ベルリンの名所ブランデンブルク門の前で、地面にめり込んだスポーツ用多目的車(SUV)が登場。欧州連合(EU)が目指す内燃機関搭載の自動車規制に反対するドイツに抗議し、環境保護団体グリーンピースが設置した。(C)EPA=時事

「2035年以降はノーエミッションカー(CO2無排出車)以外の新車販売を禁止」というEUに対し、ドイツ政府のゴリ押しは合成燃料の例外扱いという譲歩を引き出した。ただし、今後のEUの方針も、あるいはBEVシフトを主軸にするドイツ自動車産業の投資戦略にも変わりはない。では、なぜいまドイツは合成燃料に拘り、その実効性はどれほどなのか。 

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 EU(欧州連合)は2035年以降、二酸化炭素(CO2)を排出しないノーエミッションカー(無排出車)以外の新車の販売を禁止するが、合成燃料(E燃料)を使う新車については、例外として販売を認めることを、3月28日決定した。

 今回の決定は、物づくり大国ドイツの勝利だった。EUエネルギー閣僚理事会がドイツ政府の要請を受け入れ、合成燃料に関する例外措置を認めたことに、同国の自動車業界・製造業界は安堵の表情を見せた。

ドイツ自動車業界は合意を歓迎

 たとえばドイツ自動車工業会(VDA)のヒルデガルド・ミュラー会長は「モビリティーの脱炭素化の主役はBEV(バッテリーを使う電気自動車)だ。しかし合成燃料を使う車は、欧州だけでなく世界中でカーボンニュートラルを達成するために、極めて重要な役割を演じる。合成燃料は、すでに使用されている内燃機関の車のCO2排出量を減らすためにも重要だ」と述べて、EU加盟国の合意を歓迎した。

 合成燃料は空気中のCO2と水素を合成して作られるので、その分大気中のCO2を減らす。合成燃料を燃やす際には生産時に減らしたのと同じ量のCO2が排出されるが、CO2の収支(プラスマイナス)はゼロとなるので、気候中立的あるいは持続可能(サステナブル)な燃料と見なされる。ミュラー氏は「合成燃料の使用を欧州だけではなく、世界の他の地域でも進める必要がある」と訴えた。VDAは、これまで一貫して「合成燃料の使用は、モビリティーのグリーン化に不可欠」という立場を取ってきた。VDAは、2050年までに同国の自動車業界のカーボンニュートラルを達成するという目標を掲げている。

 またドイツ機械工業連盟(VDMA)のハルトムート・ラウエン副専務理事も「短期間にCO2排出量を減らすという目標を達成するには、あらゆるテクノロジーを使うべきだ。その意味で、今回EUは賢い判断を行った」とエネルギー閣僚理事会の決定を讃えた。

 VDMAによると、現在欧州では約3億2000万台の乗用車が使われているが、その大半が内燃機関(ガソリンエンジンかディーゼルエンジン)を使っている。BEVの新車販売台数は増えつつあるが、現在使われている内燃機関の車が、BEVに切り替わるにはまだかなりの年月がかかる。欧州自動車工業会(ACEA)によると、2022年に欧州では約1129万台の新車が登録されたが、その内BEVは約158万台つまり約14%に留まっている。

 このためVDMAは、今使われている車の燃料を合成燃料に切り替えて、CO2排出量を減らす意味があると考えている。ただし合成燃料を生産する際に使われる水素は、太陽光発電設備や風力発電設備などからの再エネ電力だけで作られる、いわゆるグリーン水素であることが必要だ。さらにVDMAは、「合成燃料への投資は、船舶、航空機、建設機械といった分野にとってもプラスになる」と指摘する。

 ドイツの自動車ユーザー団体として大きな影響力を持つドイツ自動車連盟(ADAC)のカルステン・シュルツェ技術部長は、「合成燃料は、現在走っているガソリン車、ディーゼル車からのCO2排出量を減らすという意味で、重要な役割を果たすかもしれない」と語った。

 合成燃料のロビー団体「E燃料連合」のモニカ・グリーファーン会長は、「30年の時点で内燃機関の燃料に5%合成燃料を混合すれば、毎年CO2排出量を6000万トン減らせる。40年の時点で欧州で走っている車のうち、40%は内燃機関の車と推定されるので、合成燃料を混合することには意味がある」と指摘する。グリーファーン会長は、「EUの推計によると、BEVの普及により内燃機関の車の製造に携わっていた労働者約75万人が失業する。しかし合成燃料が普及すれば、この人々にとって新たな仕事が生まれるかもしれない」と雇用面での利点も強調した。

