鶴岡路人×細谷雄一|「ロシア問題」にどう向き合うか ウクライナ侵攻から一年 #2

執筆者:鶴岡路人
執筆者:細谷雄一
2023年3月9日
エリア: ヨーロッパ
ロシアは我々と同じか? 違うのか?[「祖国英雄の日」の前夜に兵士と乾杯するプーチン大統領=2022年12月8日](C)Salma Bashir Motiwala / shutterstock.com

   2022年2月24日のロシアによるウクライナ侵攻から一年が過ぎた。新著『欧州戦争としてのウクライナ侵攻』(新潮選書)で、ヨーロッパ秩序の視点から戦争を分析した鶴岡路人氏が、著書で「論じ切れなかった」という「ロシア問題」とは何か。英国の外交史と国際政治が専門の細谷雄一氏と、過去100年のヨーロッパ政治史をふまえて解を探る。

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NATO拡大ばかりを責めていいのか

細谷雄一 ロシアによるウクライナ侵攻から一年を迎えるタイミングで『欧州戦争としてのウクライナ侵攻』を刊行されましたが、その本に書かれていないというか、問題提起があるけれども充分に論じられていない、しかし今回の戦争を考えるうえで大変重要な点についてお伺いしたいと思います。それは「ロシア問題」ということなんですが、これはどういうものでしょうか。

鶴岡路人 たしかにうまく論じ切れなかったところです。私は「ロシア問題」と呼んでいるのですけれど、ヨーロッパ秩序の中で、ロシアをどのように位置づけるのか。これは結局、冷戦終結の時に答えが出なかったんですね。

   冷戦期に想定されていた冷戦終結構想、さらには冷戦終結当時のビジョンとして、西も東もなくなり一つになるみたいなことがよく言われていて、そうなると当然、ワルシャワ条約機構とNATO(北大西洋条約機構)はなくなるだろうということだったんですよね。ただ蓋を開けてみると、いろいろと想定外のことが起きて、今日のような「冷戦後国際秩序」が生まれた。つまりNATOを中心として、旧東側の国々の多くもNATOやEU(欧州連合)に入るという形で、冷戦時代の西側のシステムが東へ拡大したわけです。それをロシアから見た時に、してやられた、こんなはずじゃなかったと思うのはやむを得ませんし、現実です。今日のロシアがNATOを嫌いなのも、快く思っていないのも当たり前なんですよね。

   ただ、この問題を議論すると、アメリカを中心とするNATOが、ロシアの窮状や屈折した思いや被害者意識をもう少し忖度し理解してあげて、仲間に入れてあげる努力が必要だったという言い方ばかりされがちです。それはたしかに全体像の中の一面ではあると思います。ただ他方で、こんな状況をもたらしたロシアは何をやっていたんですかということでもあるのですね。例えばポーランドを中心とする中東欧諸国は、NATOに入りたかったわけだし、すぐ目の前にロシアが存在するという緊張した環境の中で、かなりの決意をもってNATOに入ったわけです。そんな決意をさせてしまったロシアは、何をやっていたんですかと。もしロシアが本当に、自分は敵じゃないよと言うなら、納得させなければいけない相手はポーランド人であり、バルト諸国の人々だったはずなんですよね。そのような努力をしたのかを問わずに、NATO側、アメリカ側がロシアの傷の深さをどれだけわかってあげていたのかというだけの議論をするのは、非常に偏っているというのが一つです。

