過激派組織「バンサモロ・イスラーム自由戦士(BIFF)」(C)AFP=時事

 

 2008年の交戦再発後の膠着状態に風穴を開けたのは、2011年に開催された成田でのベニグノ・アキノ3世大統領とムラド・イブラヒムMILF(モロ・イスラーム解放戦線)議長との初の極秘トップ会談だった。その後、和平の機運が高まり、2012年10月に大統領府とMILFとの間で和平合意の枠組みに達し、2014年3月、包括的和平合意[1]の締結につながった。マレーシアによる仲介、国際コンタクト・グループによる側面支援が奏功した。

 しかし、実際にバンサモロ・ムスリムミンダナオ自治地域(BARMM)・政府が設立されたのは、和平合意締結から5年後の2019年2月だった。

 なぜ、これほどまでに新自治地域・政府設立に時間を要したのか。そして、こうした事態に、日本はどのように対応していったのか。本稿では、再々度交戦が発生した2015年までの経緯を、今後の「平和構築活動」へのインプリケーションも念頭に置いて詳しくみていく。

1. 交渉停滞の打開策としての「和平プロセスの国際化」

 2008年8月に発生した交戦は、同年8月4日、マレーシアでの枠組み合意[2]の調印式直前に、「和平妨害者(peace spoiler)」[3]とみられる新自治領域に含まれる既得権者や一部国会議員が同合意内容の違憲性を根拠に最高裁判所に提訴し、最高裁判所が署名の一時停止命令を出したことに端を発する。

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