鹿児島県の中高一貫校が、JAXAと連携して人材の育成に力を入れている。その背景には、「大隅」という場が持つ歴史と伝統がある。

 前々回、明治以降、我が国の基本的システムであった「千代田幕府」が機能不全になっていることをご紹介した(2023年2月6日『「千代田幕府」の成功体験を乗り越えよ』)。では、どうすればいいのか。

 変動する世界情勢に合わせて、適切に対応していくしかない。そのためには世界を知らねばならない。そして、世界を知るためには、国際交流が欠かせない。

図1

 実は、国際交流については、大きな国内格差がある。例えば、旅行客だ。図1は、コロナパンデミック前の2018年の県民1人当たりの海外からの旅行客の受け入れ数だ。最も多いのは山梨で、ついで沖縄、京都、北海道、大分、大阪と続く。逆に最も少ないのは埼玉で、茨城、福島、山口、島根と続く。「千代田幕府」のお膝元である首都圏は、日本国内で外国人の受け入れが多い地域ではない。

 なぜ、こうなるのか。それは地理的な要因が大きい。上位20県に中四国・九州からは8県も入っているのに、関東甲信越以東は4県しか入っていないのは、大陸からの距離の違いが影響しているのだろう。

 注目すべきは、この4県の特徴だ。多い順に山梨、北海道、東京、千葉となる。富士山、大自然、首都、国際空港・ディズニーランドと、国際的競争力を有する観光資源がある地域だ。横浜という知名度が高い都市を抱える神奈川が下位に低迷しているのは示唆に富む。これは神戸を抱える兵庫も同じだ。異国情緒溢れる港町は、日本人には魅力的でも、外国人にとっての重要性は低いのだろう。

 他人と親しくなりたければ、自分が、その人にとって魅力的でなければならない。これは、国際関係でも同じだ。国際交流を進めたければ、外国人が興味を持つコンテンツや人材を育成しなければならない。ところが、このことが真正面から議論されることはない。

 3月20日、インドを訪問した岸田文雄総理は、インド・太平洋地域のインフラ・安全保障支援のために750億ドル以上を投じると発表した。金を出せば、海外からの評価は上がるだろう。ただ、私の周囲のシンガポール人は、「先進国で最も財政赤字が深刻な日本が、国債で借金してまで、海外を援助するのは奇妙」という。もっと地に足がついた国際交流を考えるべきだ。

 この点で、私が注目している組織がある。鹿児島県立楠隼中学校・高等学校だ。2015年4月に鹿児島県の大隅半島にある肝付町に開校した、中高一貫の全寮制男子校だ。HPには「世界を見通すリーダーを育成するための課題研究等を展開」するとある。

 今春、大塚海征君という若者が同校を卒業し、島根大学医学部に進学した。難関である国立大学医学部に現役で合格した大塚君を通じて、「国際交流」について論じたい。

JAXAと連携した中高一貫校

 実は、大塚君は神奈川県横浜市出身だ。神奈川県には公立・私立の有名進学校が多数存在するのに、地元の学校でなく、楠隼中学高校を選んだのは、その校風に憧れたからだ。彼の興味を引いたのは、同校が宇宙航空研究開発機構(JAXA)と連携しているからだ。開校前の2013年11月、全国で初めて、JAXAが推進する宇宙を素材にした教育活動を進めるモデル校に認定された。同校にはJAXAの研究者が指導に来る。

右から筆者、大塚君。2021年1月5日、医療ガバナンス研究所にて

 彼が、私に連絡してきたのは2020年11月のことだ。「医学部進学を考えており、医療に関する見識を深めたい。新聞記事や書物で学んでいるが、12月に帰省する際には、医療ガバナンス研究所でインターンをしてみたい」という主旨のメールを送ってきた。

 JAXAと医学部と言えば、その関係を意外に感じる人もいるだろうが、両者は密接に関係している。先日、東京大学医学部を卒業した女性医師の米田あゆさんが、宇宙飛行士の候補に選ばれた。向井千秋さん、古川聡さんも医師である。

 宇宙では、様々な医学実験が実施される。医師の需要は高いようだ。このことは医学生の間では、よく知られており、医療ガバナンス研究所でインターンをしている京都大学医学部の斉藤良佳さんも宇宙医学を志している。

先輩から後輩へ伝える成功体験

 話を大塚君に戻そう。冬休みに入り、大塚君はやってきた。私の想像した通りの好青年だった。大塚君は島根大学医学部を目指していた。そして、どう受験勉強すべきか悩んでいた。楠隼高校は新設校だ。経験豊富な教員を揃えているだろうが、アドバイスを求めることができる先輩は少ない。