   もう一つ重要なのは、今回の侵攻を含めて、侵略国家への対応にあたっては、1938年のミュンヘン会談の経験が頻繁に言及されます。ナチスに対して当時のイギリスを中心とするヨーロッパが毅然とした態度を取れなかったミュンヘンの失敗を絶対に繰り返さないというのは、国際政治における大きな教訓として語り継がれています。ただ私は、これに若干の疑問を持っているんです。というのも、宥和(appeasement)というものは、人間の本性のかなりの部分を占めていると思うんですよ。怖い敵が現れた時、即座に戦う意思を持つ人はおそらく少数派で、普通は嫌なんですよ。どうやったらいなせるか、なだめられるか、ごまかせるかと考えるわけです。ちょっとお金をあげたり、領土を譲歩すれば帰ってくれるんじゃないか、諦めてくれるのではないか、とか。ミュンヘンの時のイギリスもそうだったわけです。ナチスの勢力拡大をちょっと認めてあげたら満足するだろうと。

鶴岡路人氏 (C)新潮社

   実は、同じことを2008年以降のNATOがやっているんです。ロシア・ジョージア戦争を見ても、当時のNATOは一気にロシアを敵と見なして、対ロシアの抑止防衛態勢を強化する方向に舵を切ることはしなかった。ジョージアはまあ、ちょっとした心の迷いでやったのかもしれない、また同じようなことはやらないだろうと思っていたら、2014年にはクリミアを一方的に併合してしまった。それでもまだNATOの中の議論は、しばらくは対ロ抑止に向かわず、ポーランドやバルト諸国への安心供与がメインだったんです。つまり、ロシアの行動を見ると近隣国が不安に思うかもしれないから、NATOがポーランドやバルト諸国で演習をして不安を解消してあげますね、というアプローチだった。その時はまだ、ロシアと本格的に対峙する覚悟はなかったんです。一つには、本格的に対峙するにはコストがかかるということですよね。もう一つは、ちょっと宥めればロシアだって改心するだろう、いい子になるだろうと。これは言わばミュンヘンの時の宥和の発想ですよね。多少は譲歩して相手が満足したり矛を収めるのを待つ。

   その結果、最終的に2022年2月24日のウクライナ侵攻に到達してしまったということで、NATO拡大を批判する人は、NATOがアグレッシブだったという言い方をするわけですけど、私は冷戦後の西側の対ロ宥和政策が最終的に失敗したのが2022年2月24日だったと考えています。だとしたら答えはもう明らかで、宥和ではない道を行くしかない。フィンランドとスウェーデンのNATO加盟申請もそうですし、NATOが東部方面(Eastern Flank)と呼ぶポーランドやバルト諸国へ、安心供与ではなく直接的に対ロ抑止として部隊を派遣する。こうしてNATOの冷戦後の対ロ宥和政策は終わりを迎えたわけですが、そうすると結局、ヨーロッパ秩序におけるロシアとは何なのかという問題も、振り出しに戻るわけです

ロシアは我々と同じか? 違うのか?

細谷 おっしゃるような「ロシア問題」というのは、安定的なヨーロッパ秩序を確立するための最も重要な問題の一つですね。ロシアをどう位置づけるかというのは、実は過去200年間、ずっと続いてきた問題です。そこで一貫している問いは、ロシアは我々と同じなのか、それとも違うのか。

   例えば冷戦後、多くの人たちがロシアは我々――これは西側の米欧人のことです――のようになるだろうと思った。けれども、それが裏切られる。一方で、あるところまでは来るわけですよね。サンクトペテルブルクのように、明らかにヨーロッパの文化・歴史・伝統を共有する部分がロシアにもある。それだけを見ていると、ロシアは我々ヨーロッパと同じである、あるいは我々と同じようになるであろうと思う。ところがそれが何度も裏切られて、代償として大きな戦争になったり侵略されたりという経験を繰り返してきた。

   ところで、実は同じことがアジアでの中国についても言えるのではないか。冷戦後の30年で、中国も民主化して経済成長をして、我々――ここには日本人が含まれます――と同じようになるだろうと。冷戦後の30年というのは、ロシアと中国へのいわゆる関与政策を続けるなかで、さまざまな配慮や忖度をし、支援し、あるいは交流することによって、いつかは我々と同じになるだろうという我々自身の淡い夢、期待が裏切られたことになっている。