ドイツ政府、EU法案合意に土俵際で抵抗

 合成燃料をめぐるドイツ政府の態度はかなり強引だった。欧州議会は去年10月に「35年以降、BEVと燃料電池車以外の新車の販売を原則として禁止する」と決めていた。欧州議会は合成燃料については、「欧州委員会は合成燃料の扱いについて提案を作成すること」と指示していただけだった。ドイツ政府は、欧州委員会が合成燃料の扱いについて具体的な提案を打ち出さないことに、不満を強めていた。

 このためドイツ政府のフォルカー・ヴィッスィング連邦交通大臣が3月3日、EUエネルギー閣僚理事会直前の土壇場で「35年以降も合成燃料の新車販売が認められない限り、ドイツは35年以降の内燃機関の新車販売の禁止を含むEU法案に合意しない」と拒否権行使をちらつかせた。この発言は、欧州委員会の幹部たちに衝撃を与えた。EU加盟国は、CO2削減の上で重要な法案をめぐる協議が、最後の局面で決裂するという不名誉な事態を避けるために、ドイツに対して譲歩した。

 ドイツ政府のゴリ押しを理解するには、ヴィッスィング大臣が属する自由民主党(FDP)がどのような党であるかを知る必要がある。FDPは、ショルツ政権を構成する三党の中で、自動車業界と最も太いパイプを持つ。企業経営者や富裕層を重要な支持基盤とするFDPは、2021年5月に公表した、連邦議会選挙のためのマニフェストの中で「CO2削減の手段をBEVだけに絞るのは誤りだ。電池、水素、合成燃料など様々なテクノロジーを使う道も残すべきだ」と主張していた。

 同党は、2021年11月に社会民主党(SPD)、緑の党とともに公表した連立契約書にも「2035年以降も合成燃料を使う新車の販売を可能にする」という一文を盛り込ませた。

 さらに、ドイツの高速道路(アウトバーン)には、速度制限がない区間がある。緑の党は、高速道路の全区間で制限時速を導入することを要求していた。しかしこの公約は、連立契約書に盛り込まれなかった。高速道路での時速制限が連立契約書に盛り込まれなかったのは、FDPの要請によるものだ。ちなみにFDPのクリスティアン・リントナー党首(財務大臣)はカーマニアとして知られており、ポルシェのスポーツカーに乗っている。もしもヴィッスィング大臣が、EUとの協議で合成燃料を使う車についての譲歩を勝ち取れなかったら、FDPは連邦議会での選挙公約を破るところだった。内燃機関車の販売禁止を防ぐことは、FDPの悲願だった。

 実はFDPへの支持率は、最近急落している。アレンスバッハ人口動態研究所の世論調査によると、2021年11月にFDPへの支持率は14%だったが、今年3月には6.5%に激減している。去年10月にニーダーザクセン州で行われた州議会選挙では、FDPの得票率は4.7%と、議席を持つのに必要な5%に達することができず、議会から放逐された。

 支持率・得票率低下の背景には、「最近FDPの閣僚は環境問題で緑の党に譲歩しすぎている」という支持者の不満がある。このためヴィッスィング大臣は、FDPの支持率がさらに下がるのを防ぐためにも、土俵際でEUから合成燃料についての譲歩を引き出したのだ。だが他のEU加盟国の間では、ドイツの今回のゴリ押しについて「国内政治のために、EU全体の調和を犠牲にした」という批判の声が上がっている。

ポルシェが合成燃料に最も注力

 ドイツは、合成燃料の研究開発に世界で最も力を入れてきた国だ。同国政府は2021年から3年間にわたり、15億4000万ユーロ(2156億円、1ユーロ=140円換算)を投じて合成燃料の研究開発を助成してきた。

 製造業界で合成燃料の開発に最も熱心なのは、自動車メーカーのポルシェと、総合電機・電子メーカー、シーメンスの子会社シーメンス・エナジーだ。

 2021年9月に両社は、チリ南部で合成燃料生産のための実証実験を行うパイロット工場の建設を開始した。両社は陸上風力発電所や、グリーン水素を生産するために容量500万kWの水電解設備を建設し、2030年までに容量を2500万kWに引き上げる予定。ハル・オニと名付けられたこのプロジェクトで、両社は2022年に13万リットルの合成燃料を生産した。さらに2024年に5500万リットル、2026年に5億5000万リットルの合成燃料を生産する方針だ。

