鶴岡路人×東野篤子|「宙ぶらりんのウクライナ」問題をどうするか――二年目に入ったウクライナ侵攻 #1‐1

執筆者:鶴岡路人
執筆者:東野篤子
2023年4月8日
タグ: ウクライナ EU NATO
エリア: ヨーロッパ
ウクライナは地理的にはヨーロッパでありながら「東西の分断線を引き直す」という冷戦後の変革の中に入らなかった[2023年4月5日、ワルシャワ](C)AFP=時事

 ロシアによるウクライナ侵攻は二年目に入り、現在も激戦が続く。この戦争をどのように捉えればよいのか。ヨーロッパの安全保障を専門とし、新著『欧州戦争としてのウクライナ侵攻』(新潮選書)を刊行した鶴岡路人氏が、ヨーロッパの国際政治が専門で、ウクライナ研究会副会長も務める東野篤子氏とともに、「ウクライナはヨーロッパなのか、違うのか」という問題を考える。

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「宙ぶらりん」のウクライナ

東野篤子 ご著書の始めに「そもそも、ウクライナは欧州である。同国のEUやNATOへの加盟問題は、それ自体が論争的ではあるものの、ウクライナが欧州の国であり、ウクライナ人が欧州人であることへの異論はあまりないようにみえる」(10ページ)とあります。私はこれが当たり前のこととして認識されず、当たり前を前提としたヨーロッパの政策が取られなかったことが、ウクライナの危機を生み、ロシアによる侵攻を防げなかった原因ではないかと思うんです。

 本書では「この戦争を防げなかったのか」という点にも紙幅が割かれています。「なぜ起きたか」「防げなかったのか」の二本立てで考えることに大賛成ですけれども、私は「なぜ起きたか」は長期的に捉えるべきで、「防げなかったのか」の方は、それでも何かできることはなかったのだろうかという問いを立てる必要があるとも考えます。この「防げなかったのか」「何ができたのか」の中には、ヨーロッパ(EU=欧州連合、NATO=北大西洋条約機構)のウクライナに対するアプローチに相当な問題があったことも含まれます。つまり、「ウクライナは欧州だということに疑問はない」というのは、ウクライナ側から見れば「本当にそう思ってくれていたなら、何か打つ手があったのでは」と思う部分もあるのではないかと。

 そのすぐ後には「『欧州』には、欧州各国の他、EUやNATOが含まれる」(11ページ)ともあって、こちらの方が、私たち日本人やヨーロッパの人たちにとって本音だろうと思います。EUが2002年12月のコペンハーゲン欧州理事会で東方拡大を決定した時に、EUはウクライナと国境を接することを運命づけられていたけれども、それ以降の政策は、有り体にいえばウクライナから不安定を輸入しないための予防的措置であり、ウクライナとの関係強化そのものが目的であったわけではなかったと思うんです。ヨーロッパとウクライナの関係を、そのあたりから考え始めるのはいかがでしょうか。

東野篤子氏(C)新潮社

鶴岡路人 おそらく一番本質的な問題は、「ヨーロッパにとってのウクライナ」をどう位置づけるかということですね。私が「ウクライナはヨーロッパである」と書いたのは、あくまで「地理的に確定している」という意味でした。「ロシアはヨーロッパか」という問題もありますが、少なくともロシアの西の方――例えばサンクトペテルブルグがヨーロッパではないと思う人はほとんどいない。ウクライナ全体がサンクトペテルブルグより西にあるわけではありませんが、ロシアの西の方がヨーロッパだという合意があるなら、ロシアよりおおむね西寄りに位置するウクライナは、少なくとも「地理的には」ヨーロッパであろうと。ただし、NATOやEUの一部ではない。そういう国はモルドヴァなど、他にもいくつかあるわけです。地理的にヨーロッパだとして、そこから先はどうしようという問題ですね。

 さらにいえば、ヨーロッパと西側は、ウクライナを仲間に入れたいと常に考えてきたわけではない。NATOもEUも、お荷物になるような国は入れたくないというのが本音なわけです。その結果として、ウクライナは長らく「宙ぶらりん」の状態に置かれることになってしまった。

 ロシアによる一方的なウクライナ全面侵攻が2022年2月に始まってから、NATOもEUもウクライナへのコミットを劇的に強化しているわけですが、それ以前に30年以上も宙ぶらりんのまま放ってきたのは誰なのか。この「宙ぶらりん」というのは、結果としてそうなってしまったわけではない。ここは非常に重要で、ウクライナがNATOにもEUにも入れていないのは、自然の結果ではないんです。

 NATOやEUが組織として「入れない」という決定をしたつもりがなかったとしても、「入れる」という決定もしていない以上は、そこにも責任が生じます。だからこれは外から見た時に「宙ぶらりん」なわけで、当事者のウクライナにとっては、「宙ぶらりん」というのはとんでもない責任逃れの言い訳なんですよね。NATOもEUもウクライナを入れるつもりがなかったのです。別のいい方をすれば、加盟させようとして戦争が起きたのではなく、加盟させなかったために、それが戦争の一因になってしまったということになります。