細谷雄一氏 (C)新潮社

   話を戻して、ではヨーロッパにおけるロシア問題をどうするのか。ロシア問題というものに対して適切な解を見つけなければ、安定的なヨーロッパ秩序は得られない。では、ロシアに対して徹底した対抗と抑止を構築するのか。おそらく短期的にはそうなるでしょうけれど、中長期的には、おそらくドイツやフランスはそうではないオルタナティブを考える。それがおそらくは戦後ドイツのブラント首相が唱えた、ヨーロッパの分断解消を優先するオストポリティーク(東方政策)という形であったわけだし、遡れば19世紀後半にはビスマルクが提唱した三帝同盟という形で、ドイツとロシアは同盟関係だったわけです。言わばビスマルク時代のドイツは、イギリスやフランスよりもロシアの方が価値を共有する帝国であった。

   そう考えた時に、この「ロシア問題」には、今回の戦争によって質的に変化した部分もあると思いますし、この問題の解を考えるというのは、今回の戦争の、一時的な停戦ではなく、より安定的な戦争終結の交渉をする時の鍵にもなってくると思うんですが、現段階で鶴岡さんは、どのような解を考えていますか。

鶴岡 最大の問題は、ヨーロッパ内で意見の不一致が大きすぎることだと思うんです。ポーランドやバルト諸国にとってのロシアと、ドイツやフランスにとってのロシアは違いすぎます。プーチン政権を潰さないことには平和はやってこないと思う人と、ロシア軍が家に帰りさえすればいいんだ、そのあとプーチンが権力の座にどれだけ居座ろうが知ったことではないという人とを繋ぐのは、なかなか難しいと思うんです。

   ただ一つだけ見えつつあるのは、やはりヨーロッパとして、今後はロシアにはなるべく幻想を抱かないようにしようという感覚でしょうか。しかし、本当に抱かなくて済むかはまだわかりません。例えば、プーチンの後に40代くらいの英語を話すような指導者が颯爽と出てきたりしたら、「彼は話がわかる」みたいに、またコロッといってしまう可能性はあるんですよ。これは毎回繰り返しているんです。ゴルバチョフが出てきた時にみんな騙され、エリツィンが出てきて騙され、プーチンが出てきて騙され、メドベージェフが出てきて騙され……学ばないんですね。これは一部のヨーロッパだけの問題ではなく、アメリカの一部もそうだったわけです。それを一貫して冷ややかに見てきたのは実は日本かもしれない。G7がロシアを入れてG8になるにあたっても、日本は懐疑的でした。その意味では、かつての安倍・プーチン関係というのは、日本の伝統からはかなり離れていたのでしょう。

 我々がロシアの指導者に対する時に、今度こそは今までと違うロシアの新しい顔であって、今度こそは一緒に仕事ができる、協力できるみたいに思いたいし、思ってしまう危険は常にあると思うんです。このことの大元にあるのはやはりドイツ・フランス的な、ロシアはヨーロッパの一部である、だから最終的にはわかりあえるはずだという価値観ですね。しかしそれはポーランドなどには共有されていない。こうした異なる考え方をどうにか両立させるとしたら、抑止するにしても負担が大きくなりすぎない程度にやるしかない。ですから今のNATOは、どうにかみんなでできる程度、ドイツも付いていける程度で、ポーランドやバルト諸国などへの増派をやろうとしているんです。それでやりつつ、エネルギーなどはもう、事実上すでに脱ロシアが達成されたかたちになっているため、今後の課題は、それを続けていくレジリエンスをヨーロッパとして作っていくことになります。そうすると、ロシアにあまり左右されずに存在できるヨーロッパということになるんですね。このあたりが、ドイツ・フランスとポーランド・バルト諸国などがどうにか中期的ぐらいまでは折り合える部分ではないかと思います。

