鶴岡路人×細谷雄一|「プーチンの戦争」だけでは分からない全体像 ウクライナ侵攻から一年 #1

執筆者:鶴岡路人
執筆者:細谷雄一
2023年3月8日
エリア: ヨーロッパ
(C)新潮社

 2022年2月24日のロシアによるウクライナ侵攻から一年が過ぎた。この戦争をどのように捉えればよいのか。ヨーロッパの安全保障を専門とし、新著『欧州戦争としてのウクライナ侵攻』(新潮選書)を刊行した鶴岡路人氏が、英国外交史と国際政治が専門の細谷雄一氏とともに一年を振り返り、日本人に見えにくい「欧州」という視座から戦争の全体像に迫る。

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ウクライナ存続は必然ではなかった

細谷雄一 2022年2月24日の、ロシアによるウクライナへの侵攻から一年を迎えました。一年を振り返って、この戦争をどう位置づければよいか。今のお考えはいかがですか。

鶴岡路人 この一年は、ウクライナが抵抗をし続けたということですね。やはりそれが非常に大きかったので、今日の姿になっている。逆に言えば、今日のような姿になっていなかった可能性も十分にあったと考えるべきだと思うんです。

 2022年2月から3月にかけて、ロシアはウクライナの首都キーウを包囲して数日で陥落させ、ゼレンスキー政権を崩壊させて、場合によっては傀儡政権を立ててと、非常に短期的な作戦としてウクライナを属国化する計画を持っていたと言われます。その計画があまりに杜撰であったことは後に明らかになるわけですが、ただ、ウクライナがここまで抵抗しなかったら、計画通りにいっていた可能性もありました。それを考えると、今日のように抵抗し続けているウクライナが存在しているのは、全く必然ではない。

 これは実は非常に怖いことで、プーチンは、2014年3月のクリミアの一方的併合のようなイメージでウクライナ侵攻を始めたのだと思います。もし数日で、破壊も少なく犠牲者もほとんど出さずに既成事実化されてということになると、米欧諸国、さらには日本を含めたG7は、厳しい対ロ制裁を実施するタイミングを逸していたでしょう。まして武器の供与をするようなタイミングもないまま新しい現実ができてしまい、渋々ながらではあっても、ウクライナ人もそれを受け入れざるを得ないという可能性もあった。それを考えると改めて怖いなと思います。独立した民主国家であるウクライナが今、どうにか存続しているというのは決して当たり前ではなかったということに、一年経って改めて気づかされます。

細谷 プーチン大統領とその周辺にとっては、おそらく想定外の連続で、こんなはずではなかったという気持ちがあると思います。お話を聞いて思い出すのは、一つは高坂正堯さんが『世界史の中から考える』で、「成功は長期的には失敗の種子を内包している」と書いていたことです。2014年のクリミアの一方的な併合は短期間で成功してしまった。当時は国際社会もその既成事実に関して無力だった。その「成功」と、国際社会の沈黙および無力感というものが、実は今回のプーチンの作戦のさまざまな落とし穴、失敗の種子として埋め込まれていた。もう一つは、クラウゼヴィッツが『戦争論』で、「戦争というものは、一度始まってしまうと、霧の中に包まれたように先が見えなくなる」というふうに書いていたように、当初立てていた戦争の計画が、いったん始まってしまうと次々と想定外のさまざまな摩擦や出来事によって思い通りに動かなくなっていく。クラウゼヴィッツが「戦場の霧」と定義した原理に関して、プーチン大統領はあまりにも無自覚なのかもしれません。

 こうして一年が経過した時に、今回の戦争はどのような戦争なのか。小泉悠さんは近著『ウクライナ戦争』(ちくま新書)の中で、「いろいろな新しい技術を使いながらも、『古い戦争』だ」というふうに書いていますが、戦争研究で学位を取られた鶴岡さんとしては、この戦争を、どういう性質の戦争と見ていますか。

鶴岡 クリミア併合との関連について言えば、2014年のクリミアの一方的併合と、今回のウクライナに対する全面侵攻との関係は、非常に二面的だと思います。一つは、おっしゃるようにロシアにとってうまくいきすぎた成功体験が落とし穴になったのですね。どこまで地元で歓迎されたかは大問題ですけれど、大きな抵抗がなかった。気づいたら既成事実化されていて、併合が何となく進んでいった。これをクリミアでできたのだから、ウクライナ全土でもできるだろうと。蓋を開ければ大きな勘違いだったわけですが、その勘違いを引き起こした成功体験だったことは事実なわけです。他方で西側――アメリカを含むNATO(北大西洋条約機構)諸国にとっても非常に大きな教訓で、最近ようやく、2014年の時にもう少し強く対処しておけば、プーチンはここまで思い上がらなかったのではないかという議論がヨーロッパの政治家などからも出てきています。これは非常に重要な点で、2008年にジョージアを攻撃し、2014年にはクリミアを一方的に併合し、成功体験を積み重ねさせてしまった。それなら今度はウクライナ全土を支配できると思わせてしまったのかもしれない。それをどこかの段階で西側は阻止できなかったのだろうか。これは我々に突きつけられた巨大な問いかけだと思います。ロシアにとっては短期間での既成事実化作戦という「クリミア・モデル」の失敗例になるのでしょう。