 ヨーロッパが今まさに問われているのは、この「宙ぶらりん」の状態が戦争を生んだ一因だったと考えた時に、では戦争の後はどうするかということです。侵攻が始まってから急にNATO加盟やEU加盟が議論されているように見えるのは、ウクライナが申請をしたからでもあるわけですが、ウクライナをNATOやEUに本気で入れるという合意は本当にできたのか。私はまだ懐疑的です。

 もちろんNATOは2008年4月のブカレスト首脳会合で、ウクライナとジョージアに関して「将来的に加盟国になる(will become members)」と述べ、その立場はこれまでずっと維持されているというのが公式見解です。ただし、この文言で本当に加盟にコミットしたかというと、かなり怪しいところがある。EUに関しても疑問で、加盟候補国の認定はしたけれど、それだけではウクライナの加盟へのコミットメントとはいいがたい。結局はまだ宙ぶらりんなんです。

「よそ者」としてのウクライナ

東野 2008年のNATOのブカレスト首脳会合での話と、EUの加盟候補国の地位の認定の話は、NATOとEUの加盟プロセスの細かいところを飛ばせば、おそらく同じレベルの話ですね。2008年の時には、もうこれでNATOに入るんだとウクライナもジョージアも、ロシアですらも思った。でも、今でもまったく動いていない。EU加盟候補国にしても、候補国の地位を得てすぐEUに入れた国なんてどこにもないわけです。

 この「宙ぶらりん」の状態が戦争を生んだのか、そうだとするとこの後どうするかという問いは非常に重要ですね。ただ、ウクライナからすると、この問いの立て方にも大きな不満があるはずです。本当に「宙ぶらりん」の状態が戦争を生んだと思っていますか? と問いたいのではないでしょうか。

鶴岡 「宙ぶらりんの状態が戦争を生んだ」とという表現は強すぎますね。。「宙ぶらりんの状態の中で侵攻が行われた」というべきでしょうか。

東野 あるいは、「侵攻を許してしまった」としましょうか。ウクライナの人たちにとって、「宙ぶらりんの状態」は運命論として語れないからです。先ほどいったように2002年12月のポーランド、ハンガリー、スロヴァキアのEU加盟に関する決定(加盟は2004年5月)、そして2007年1月のルーマニアの加盟によって、EUとウクライナが国境を接することが決まった。この拡大が始まる前の時点からEUは「欧州近隣諸国政策(European Neighbourhood Policy)」と呼ぶ政策を始めます。これ以前は「広域欧州圏(Wider Europe)」と呼んでいて、この時に政策の改名を含むドタバタがあったんですけれど、これはやはり「危ないよそ者」――ヨーロッパに危険をもたらすかもしれないウクライナというよそ者を、どのようにうまく扱って、できるだけヨーロッパに迷惑をかけないようにするかという政策ですよね。

鶴岡 「よそ者」というところは、もう少ししっかり議論した方がいい。西ヨーロッパから見た時に、ウクライナには、ポーランドやチェコなどとは線引きが可能な異質さがあります。その違いの本質は何なのでしょうか。ポーランドだってある意味で異質だけれども、異質の度合いがポーランドとウクライナの国境を越えるとさらに拡大する。この理由は何ですか。

鶴岡路人氏(C)新潮社

東野 これは経緯も言説もとても大事で、ポーランドやハンガリーがEUに加盟したいと望んだ一番のポイントは、「ヨーロッパに戻してくれ(Back to Europe)」だった。ポーランドやハンガリーのロジックとしては、冷戦時代にはマーシャル・プランに入れず、冷戦期のヨーロッパ統合にも参加できず、ずっと懇願してきたのに誰も味方をしてくれなかったけれど、東側に取り残された自分たちを、今こそヨーロッパに戻してくれますねということが大きかったと思います。実際に政治・経済・法体系という三つ巴のEU加盟基準も、頑張って曲がりなりにも達成した国々です。つまり、「あるべき場所に戻る」ための努力でした。

 一方でウクライナは今まで一度も「ヨーロッパに戻してくれ」とはいっていない。ポーランドのように「いつヨーロッパに戻してくれるんだ」というような相当に強い押しがウクライナにあったかというと、「自分たちは昔はポーランドだった」と思っているウクライナ西部の人はいたかもしれないけれど、真剣に「ヨーロッパに戻してくれ」という言説はないに等しかった。よくいわれるように、クチマ政権(1994〜2005年)の時には「東とも西ともうまくやる」を国是にしていたので、ウクライナがEUやNATOに近づくことは、長い間なかったわけです。

鶴岡 「中立」を掲げていましたしね。

東野 「あるべきヨーロッパに戻してくれ」という主張自体をしてこなかったし、それに伴う改革などもしていなかった。その意志もなければ実体もなかったわけで、地理的にヨーロッパであることは間違いないかもしれないけれど、大きな意味では、冷戦後の変革の中でEUが好んでいった「東西の分断線を引き直す」という話の中にウクライナは入れなかったし、入る気もなかったと思うんです。

「広域欧州圏」と「欧州近隣」の決定的な違い

鶴岡 そうすると、ウクライナとベラルーシは、出発地点はほぼ一緒だったということ?