 ポルシェは2030年までにカーボンニュートラルを達成することを目指しており、合成燃料を自社のスポーツカーに使用する方針だ。ただし2019年にドイツで消費されたガソリンとディーゼル用軽油の量は420億リットルにのぼっており、チリで製造される合成燃料の量は大海の一滴にすぎない。

BEVよりも悪い合成燃料のエネルギー効率

 また、合成燃料の経済性については、ドイツでも意見が分かれている。チリの工場は実験施設であり、大規模な商業生産はまだ始まっていない。

 ドイツ公共放送連盟(ARD)によると、現在のところこの施設での生産量は1日あたり350リットル程度にとどまっている。この350リットルの合成燃料の生産費用は1万7500ユーロ(245万円)にのぼる。

 ドイツ・デュイスブルクの自動車研究センター(CAR)のフェルディナンド・ドゥーデンヘーファー所長は、「合成燃料は生産費用が極めて高く、効率が悪い」と述べている。彼はこの国で最も大きな影響力を持つ、自動車研究者の一人だ。

 低効率の一つの理由は、合成燃料の生産に必要なグリーン水素の費用の高さだ。

 再エネ電力だけから作られるグリーン水素は、天然ガスなどから作られるグレー水素に比べて生産費用が高い。国際エネルギー機関(IEA)によると、去年10月の時点でグリーン水素1キログラムを生産する費用は3.2~7.7ドルで、グレー水素の生産費用(0.7~1.6ドル)を大幅に上回っていた。

 ADACも「再エネ電力を合成燃料に変換する際に失われるエネルギーの量が多いので、合成燃料を使う乗用車のエネルギー効率は非常に悪い」と指摘する。

 米国の自動車エンジニア協会(SAE)は「BEVの場合、電力の40~70%を動力として使えるが、合成燃料で動力として使えるのは電力の6~18%にすぎない」と述べ、その非効率性を強調している。ドイツ電気・電子・情報技術協会(VDE)の試算によると、3メガワット(MW)の風力発電設備が1600台のBEVを充電できるとすると、合成燃料を使う車については、同じ電力量で250台しか充電できない。

 大規模な合成燃料の生産設備がまだなく、生産量が限られていることも問題だ。ポツダム気候影響研究所のファルコ・エッカート研究員は、「35年に合成燃料が実用化されても、優先的に使われるのは航空機、船舶、化学産業であり、乗用車に回せる分は極めて少ないだろう」と指摘している。

合成燃料の価格は下がる見通し

 ただしドイツには楽観的な意見もある。

 ADACは「ドイツでは再エネ電力の発電費用が化石燃料に比べて下がりつつある。このため2030年代までに、合成燃料の価格は1リッターあたり2ユーロ(280円)を割ることは可能だ」と推定している。ADACによると、今年4月4日のガソリン(スーパーE10)のリッター価格は1.802ユーロ(252円)、ディーゼル用の軽油は1.693ユーロ(237円)だ。

 ドレスデンで水電解設備を製造するサンファイアー社のカール・ベルニングハウゼン監査役会会長は、今年末までにノルウェーに年間1000万リッターの合成燃料を生産できる工場を建設する予定だ。同氏も、合成燃料のリッター価格を将来1.2~1.7ユーロ(168~238円)にすることができると予測している。

 合成燃料を使う新車の販売許可についての法制化もまだ終わっていない。欧州委員会は今後この例外規定について委託法令案を作成し、欧州議会の承認を得なくてはならない。その上で欧州委員会は24年秋までに、EUで認可される車種のリストに、「合成燃料だけを使う車両」という車種を加える方針だ。欧州議会の緑の党の議員たちは、ドイツ政府のゴリ押しによって、内燃機関の新車販売禁止に抜け道が作られたことに不満を抱いており、法制化までには紆余曲折も予想される。