日本はドイツなのか、ポーランドなのか

鶴岡   日本の観点から一つ興味深いのは、ドイツとロシアの関係と日本と中国の関係の共通性です。いずれの関係にも敵対的要素はありますし、戦った歴史もあるけれど、お互いに必要としている部分もあるし、最後は分かり合えるだろう、というか分かり合えると信じたいという、ちょっとセンチメンタルな感覚もある。

   ただ、ロシアと中国を入れ替えて日本の立場を考えてみた場合、日本はヨーロッパで言えば果たしてドイツなのか、あるいはもっと前線のポーランドなのか。両方の要素が混ざり合っているようにも思います。混ざり合っているから悪いという話ではありませんが、ヨーロッパ秩序におけるロシア問題、そしてそこにおけるドイツとポーランドみたいなことを考えるのと比較して、アジアにおいて中国をどう位置づけるのか、そしてその時に日本の位置づけ、性格付けをどのように理解できるのかというところで、若干ねじれが生じているように思うのです。日本はドイツなのかポーランドなのか。どちらの要素が強いですかね。

細谷 ドイツと日本が違うのは、他の国と地続きか、海で隔てられているかという違いでしょうか。ドイツの場合は地続きだから、例えば、かつての東プロイセンなどはロシアと相当程度、文化的に共有するところがありますよね。ドイツの中でも東と西では、ロシア観がかなり違うと思うんです。日本はむしろ一体的な文化を育み、一体として大陸の中国を見てきたので、中国とは明確な断絶線がありますよね。台湾になるとより複雑で、実質的に中国とは独立した主権を持つけれど、海で隔てられている距離がありながら地続きのような歴史的な繋がりもある。

 結局のところ、ヨーロッパも文化的・歴史的な面だけではなく、エネルギー面でも完全にロシアなしで生きていくのが難しいように、アジアもおそらく中国なしで生きていくのは難しい。それとともに、日本はドイツかポーランドかというのは面白い設問で、いい答えがすぐには出ませんが、ヨーロッパでロシアをどう見るかということと、アジアで中国をどう見るかという問題に共通しているのは、結局どちらも100年間、答えが出ていませんね。

鶴岡 今後も出ないかもしれません(笑)。

細谷 お互いにどこまで一体化が可能なのか。完全に一体化する夢も裏切られるし、完全に敵対するということでも長続きしない。ロシア問題と中国問題の本質は、常に曖昧な二面性を持ち続けていることによって、お互いに悩み続けていると。つまりお互いにとって、機会にもなれば脅威にもなるという関係ですね。

   もう一つ、ドイツとポーランドの違いがあるとしたら、侵略された回数ですよね。ドイツの中にまだロシアに対する期待があるのは、歴史上ロシアに侵略された回数がそれほど多くないからかもしれない。ドイツは大国ですからね。ロシアという国家は、ある意味では軍事力という言語でしか会話ができない面があって、ドイツのような大国に対しては抑止が効いていて侵略ができないけれども、充分な軍事力がないポーランドの場合には簡単に侵攻できる。

   先ほどの話で、日本がドイツなのかポーランドなのかというのは、中国に対してどれだけ抑止力を持っているかということ次第かもしれません。充分な抑止力があれば、ドイツとロシアのようにある程度、対等な関係が作れるかもしれない。けれども充分な抑止力がなければ、ポーランドのように簡単に軍事攻撃の対象になってしまう。ロシアより中国の方が慎重だとは思いますけれども、これからの国際政治を理解するうえで、抑止が機能するかどうかということについて、我々は今まで以上に真剣に考えなければいけませんね。 (この回終わり)

*【関連記事】『鶴岡路人✕細谷雄一|「プーチンの戦争」だけでは分からない全体像 ウクライナ侵攻から一年 #1』『鶴岡路人×細谷雄一|戦争が日本へ突きつける「教訓」とは ウクライナ侵攻から一年 #3』もあわせてお読みいただけます。

*この対談は2023年2月20日に行われました

 

 

◎鶴岡路人(つるおか・みちと)

