対米投資80兆円で日本は「デジタル・リアル」の勝ち筋を掴め

執筆者:矢嶋康次 2025年8月20日
エリア: アジア
意思と戦略がなければ、日本は米国の「金づる」に終わってしまう (C)EPA=時事
日米関税交渉で合意した5500億ドル(約80兆円)の投資枠は、日本経済にとって産業空洞化リスクを孕んでいる。だが一方、371兆円まで積み上がった企業の現預金を成長投資に向かわせる絶好のチャンスでもあるはずだ。両国がサプライチェーン構築で連携する9分野は、製造やサービスとデジタル技術を結びつける「デジタル・リアル」に親和的だ。そして、この領域こそフルラインナップで製造業を有する日本の強みであり、人手や資材、エネルギーなど供給面での制約を抱えるという難題の突破口にもなるだろう。

 日米貿易交渉が合意に至り、日本は米国に対して、半導体、医薬品、鉄鋼、造船など、経済安全保障上重要な分野を対象に、最大5500億ドル(約80兆円)規模の投資を行うこととなった。赤沢亮正経済再生担当大臣は、この5500億ドルがドナルド・トランプ米大統領の任期中(今後3年半)に動く資金であるとの見解を示している。

 短期間での巨額投資が、日本にとって本当に意味を持つのか。その実効性は活用次第で大きく分かれる。仮に、この資金を有効活用できなければ、日本は深刻な経済的ダメージを被る。ただ、その一方で80兆円という外圧を好機と捉え、日本の「動かない常識」を打破できれば、日本の大きな転機となる可能性もある。

米国の「金づる」になってはならない──合意内容の早急な開示を

 8月5日、トランプ大統領は日本からの5500億ドルの投資について、「我々が好きなように使える資金だ」と発言した。

 これまで日本政府は、この枠組みについて、「日米双方にとって利益となる強靱なサプライチェーンを米国内に構築するため、政府系金融機関が出資・融資・保証を提供する」「日本企業や日本経済にメリットがなければ協力はできない」と説明して来た。両者の説明には、根本的な食い違いがある。仮に、この投資がトランプ大統領の主張どおりの内容だとすれば、日本にとって不利を極める合意となる。

 米国側が発表したファクトシートには以下のような記述がある:

・日本は米国の主導の下、米国の中核産業再建のために5500億ドルを投資する

・トランプ大統領の指示により、これらの資金は戦略的産業基盤に重点的に配分される

・米国はこの投資から得られる利益の90%を享受する

 石破茂首相は、トランプ政権が公表している日米関税合意に関するファクトシートに関して、日本版の公表を求められた際に「その方向で検討する」と発言している。日本政府は、今回の合意内容を明らかにしたファクトシートを直ちに公表し、国民および関係者に説明責任を果たすべきである。

対象となる9分野──海外投資の拡大にはリスクも

 この資金をうまく活用できるかについては、「米国に利用され、日本側はコストのみを負担するのではないか」との懸念が根強い。

 日本の年間設備投資(国内の有力企業)は約30兆円であり、今回の80兆円規模の投資枠は2年以上分に相当する。これらの投資は、日本のトップ企業が担う可能性が高い。対象となるのは最先端の9分野であり、この半導体、医薬品、鉄鋼、造船、重要鉱物、航空、エネルギー、自動車、人工知能(AI)・量子といった経済安全保障上重要な分野は、日本にとっても競争優位性を確保するうえで不可欠な領域である。

 ただ、企業の立場で考えると、中長期で市場と利益が見込めるならば、今回の動きを契機として米国での投資を加速し、そこで得た利益や収益を米国で循環させ、さらに事業拡大を狙うとの判断もあり得るだろう。その場合、当然ながら企業は儲かる。だが、こうした動きの結果として、日本経済には雇用や税収などが還元されない事態も生じうる。すなわち、「企業は勝つが、国は負ける」という産業空洞化リスクが高まるということである。

リアクションではなく──「なんとしても利用してやる」の視点

 一方で、こうした悲観論と逆の見立てをすることも可能だ。

カテゴリ: 経済・ビジネス
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執筆者プロフィール
矢嶋康次(やじまやすひで) ニッセイ基礎研究所 総合政策研究部専務理事 エグゼクティブ・フェロー。1968年生まれ。東京工業大学卒業後、日本生命保険入社。1995年にニッセイ基礎研究所へ入社。2012年よりチーフエコノミスト、2017年より研究理事、2021年より常務理事を兼務、2025年より現職。主な著書に『 非伝統的金融政策の経済分析──資産価格からみた効果の検証』(共著・日本経済新聞出版社)、『記憶の居場所(ときのすみか):エコノミストがみた日常』(慶應義塾大学出版会)などがある。
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