2022年2月24日、攻撃されるキーウ (C)Giovanni Cancemi / shutterstock.com

「欧州戦争」とはどういうことか

細谷 今回の戦争をどう位置づけるかを考える際、私は基本的に二つの見方があると思っていて、一つは「プーチンの戦争」ないしは「ロシアの戦争」という見方、もう一つが、鶴岡さんが新著のタイトルにした「欧州戦争」あるいは「ヨーロッパの戦争」という見方です。「プーチンの戦争」ないし「ロシアの戦争」というのは、旧ソ連圏のロシアという大国が近隣国に戦争を仕掛けるということで、2008年のジョージア戦争と2014年のクリミア侵攻は見事にロシアにとっての成功体験だったわけですけれども、もう一つ重要な経験があって、それが1999年から2009年までのチェチェン紛争です。これは国家間戦争とはやや違う性質のものですが、プーチンはこの時、首都グロズヌイを徹底的に空爆して廃墟にした。人道というものを全く考慮せず、首都を更地にするような戦争であったということと、さらに市長や司令官らを首都から安全な地域に避難させるという約束をしながら、その経路に地雷を撒いて皆殺しにするなど、非常に非人道的であると同時に、プロパガンダと虚偽に溢れた戦争を「対テロ戦争」だというふうに正当化して、国際社会の目を欺いたんですよね。これはもう一つの成功体験、ただし非常に苦い成功体験だったと思います。「将軍は一つ前の戦争を戦う」という言葉があります。プーチンは将軍ではありませんが、一つ前の戦争、つまりチェチェン戦争のような非常に血腥い戦争にシフトしてしまっていると思うんです。

細谷雄一氏 (C)新潮社

 一方で、鶴岡さんのおっしゃる「欧州戦争」で思い出すのは、1980年代にアメリカの国際政治経済学者ロバート・ギルピンが『War and Change in World Politics』(1981年、和訳は『覇権国の交代――戦争と変動の国際政治学』勁草書房、2022年)で、国際秩序の形成と戦争を一体化して考えていることです。つまり戦争によって国際秩序が変わるし、国際秩序の中には戦争が埋め込まれていると。そう考えると、ヨーロッパの国際秩序の中に今回の戦争が埋め込まれていると言える。「プーチンの戦争」という見方とはだいぶ違う見方で、「欧州戦争」あるいは「ヨーロッパの戦争」として理解するためには、冷戦後30年のヨーロッパの国際政治を理解しないといけないですよね。1990年のドイツ統一があり、1994年のブダペスト覚書があり、1999年からのNATOの東方拡大、さらにはコソヴォ紛争もあった。こういうヨーロッパの30年間にわたる国際政治の流れがわからないと、ウクライナの戦争もわからない。そう考えると、鶴岡さんは一貫して「欧州戦争」として――小泉悠さんのような「プーチンの戦争」あるいは「ロシアの戦争」という見方も必要だけれども、「欧州戦争」として見なければ、この戦争の重要な側面はわからないとお書きになっています。

 これに関連して、鶴岡さんの新著『欧州戦争としてのウクライナ侵攻』の魅力の一つは、「安全保障の教科書」にもなっているところではないかと思っています。例えば抑止の話が好例で、抑止には「懲罰的抑止」と「拒否的抑止」があるというお話なども書かれていますが、この抑止ということが今回の戦争でどれだけ重要かということが日本ではなかなか浸透しない。これは改めて議論したいところですが、日本の戦後の安全はやはりアメリカの拡大抑止が圧倒的に大きかったと思うし、これからの日本の安全を考えるうえでも、戦争を始めるのではなく、とにかく戦争をさせない、つまり抑止するということが重要になってくる。そのためには国民も政治家も、抑止が重要だということを理解すると同時に、抑止が何なのかということを理解しなければならない。ある意味では今回の戦争がその契機になるようにも思いますが、その点はいかがですか。

