗です。やはりウクライナが必死で抵抗している姿を見て、アメリカを含むNATOは徐々に本気になっていったということなんです。最初はまったく本気じゃなかった。侵略された国が国際社会から支援を受けるというのは、実は何ら当たり前ではないのです。2014年のクリミア併合の時には、誰もウクライナを支援しなかったわけです。当時は、支援する間もなく現状が変更されてしまったということでもありますが、いずれにしても、今回の戦争にあたっても、当初、米国を中心とするNATO諸国による武器供与は相当に慎重だったことは忘れてはなりません

細谷 G7もバラバラでしたから。今回、G7あるいはNATOが結束したのは、やはり2014年の反省があって、特に英米はたぶん、恥ずかしかったのだと思います。英米は1994年のブダペスト覚書で「ウクライナを守る」と言ったにもかかわらずロシアの裏切りによって挫折し、約束が守れなかった。ドイツとフランスも、今回は全力で支援していますが、それまでは経済的利益で前のめりになっていて、ロシアに強い姿勢が取れませんでした。サミットのヨーロッパ主要4カ国はそれぞれ、非常に恥ずかしい思いや挫折を味わった。そのことによって今、ヨーロッパは非常に強い関与をしている。ここには日本との温度差があるかもしれませんし、それを理解するためには、2014年の経験まで遡らないといけない。

鶴岡 2014年のクリミアの一方的併合の際の日本のロシアに対する制裁は、非常に甘かったわけです。当局者が「寸止め」や「最後尾戦略」などと自嘲気味に言うほど、名ばかりの制裁しか実施しなかった。「本心ではないが米国に付き合わざるを得なかった」というような発言も、政治家から相次いだわけです。おそらく本音でしょう。国際社会は全く一致していなかったし、米欧諸国の制裁も、今日の制裁に比べれば緩かった。そうするとロシアが「まあ、こんなものか」と思ってしまったとしてもおかしくない。この2014年の米欧日の対処が、プーチンの認識にいかなる影響をおよぼし、それが2022年のウクライナ全面侵攻にどのようにつながったのかについては、しっかり検証しないといけないと思います。

 ヨーロッパ主要国に関しては、それでも煮え切らないドイツということが大いに議論されてきました。しかし、日本にとって他人事ではありません。今のドイツの姿はまさに今後、東アジアで有事が起きた時の、たぶん右往左往するであろう日本の姿そのものではないでしょうか。

細谷 台湾有事の際には、間違いなく日本の中で中国に対して、同じような議論が出てくるでしょうね。

鶴岡 エスカレーションが危険だと。

細谷 おそらくこの一年間、鶴岡さんや筑波大学の東野篤子さんを始め多くの研究者がテレビや新聞で解説し続けたことによって、安全保障について日本国民の多くの人たちが貴重な学びと同時に非常に残酷な教訓を得ました。ウクライナで多くの人たちが亡くなる中で、我々は教訓を得ているわけです。けれども、ウクライナが日本であった可能性もあるし、台湾だった可能性もある。抑止が機能しなければ、そうなっていた恐れがある。そうならないために我々は、自分たちの将来の安全と、この地域の平和のためにも、ウクライナの戦争から適切な教訓を得ないといけません。

「第二次世界大戦の末期を除けば、日本は圧倒的な軍事大国に攻撃される、あるいは侵略されるという経験をしてこなかった。……攻撃をされないようにするためにはどうしたらいいかという教訓と、攻撃された時にどうしたらいいかという教訓がない」(細谷氏=右)

「ドイツの姿はまさに今後、東アジアで有事が起きた時の、たぶん右往左往するであろう日本の姿そのものではないでしょうか」(鶴岡氏)(C)新潮社

広島サミットだけが日本の仕事ではない

細谷 今年は日本が一年間、G7の議長国を務めることになります。5月には広島でG7サミットが予定されている中で、今の日本の役割、日本としてどういう対ロ政策をとり、どういうウクライナ支援が可能なのか。鶴岡さんがG7サミットでいちばん政府に期待していることは何ですか。

鶴岡 ウクライナ支援に関しては、武器供与ができないとしたら、経済面・人道面をどれだけ拡充して日本としての姿勢を示すことができるのかが問われます。ただ、そういった具体的な話は、もう少し早く出てきてもよかったと思います。この1月には岸田総理がフランス、イタリア、英国、カナダ、米国とG7諸国を歴訪しましたけれど、G7の結束が重要だというのが一番のメッセージだった印象です。結束が重要なのは当たり前で、日本はどういうアジェンダでG7の議論をリードしていくのかというところは、まだあまり見えていない。ここは若干懸念しているところです。