慶應義塾大学総合政策学部准教授。1975年東京生まれ。専門は現代欧州政治、国際安全保障など。慶應義塾大学法学部卒業後、同大学院法学研究科、米ジョージタウン大学を経て、英ロンドン大学キングス・カレッジで博士号取得(PhD in War Studies)。在ベルギー日本大使館専門調査員(NATO担当)、米ジャーマン・マーシャル基金(GMF)研究員、防衛省防衛研究所主任研究官、防衛省防衛政策局国際政策課部員、英王立防衛・安全保障研究所(RUSI)訪問研究員などを歴任。東京財団政策研究所主任研究員を兼務。著書に『EU離脱――イギリスとヨーロッパの地殻変動』(ちくま新書、2020年)、『欧州戦争としてのウクライナ侵攻』(新潮選書)など。

鶴岡路人著『欧州戦争としてのウクライナ侵攻』(新潮選書)

◎細谷雄一(ほそや・ゆういち)

API 研究主幹・慶應義塾大学法学部教授。1971年生まれ。94年立教大学法学部卒。96年英国バーミンガム大学大学院国際学研究科修士課程修了。2000年慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程修了。博士(法学)。北海道大学専任講師、慶應義塾大学法学部准教授などを経て、2011年より現職。著作に『戦後国際秩序とイギリス外交――戦後ヨーロッパの形成1945年~1951年』(創文社、サントリー学芸賞)、『外交による平和――アンソニー・イーデンと二十世紀の国際政治』(有斐閣、政治研究櫻田會奨励賞)、『大英帝国の外交官』(筑摩書房)、『倫理的な戦争』(慶應義塾大学出版会、読売・吉野作造賞)、『戦後史の解放I 歴史認識とは何か: 日露戦争からアジア太平洋戦争まで』『戦後史の解放Ⅱ 自主独立とは何か 前編: 敗戦から日本国憲法制定まで』『戦後史の解放II 自主独立とは何か 後編: 冷戦開始から講和条約まで』(新潮選書)など多数。

カテゴリ: 政治
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執筆者プロフィール
鶴岡路人(つるおかみちと) 慶應義塾大学総合政策学部准教授、戦略構想センター・副センタ―長 1975年東京生まれ。専門は現代欧州政治、国際安全保障など。慶應義塾大学法学部卒業後、同大学院法学研究科、米ジョージタウン大学を経て、英ロンドン大学キングス・カレッジで博士号取得(PhD in War Studies)。在ベルギー日本大使館専門調査員(NATO担当)、米ジャーマン・マーシャル基金(GMF)研究員、防衛省防衛研究所主任研究官、防衛省防衛政策局国際政策課部員、英王立防衛・安全保障研究所(RUSI)訪問研究員などを歴任。著書に『EU離脱――イギリスとヨーロッパの地殻変動』(ちくま新書、2020年)、『欧州戦争としてのウクライナ侵攻』(新潮選書、2023年)など。
執筆者プロフィール
細谷雄一(ほそやゆういち) 1971年生まれ。API 研究主幹・慶應義塾大学法学部教授/戦略構想センター長。94年立教大学法学部卒。96年英国バーミンガム大学大学院国際学研究科修士課程修了。2000年慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程修了(法学博士)。北海道大学専任講師、慶應義塾大学法学部准教授などを経て、2011年より現職。著作に『戦後国際秩序とイギリス外交――戦後ヨーロッパの形成1945年~1951年』(創文社、サントリー学芸賞)、『外交による平和――アンソニー・イーデンと二十世紀の国際政治』(有斐閣、政治研究櫻田會奨励賞)、『大英帝国の外交官』(筑摩書房)、『倫理的な戦争』(慶應義塾大学出版会、読売・吉野作造賞)、『戦後史の解放I 歴史認識とは何か: 日露戦争からアジア太平洋戦争まで』(新潮選書)など多数。
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