「抑止力」の本当の意味

鶴岡 そこは本当に大事なところで、言葉の上だけでなら、抑止という概念は日本ではだいぶ受け入れられてきたと思うんです。昨年12月の国家安保戦略もそうでしたし、さまざまなものに関して、抑止力の強化のためという説明がなされ、抑止力って重要なんだなと。ただ、理解がどこまで深まっているかについて、私はまだ懐疑的です。抑止の議論の根本的に厄介なところは、抑止が機能しているかどうかを証明できないことなんです。抑止というのは、崩れた時に、ああ抑止が失敗したなとわかる。効いている時には、抑止のおかげで――たとえば中国が攻めて来ないのかどうかはわからないんです。中国は最初から攻めるつもりはないのかもしれない。わからないので証明できない。抑止が成功したねと褒められるケースはなかなかないんですよ。

 ただ今回興味深いのは、おそらく歴史上かなり稀有な形で、抑止が可視化されていることです。それは、ウクライナとポーランドを比較すればわかりやすい。プーチンは、ウクライナの次はバルト諸国やポーランドを狙うのではないかと言われるけれど、実際は徹底的に慎重で、手を出さないわけです。武器の供与にしても、戦車を供与した国は参戦国と見なすなどと言うわけですけれど、ロシア側の発信をしっかり見ていくと、「ウクライナ領内に入った西側供与の武器は攻撃対象だ」という言い方をしている。ウクライナ領内にある、ウクライナが使える武器弾薬が攻撃目標なのは当たり前の話で、これは何の脅しにもなっていないわけです。

鶴岡路人氏 (C)新潮社

 もう一つ、興味深かったのは昨年の11月に――ウクライナ側からの最終的な発表はまだですけれど――ウクライナが撃ったとされる迎撃ミサイルがポーランド領内に着弾してしまった事故。あれで一気に世界中が震撼したわけです。あれがもしロシアのミサイルだったら――しかもポーランド人が2人、犠牲になっているわけですから、ロシアのミサイルがポーランドに着弾して、ポーランド人が犠牲になったとしたら、NATOの加盟国に対する攻撃をNATO全体への攻撃とみなすという第5条が発動するのか、NATOは報復としてロシアをミサイル攻撃するのかという議論が即座に始まったわけです。ですから世界中が焦りまくったわけですね。

 人数を比較しても仕方ないですけれど、ポーランドの田舎でポーランド人が2人犠牲になると、すわ世界大戦かと言って世界中が震撼する。でも、ウクライナではすでに何万人も亡くなっているわけですよね。ミサイルだって、当時はウクライナに対して1日100発規模の攻撃があったわけです。この残酷なまでの差が、同盟の「内」と「外」、同盟による抑止の対象と対象外ということなのかと、これは見ていて本当に背筋が寒くなりました。これほどまでに世界は不平等なのですよね。

細谷 2019年にマクロン仏大統領が「NATOは脳死状態」と言って物議を醸しましたが、今ほどNATOの価値が高くなったことはないですね。NATOと加盟国――ポーランドやバルト三国の人たちは、NATOに加盟して本当に良かったと感じているはずです。だからNATOが東方に拡大すべきではないというのはあくまでもプーチンにとっての話で、攻撃される恐れのあるポーランドなどの側からしたら、自分たちもひとつ間違えれば――つまりプーチンに忖度をしてNATOに加盟していなかったら、今のウクライナは自分たちだったかもしれないと思っているでしょう。そう考えた時に、期せずしてというか皮肉なことにというか、プーチン自身がこのNATOの第5条、集団防衛態勢がどれだけ重要かということをヨーロッパじゅうに示したとも言えますね。

鶴岡 それでフィンランドとスウェーデンも入りたくなった。

「話せばわかる」が崩れた世界

細谷 さらに重要なのが、安全保障というのは抑止だけではなくて、信頼醸成が必要であるということです。1990年代のヨーロッパはOSCE (欧州安全保障協力機構)やPfP(平和のためのパートナーシップ)など、信頼醸成に力を入れてきた。その一つの成果が1994年のブダペスト覚書だったと思うんです。アメリカとイギリスとロシアの三カ国が、ウクライナが核兵器を放棄してNPT(核拡散防止条約)体制に入れば安全を保証しますよと約束した。当時のウクライナは自らの意志かやむを得ずか――両方だったと思いますけど、信頼を選択したにもかかわらず、裏切られたわけですよね。

 裏切られたことによって、ウクライナにとっては、ロシアとの信頼関係によって自分たちの安全を守るという選択肢が消えたわけです。ウクライナはもう、抑止によって安全を確保するしかない。この抑止には自助努力による抑止と、NATOに加盟するという集団防衛による拡大抑止があったけれども、NATOのロシアへの配慮から、結局は自助努力という選択肢しかなくなった。ウクライナが今、ロシアに対して強い抵抗を示し持ちこたえている背景には、この30年にわたる冷戦後のヨーロッパの国際政治の積み重ねがあるわけです。