 このことは、受験勉強では大きなハンデキャップだ。私が卒業した神戸市の私立灘高校は、学校が特に受験指導をするわけではない。これまでに在籍した教師や生徒たちが築き上げてきた伝統に則り、時期がくれば、なんとなく勉強して、なんとなく合格する。勉強の仕方を、生徒が独自に創意工夫するわけではない。多くの教員もそうだろう。これが伝統だ。おそらく、高校野球の名門大阪桐蔭高校なども状況は変わらないだろう。

 伝統には弊害がある。何も考えずに敷かれたレールを走るため、自分の頭で考える力がつかない。自戒の念も込めて言うが、灘高から東京大学理科3類に進んだ人は、その後、あまり活躍しない。メジャーリーグで活躍する日本人も、古くは野茂英雄、最近は大谷翔平まで、全国的な野球の名門校の卒業生ではない。上原浩治や黒田博樹は、高校時代には補欠だった。自分の頭で考えて、這い上がってきたのだろう。

 ただ、いくら自分で考えると言っても、1人で出来ることには限界がある。新設校に在籍する大塚君にとって、先輩の存在は貴重だ。若者は、意識しないまま、周囲の影響を強く受けるからだ。ちなみに、大塚君が島根大学を選んだ理由の1つが、祖母の出身地であることだ。無意識に影響を受けたのだろう。

 私は、大塚君に、彼にとって身近な成功モデルを紹介したいと思った。幸い、私の周囲には1人だけ大塚君の関係者がいた。富永憲亮君だ。楠隼高校の1期生で、東京大学理学部を卒業後、野村総研に就職した。楠隼高校、東京大学では運動会(体育会のこと)剣道部に所属した。私も学生時代に剣道部に所属しており、後輩にあたる。実は、大塚君も楠隼高校で剣道部に所属していた。富永君は、大塚君が中学1年生の時に高校3年生で「神様のような存在だった」という。

 私は、大塚君に富永君を紹介した。富永君にとっても、優秀な後輩の存在は嬉しかったようだ。その後、2人はLINEでも繋がり、密に情報交換するようになった。富永君からは具体的で有用な様々なアドバイスを頂いたそうだ。大塚君は、「身近な成功事例」から、受験勉強に関する様々なノウハウを学んだ。そして、今春の快挙となった。

「薩摩」島津氏に臣従した「大隅」肝付氏

 大塚君、富永君の2人のことを考えると、鹿児島、特に大隅の歴史を意識せずにはいられない。彼らがこの地に集ったのは、大隅人の長年にわたる努力なしにはあり得なかったからだ。

 鹿児島といえば薩摩だ。この地から出た人物が明治維新を成し遂げ、近代日本を作った。鹿児島人は、今でもそのことを誇りに思っている。鹿児島空港から鹿児島市内まで西郷隆盛のキャラクターが溢れている。

 実は、大塚君、富永君が学んだ大隅半島は薩摩ではない。旧大隅国で、この地を治めたのは肝付一族だ。その本拠は肝付町にあり、楠隼高校も、この地に存在する。

 肝付家は武勇に秀でた一族だった。維新の志士たちが学んだ薩摩の秘剣自顕流は、もとは肝付氏の支流である薬丸家に伝わる剣法だ。別名を薬丸自顕流といい、シブがき隊の薬丸裕英は、その末裔だ。戦国時代、肝付一族は武勇の誉れ高い島津家を何度も破った。だからこそ、薩摩・大隅の国境には、戦国時代に「鬼島津」と恐れられた島津義弘が拠点を置き、後の加治木島津家の礎となった。

 ただ、島津家はあまりにも強かった。最終的には1574年に島津家に臣従する。この結果、大隅は薩摩に「隷属」し、大きな格差が生じる。一度でも大隅半島を旅行された方は、その開発状況が薩摩半島と違うことに驚かれるだろう。例えば、1987年に国分と志布志を結んでいた国鉄の大隅線が廃止されて以降、鉄道は走っていない。

 大隅半島を旅行すると、今でも、この地域の住民が薩摩に複雑な感情を抱いていることがわかる。鹿児島市から東に向かい、国分を越えたあたりから、西郷さんのキャラと出会うことはなくなる。知人の鹿屋出身者は、「我々は薩摩ではない」という。

