OISTの構想から設立まで、尾身幸次元財務相の尽力は大きいものがあった(「OIST」HPより)

 前回は、OIST(沖縄科学技術大学院大学)のガバナンスおよびそこで活躍する人々や役割などについて検討した。今回は、それらの人々が活躍する「場」について考えていきたい。別言すれば、舞台あるいは作品としてのOISTを考えることであり、OISTという別社会・別世界を探訪することでもある。

沖縄という「場」

 まず非常に興味深くかつ重要なのは、OISTが沖縄県国頭郡恩納村にあることだ。

 OISTが沖縄県に創設されたのは、尾身幸次元財務大臣の構想による。尾身氏が小泉純一郎内閣で2001年4月から2002年9月にかけて沖縄及び北方対策、科学技術政策の内閣府特命担当大臣を務めていたことに端を発するもので、ある意味、政治的イニシアティブによる偶然から生まれたものであり、従来の大学設置のなどの法的枠を超えているという意味で「超法規的」な存在だと極論することもできるかもしれない。

 OISTは、このような背景の下、その設置根拠である「沖縄科学技術大学院大学学園法」において、「国際的に卓越した科学技術に関する教育研究の推進を図り、もって沖縄の振興及び自立的発展並びに世界の科学技術の発展に寄与する」ことが目的であると規定されており、沖縄に設立されたのである。

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