鶴岡 そこは本当に重要で、信頼醸成が可能なのは、要するに「話せばわかる」の世界ですよね。話してもわからない人とは安全が確保できないということです。ロシアとウクライナは、話してもわからない関係になってしまった。ただ非常に厄介なのは、NATOにもロシアへの配慮というのは当然あるわけで、ロシアにもある。NATOがロシアに配慮しているというのは、ロシアがNATOを抑止しているということなのですが、同時にロシアもNATOに配慮せざるを得ない。それはロシアがNATOから抑止されているということで、NATOと言うかアメリカと言うかは別として、いずれにしても核兵器を持つ大国同士で抑止し合っている関係がある。相互抑止です。その下で初めて、ヨーロッパの秩序というのが存在し得るわけなんですね。

 そこでウクライナの場合、たとえ2014年以降、NATOに入りたいという国論がどんどんまとまってきても、アメリカあるいはNATOに、受け入れる意思はなかったわけです。このあたりは、かなりリアリズムの世界、パワーポリティクスの世界です。アメリカがウクライナの安全にNATOの第5条のような形でコミットするかどうかは、今でさえかなり疑問なわけです。ロシアをあまり怒らせないためにウクライナはNATOに入れないでおこうということに関して、NATO諸国間では基本的にコンセンサスがあったわけです。

 ですから理想論は理想論としつつ、お互いに何となくの線引きがある。その中で秩序というのは存在するんだというパワーポリティクスの論理でまとまる世界に行きかけたところで、今回のウクライナの抵抗を見せつけられて、ちょっと待ったとなった。クリミアのように人がほとんど死なないのであれば、見て見ぬふりをする選択肢がNATO側にもあったはずです。というか、すでに述べたように、短期間で既成事実化されてしまえば、行動を起こす機会すらなかった可能性がある。しかし、ブチャやマリウポリなどでの殺戮にとどまらず、あらゆるところで悲惨な事態になってくると、さすがにウクライナは西側とロシアの間の緩衝地帯だから仕方がないというパワーポリティクス的な論理は存続し得なくなる。日本も含めてG7として、価値というものを見なくなった時に、我々は何のために何を守ろうとしているのかという話になるのですよね。ウクライナの惨状と勇敢な抵抗を見せつけられて、NATOとしては冷徹なパワーポリティクスの方向に話をまとめて、しょうがなかったねとする選択肢が失われたということです。

中東欧諸国が希求したNATO

細谷 非常に不幸なことながら、先ほども話した通り1990年代にはまだ信頼醸成や協調的な安全保障というものが論じられていたのが、今のヨーロッパにおいてはそれがほぼ消え去ってしまっている。そして、結局のところ集団防衛と抑止でしか自分たちの安全を守れないという認識が浸透してしまっている。けれども、そもそも1990年代になぜポーランドやチェコやバルト三国がNATO加盟を急いだのかと言えば、やはり過去一世紀の歴史がある。

 たとえば、1930年代にはウクライナなど旧ソ連の各地ではホロドモールという人為的な飢餓によって、数百万もの人たちが亡くなった。あるいは1939年のナチスによるチェコスロヴァキア解体。これはイギリスやフランスがナチスとの戦争を避けるためにチェコスロヴァキアを見捨てたわけですね。さらには1956年のハンガリー動乱も、1968年のプラハの春も、ソ連との核戦争を避けるために西側諸国は中東欧諸国を見捨ててきたわけです。20世紀の歴史は、国際社会が中東欧諸国を見捨ててきた歴史であって、それによって膨大な人たちが亡くなってきたわけですから、中東欧諸国の人たちは国際法や国際的な信頼ではなくて、軍事的な集団防衛のようなもので自分たちの安全を確保したいという強い願いがある。中東欧諸国では、過去100年の歴史で何度も大国による侵略の犠牲になって多くの人たちが、身近な人が亡くなってきた。そんな中東欧諸国が冷戦終結後、今度こそは平和で安全でいたい、その希求の結果がNATOだったわけですね。

 ですからNATOの東方拡大を批判する人たちは、やはりあまりにもロシアあるいはプーチン個人の利益や野望に忖度をしすぎていると同時に、この過去1世紀の中東欧諸国の残酷な歴史と、それゆえの平和や安全への強い希望をあまりに軽視しているのではないか。今回の戦争の背景としてヨーロッパの国際秩序の歴史を見なければいけないのに、「ロシアの戦争」という視点だけで見てしまうと、ロシアの利益やロシアの世界観に寄り添うことによって戦争終結を求めるというのは、あまりにも中東欧諸国の歴史を軽視することになるのではないか。そのようなことに気づかせてくれるのが、このたびの鶴岡さんの本の特長ではないかと思います。 (この回終わり)