研究機関や高等教育機関の誘致に尽力

 格差の中で最大のものは、教育だ。鹿児島市内には、旧制七高造士館の伝統を継ぐ鹿児島大学が存在するし、鶴丸高校、甲南高校、ラ・サール高校など、全国的に有名な進学校もある。このような学校からは2014年にノーベル物理学賞を受賞した赤﨑勇博士から、吉田憲一郎・ソニー会長まで、様々な人材が輩出されている。

 行政や政治も仕切る。現在の鹿児島県知事、鹿児島市長は、いずれもラ・サール高校から東京大学に進んでいる。鹿児島県からは衆参併せて9人の国会議員が選出されているが、このうち5人は鶴丸高校・ラ・サール高校・東京大学いずれかの卒業あるいは中退者だ。

 大隅は違う。現在、この地域選出の国会議員は森山裕だ。自民党の選挙対策委員長を務める大物だが、中卒後、働きながら、鶴丸高校定時制課程夜間部に通った苦労人だ。鹿児島市議会議員を経て、1998年に初当選した。

 森山以外に大隅出身の議員としては、田中派の大番頭として知られた二階堂進、自民党税制調査会の実力者として有名な山中貞則らがいる。いずれも叩き上げの苦労人だ。その仕事ぶりは、党人派政治家としていぶし銀だが、全国に通用する高等教育機関がない大隅では、エリート型の政治家を育てられなかったという見方も可能だ。

 ただ、一概に、どちらがいいとは言いがたい。鶴丸高校卒業の医師は「明治維新は兎も角、近年、薩摩出身のスケールの大きな政治家は少ない」と語る。このあたり、前述した灘高校に通じる。システムが完成すると、自分の頭で考える機会がなくなるのだろう。

 大隅の先人たちは、地元での高度人材の育成に力を注いだ。その1つが、研究機関や高等教育機関の誘致だ。1962年には、内之浦に東京大学生産技術研究所の関連施設として、ロケット打ち上げ施設が開設される。現在のJAXAの内之浦宇宙空間観測所だ。楠隼高校が、JAXAと連携するのは、このような経緯があるからだ。

 国立大学も誘致した。1981年に開校した鹿屋体育大学だ。全国で唯一の国立の体育大学で、アテネ五輪女子自由形800メートルで金メダルを獲得した柴田亜衣選手をはじめ、多くの著名なアスリートを輩出している。

 大塚君、富永君が剣道部に在籍したことは前述した。大塚君は幼少時より剣道を習っており、楠隼高校を選択した際に、「近くに鹿屋体育大学が存在することも影響した」と言う。高校時代に同大学の剣道部員から稽古をつけてもらい、多いに勉強になったそうだ。

 このような背景を知ると、楠隼高校の見え方は変わってくる。人材育成に力を注いだ大隅ならではの存在なのだ。立派な教育機関には、全国から有望な若者が集う。

 実は、富永君も地元出身ではない。彼の実家は長崎市だ。富永君が「楠隼に進みたい」と言ったとき、親御さんは「どうして、青雲じゃいけないの」と言ったという。青雲中学・高校は、長崎県の財界人が中心となり1975年に設立された長崎県を代表する進学校だ。富永君には、JAXAと連携し、世界に通用する人材を育成しようとする楠隼中高の姿勢が魅力的に映ったようだ。

大隅での人材育成を参考に

 なぜ大隅の人は、中央に依存しないのか。おそらく隣に薩摩という「大国」があり、依存しようにも出来なかったのだろう。

 さらに、この地域には、外部と連携して成功した「体験」があった。大隅半島の東に志布志という町がある。志布志湾に注ぐ前川の河口が、天然の良港として利用された。江戸時代には琉球を介した清国との密貿易で栄え、その町並みは「志布志千軒」と評された。若き日の西郷隆盛や大久保利通も参禅したという志布志の古刹大慈寺を訪問した時、和尚は「多くの地域は日本の中を見ていたが、日本の端である大隅は日本の外を向いていた。東京に背中を向けていたが、世界に真っ正面から向き合っていた」と筆者に語った。

 JAXAも鹿屋体育大学も、世界に通用する人材を育成している。このような人材の育成は、楠隼高校の校是でもある。世界に羽ばたくという精神こそが、大塚君や富永君など前途有望な若者を、都市部から大隅に呼び寄せたのだ。やがて、この2人の「成功」を知った若者が、全国から大隅に来るようになるだろう。この中から、世界に通用する人材が生まれるはずだ。

 世界、特にアジアでの相対的な地位が低下しつつある我が国が、どのようにして生き残るか、大隅の歴史は参考になる。

 

記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。