 その背景にある問題として指摘したいのは、G7をサミットとして見る日本的な見方なんだと思います。「サミット=G7」、「G7=サミット」という理解は、日本において強い気がします。自分の出身地でサミットを開くことができる首脳は少ないわけで、その意味で岸田総理も気合が入っているのはよくわかります。ただ、「広島サミットまであと何日」みたいなカウントダウンをしている時点で、G7の本質を取り違えているのではないか。サミットをホストするということ以上に、G7の「議長国」に注目して欲しいですね。これは1月1日から12月31日までのプロセスなんです。議論を一年間引っ張り続けるのがG7議長国の役目です。なので、広島サミットというイベントを一回やって成功したら終わりではないわけですね。5月以降もG7議長国としての役割は続くし、昨年の例で言えば、リモートも含めて毎月のように首脳会合や外相会合をやっている。しかも会合が開かれない時に声明のみを出すようなこともあったわけです。ですから5月以降も12月31日まで、日本は議論をリードし続けなければいけない、具体的なアジェンダをもって引っ張っていかなければいけないということです。

 日本が今年の1月1日からG7議長国になることは前もってわかっていたわけですから、5月の広島サミット一点張りではなく、1月1日から発信し続けるということが必要だったと思います。その観点で日本は、このような侵攻を許してはいけないし、侵略が成功するようなことがあってはいけないということを原理原則として唱え続ける責任があるわけですが、同時に具体論も引っ張る必要があるわけです。しかも岸田総理が主張するように、今日のウクライナは明日の東アジアかもしれないということを言い続ける、特にヨーロッパに対しては、関心がロシア・ウクライナに集中しがちななかで、インド太平洋の問題をインプットし続けるという観点で、G7議長国という役割は「使える」ということですね。

細谷 最後に重要な点をご指摘いただきました。やはり戦後の日本外交は、軽武装・経済重視という吉田ドクトリンとして、誤解されることもあり、ある程度は事実かもしれないけれど、経済的利益を追求することが外交の目標であるというのが、外務省にも根強い。一方で重要な国際秩序を擁護したり、規範を守ったりすることに対しては非常にシニカルな意見が強いですよね。その意味では今の岸田政権では、総理も林外相も、法の支配による国際秩序という原則、自由で開かれた国際秩序や、侵略を認めてはいけないという規範をかなり前面に掲げて主張している。これは安倍政権以降、菅政権、岸田政権と続いている日本外交の新しい流れだと思うんです。それを単なるスローガンではなく、実際に外交のアジェンダにしていかなければならない。政府の中でそれに対するシニカルな意見もまだ残っているような状況で、岸田総理や林外相は、ウクライナ戦争を適切に理解し、日本が何をするべきかという外交行動の選択肢を間違えてはいけない。そのためには岸田総理と林外相には、少なくともサミットの前までには鶴岡さんの本をぜひ読んでいただきたいですね。 (この回終わり)

【関連記事】『鶴岡路人✕細谷雄一|「プーチンの戦争」だけでは分からない全体像 ウクライナ侵攻から一年 #1』『鶴岡路人×細谷雄一|「ロシア問題」にどう向き合うか ウクライナ侵攻から一年 #2』もあわせてお読みいただけます。

*この対談は2023年2月20日に行われました

 

◎鶴岡路人(つるおか・みちと)

慶應義塾大学総合政策学部准教授。1975年東京生まれ。専門は現代欧州政治、国際安全保障など。慶應義塾大学法学部卒業後、同大学院法学研究科、米ジョージタウン大学を経て、英ロンドン大学キングス・カレッジで博士号取得(PhD in War Studies)。在ベルギー日本大使館専門調査員(NATO担当)、米ジャーマン・マーシャル基金(GMF)研究員、防衛省防衛研究所主任研究官、防衛省防衛政策局国際政策課部員、英王立防衛・安全保障研究所(RUSI)訪問研究員などを歴任。東京財団政策研究所主任研究員を兼務。著書に『EU離脱――イギリスとヨーロッパの地殻変動』(ちくま新書、2020年)、『欧州戦争としてのウクライナ侵攻』(新潮選書)など。

鶴岡路人著『欧州戦争としてのウクライナ侵攻』(新潮選書)

◎細谷雄一(ほそや・ゆういち)

API 研究主幹・慶應義塾大学法学部教授。1971年生まれ。94年立教大学法学部卒。96年英国バーミンガム大学大学院国際学研究科修士課程修了。2000年慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程修了。博士(法学)。北海道大学専任講師、慶應義塾大学法学部准教授などを経て、2011年より現職。著作に『戦後国際秩序とイギリス外交――戦後ヨーロッパの形成1945年~1951年』(創文社、サントリー学芸賞)、『外交による平和――アンソニー・イーデンと二十世紀の国際政治』(有斐閣、政治研究櫻田會奨励賞)、『大英帝国の外交官』(筑摩書房)、『倫理的な戦争』(慶應義塾大学出版会、読売・吉野作造賞)、『戦後史の解放I 歴史認識とは何か: 日露戦争からアジア太平洋戦争まで』『戦後史の解放Ⅱ 自主独立とは何か 前編: 敗戦から日本国憲法制定まで』『戦後史の解放II 自主独立とは何か 後編: 冷戦開始から講和条約まで』(新潮選書)など多数。

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