*【関連記事】『鶴岡路人×細谷雄一|「ロシア問題」にどう向き合うか ウクライナ侵攻から一年 #2』『鶴岡路人×細谷雄一|戦争が日本へ突きつける「教訓」とは ウクライナ侵攻から一年 #3』もあわせてお読みいただけます。

この対談は2023年2月20日に行われました

 

 

 

◎鶴岡路人(つるおか・みちと)

慶應義塾大学総合政策学部准教授。1975年東京生まれ。専門は現代欧州政治、国際安全保障など。慶應義塾大学法学部卒業後、同大学院法学研究科、米ジョージタウン大学を経て、英ロンドン大学キングス・カレッジで博士号取得(PhD in War Studies)。在ベルギー日本大使館専門調査員(NATO担当)、米ジャーマン・マーシャル基金(GMF)研究員、防衛省防衛研究所主任研究官、防衛省防衛政策局国際政策課部員、英王立防衛・安全保障研究所(RUSI)訪問研究員などを歴任。東京財団政策研究所主任研究員を兼務。著書に『EU離脱――イギリスとヨーロッパの地殻変動』(ちくま新書、2020年)、『欧州戦争としてのウクライナ侵攻』(新潮選書)など。

鶴岡路人著『欧州戦争としてのウクライナ侵攻』(新潮選書)

 

◎細谷雄一(ほそや・ゆういち)

API 研究主幹・慶應義塾大学法学部教授。1971年生まれ。94年立教大学法学部卒。96年英国バーミンガム大学大学院国際学研究科修士課程修了。2000年慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程修了。博士(法学)。北海道大学専任講師、慶應義塾大学法学部准教授などを経て、2011年より現職。著作に『戦後国際秩序とイギリス外交――戦後ヨーロッパの形成1945年~1951年』(創文社、サントリー学芸賞)、『外交による平和――アンソニー・イーデンと二十世紀の国際政治』(有斐閣、政治研究櫻田會奨励賞)、『大英帝国の外交官』(筑摩書房)、『倫理的な戦争』(慶應義塾大学出版会、読売・吉野作造賞)、『戦後史の解放I 歴史認識とは何か: 日露戦争からアジア太平洋戦争まで』『戦後史の解放Ⅱ 自主独立とは何か 前編: 敗戦から日本国憲法制定まで』『戦後史の解放II 自主独立とは何か 後編: 冷戦開始から講和条約まで』(新潮選書)など多数。

カテゴリ: 政治
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執筆者プロフィール
鶴岡路人(つるおかみちと) 慶應義塾大学総合政策学部准教授、戦略構想センター・副センタ―長 1975年東京生まれ。専門は現代欧州政治、国際安全保障など。慶應義塾大学法学部卒業後、同大学院法学研究科、米ジョージタウン大学を経て、英ロンドン大学キングス・カレッジで博士号取得(PhD in War Studies)。在ベルギー日本大使館専門調査員(NATO担当)、米ジャーマン・マーシャル基金(GMF)研究員、防衛省防衛研究所主任研究官、防衛省防衛政策局国際政策課部員、英王立防衛・安全保障研究所(RUSI)訪問研究員などを歴任。著書に『EU離脱――イギリスとヨーロッパの地殻変動』(ちくま新書、2020年)、『欧州戦争としてのウクライナ侵攻』(新潮選書、2023年)など。
執筆者プロフィール
細谷雄一(ほそやゆういち) 1971年生まれ。API 研究主幹・慶應義塾大学法学部教授/戦略構想センター長。94年立教大学法学部卒。96年英国バーミンガム大学大学院国際学研究科修士課程修了。2000年慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程修了(法学博士)。北海道大学専任講師、慶應義塾大学法学部准教授などを経て、2011年より現職。著作に『戦後国際秩序とイギリス外交――戦後ヨーロッパの形成1945年~1951年』(創文社、サントリー学芸賞)、『外交による平和――アンソニー・イーデンと二十世紀の国際政治』(有斐閣、政治研究櫻田會奨励賞)、『大英帝国の外交官』(筑摩書房)、『倫理的な戦争』(慶應義塾大学出版会、読売・吉野作造賞)、『戦後史の解放I 歴史認識とは何か: 日露戦争からアジア太平洋戦争まで』(新潮選書)など多数。
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