ウクライナを支援するため、防弾チョッキなどの防衛装備品を航空自衛隊の給油輸送機KC767に積み込む自衛隊員=2022年3月8日、愛知県の航空自衛隊小牧基地 (C)時事

 

 ロシアのウクライナ侵攻から既に1年3カ月近くになるが、自民・公明両党は、やっと防衛装備品の海外移転に関する「防衛装備移転三原則」を見直す協議を始めた。殺傷能力のある装備品の輸出を初めて認めるかどうかが焦点となるだろう。昨年12月、政府が閣議決定した「国家安全保障戦略」には、防衛装備品の海外移転は、侵略や武力による威嚇を受けている国への重要な支援になるとして、移転のルールを厳格に定めた「防衛装備移転三原則」の運用指針などを見直す方針を示している。自民党内には、速やかに一定の結論を出すべきだという意見がある一方、公明党内には慎重な意見も根強い。海外への装備移転は、紛争を助長するおそれがあり、慎重にすべきという考えを反映しているのだろう。

武器輸出制限に至るまでの国内政治史

 そもそも、なぜこれまで防衛装備品の海外移転を厳格に管理してきたのか。その原則を打ち出したのは、1967年、佐藤栄作内閣の国会答弁によってである。その答弁において、共産圏諸国、国連決議による禁輸国、国際紛争当事国等には武器の輸出を認めないという原則を明確にした。言い換えれば、この時点では、それ以外の地域については武器の輸出を認めていた。

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