独自動車業界の重点はBEV

 ちなみにポルシェの親会社であるフォルクスワーゲン(VW)も含めて、ドイツの大半の自動車メーカーは、今のところ投資の重点をBEVに置いている。

 19年にはドイツで登録された新車にBEVとPHV(プラグインハイブリッド)が占める比率は3.1%だったが、20年に政府が購入補助金の額を引き上げたことから、22年にはこの比率が31.4%に激増した。ショルツ政権は今年1月1日からプラグインハイブリッド(PHV)向けの購入補助金を廃止し、BEVに一本化した。このことから、政府がBEVを最重視していることは明らかだ。ドイツでは現在約100万台のBEVが走っているが、ショルツ政権は30年までに普及数を1500万台に引き上げるという目標を持っている。しかしBEV拡大のネックは、急速充電器が少ないことと、新車の価格の高さ、内燃機関の車に比べると、中古車市場が充実していないことだ(コロナ禍以前のドイツでは内燃機関を積んだベンツやBMWでも、3万キロほど走ると、中古車市場に売られて、新車のほぼ半分の値段で状態の良い車を買うことができた。BEVの場合、まだこうした中古車市場がない)。

 ドイツ連邦自動車局(KBA)によると、現在ドイツで使われている乗用車の中でBEVの比率はまだ2.1%にすぎない。この国で毎年登録される新車の中でBEVの比率が増えていくことは間違いないが、普及にかなりの時間がかかるだろう。その意味で、合成燃料がエネルギー効率の悪さと経済性の低さというハードルを克服できた場合、現在すでに使用されている内燃機関の車のCO2収支改善につながる余地はある。

 リントナー財務大臣(FDP)は、EUエネルギー閣僚理事会の合意後、「車両税制を見直して、ガソリンやディーゼル用軽油よりも合成燃料を優遇する」という方針を打ち出している。今後ドイツ政府は合成燃料についても、再エネ電力やグリーン水素と同様に、思い切った助成措置を打ち出す可能性がある。

エンジン車の未来は厳しいまま

 日本の製造業界では、今回のEU合意について関心が強い。「合成燃料についての妥協は、EUが35年以降、内燃機関の新車販売を禁止するという方針を変更する兆しだろうか?」という質問も受ける。答えはノーだ。確実に言えることは、今回の決定は将来日本のハイブリッド車などの新車販売を可能にするための「蟻の一穴」ではない。今後の欧州の自動車業界の、乗用車に関する開発戦略や政府のモビリティー政策の中心はあくまでもBEVであり、合成燃料に関する例外措置は、選択肢の幅を広げたにすぎない(水素を使う燃料電池は、主に重量が重い長距離トラックに使われる見込みだ)。

 たとえばショルツ政権は、30年までに1500万台のBEVをドイツで普及させるという目標を変えていない。政府は、30年までに運輸・交通部門からのCO2排出量を90年比で48%減らすという目標を達成しなくてはならない。ドイツには去年12月末の時点で約7万7000基のEV用充電器が設置されているが、政府はこの数を30年までに100万基に増やすという目標を公表しており、26年までに充電器増設のために63億ユーロ(8820億円)の予算を投じる予定だ。

 また欧州最大のVWグループが21年に世界で売った車のうち、44%は中国での販売だ。中国でBEVが極めて重要であることを考えると、VWはBEVに力を集中せざるを得ない。

 しかも本稿で説明したように、合成燃料はエネルギー効率の悪さ、生産費用の高さ、生産キャパシティーの制約、再エネ発電設備の伸び悩みなど、これから克服しなくてはならない様々なハードルを抱えており、早期に普及するかどうかは未知数だ。

 さらに今回の合成燃料に関する妥協は、ドイツのエネルギー政策の変更を意味するものではない。

 ドイツは予定通り、4月15日に最後の原子炉3基を廃止した。廃止日を3カ月半延ばしたのは、ロシアのガス供給停止により、22年から23年にかけての冬に電力不足の懸念が生じたことに対する、短期的な緊急避難措置にすぎない。ドイツ政府は30年までに石炭火力・褐炭火力発電所も全廃するという目標を堅持している。30年までに電力消費量の80%、35年までにほぼ100%を再エネでカバーする方針だ。またショルツ政権は、45年までにカーボンニュートラルを達成するという目標も変えていない。

 これらの事実から、ドイツ政府と自動車業界のモビリティー転換にとって、乗用車は当面BEVが主役に留まる可能性が強い。合成燃料は、現在すでに使われている内燃機関車のCO2排出量を減らすのに貢献しうるが、モビリティー転換のためのテクノロジーに新しく加わった選択肢に過ぎず、あくまでも脇役と考えるべきだろう。

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