東野 一緒です。2003年にEUが、短期的にはEU加盟が想定されえない旧ソ連の国々を対象に「欧州近隣諸国政策」を提唱した際では、欧州委員会としては、モルドヴァとウクライナとベラルーシをほぼ同列に扱っており、この「欧州近隣諸国政策」に一緒に入ってほしかった。しかもEUとしては、「欧州近隣諸国政策」の前身であった「広域欧州圏」構想には、ロシアも参加してもらうことを想定していたんです。ところがロシアは「広域欧州圏」に入る意思をまったく見せませんでした。またEUの側も「広域欧州圏」という名称は、将来的なEU加盟を前提とした枠組みであるとの誤解を招きやすいとの懸念をもったようです。このため「広域欧州圏」というネーミングはやめて、「欧州近隣諸国政策」に変えた。これは「近所」に対する政策なんです。「ヨーロッパ」があって、それとは別の存在としての「近所」がある。つまり2003年あたりからEUは、「加盟」とは完全に切り離していますよということをウクライナに対して何度も確認してきたし、ウクライナもそれで結構ですといってきたわけです。

鶴岡 しかも、ウクライナ国内でのEU加盟支持率も高くなかった。

東野 そのとおりです。さらに時間を進ませて、マイダン革命(2013〜2014年)の時にも、EUで好まれるいい方として「ヤヌコヴィッチ大統領(当時)がEUと自由貿易などを含む連合協定を結ぼうとしていたのに、プーチンの横槍で実現しなかった」「多くのウクライナ人にとって、EUとの関係強化で期待したより良い生活が棚上げにされた」「その怒りが革命の原動力の一つとなった」という説明の仕方があります。しかし、その時ウクライナの人たちは、連合協定とEU加盟の区別も曖昧で、EUに対する意識も十分であったとはいいがたかったですし、政府も連合協定以上のことをどこまでやろうとしていたのかは疑問です。ただ、EUはそのあたりをうまく使って、バローゾ(元欧州委員会委員長)などはマイダン革命の後、私たちはEUのために血を流した人たちのことを忘れないなどというわけです。

 EUはウクライナを放っておいたし、ウクライナだって連合協定を真剣に進めようとしていたわけでもないけれど、マイダン革命のようなことが起こってしまうと、「みんなEUのために命を賭けている」というようなロジックのすり替えが起こってしまう。この一連の流れ――「広域欧州圏」から「欧州近隣政策」に名称まで変えて、連合協定も真剣にはやらないのに、「ウクライナが私たちのために血を流した」というような感じになっているのは、EUのご都合主義が見えて、外から見ていた私でも非常に寒々しかったですね。

鶴岡 ウクライナに関して、組織犯罪や人身売買などの温床だという点がEU側で繰り返し指摘されてきたことはよく覚えています。ただ、ウクライナが懸念すべき「よそ者」だとしたときに、それ以外にはどのような問題が注目されていたか、あるいは、どのような文脈が重要だったでしょうか。

東野 1990年代後半から2000年代に、EUで域内治安(internal security)の問題が注目され、EU内の警察や税関、国境管理、移民政策、難民庇護などの司法・内務協力を発展させて組織犯罪や人身売買などに対して戦っていこうとしていた流れが存在していました。このことと、先に触れた「欧州近隣諸国政策」によってウクライナとの関係を構築しようとしていた時期が重なったイメージです。ウクライナとの関係強化は大事ではあるものの、それはEUの司法・内務協力の観点では、対処しなければならない課題の実例として挙げられてきたのを私は本当によく見たし、こういう犯罪の問題は脅威としてEU内で強調されすぎてしまった部分もあるかもしれない。

 こう考えてみると、EUにとってウクライナは仲良くしたい対象というよりも、警戒しなければいけない対象――それは間違いなかったと思うんですね。 (「#1-2」に続く

*【以下の記事もあわせてお読みいただけます】

鶴岡路人×東野篤子|ウクライナはNATOに加盟できるのか――二年目に入ったウクライナ侵攻 #1-2

鶴岡路人×東野篤子|凍結か、早期終戦か? 「戦争の出口」を探る――二年目に入ったウクライナ侵攻 #2

鶴岡路人×東野篤子|ヨーロッパはどこに向かうのか――二年目に入ったウクライナ侵攻 #3

*この対談は2023年3月3日に行われました

 

◎鶴岡路人(つるおか・みちと)

慶應義塾大学総合政策学部准教授。1975年東京生まれ。専門は現代欧州政治、国際安全保障など。慶應義塾大学法学部卒業後、同大学院法学研究科、米ジョージタウン大学を経て、英ロンドン大学キングス・カレッジで博士号取得(PhD in War Studies)。在ベルギー日本大使館専門調査員(NATO担当)、米ジャーマン・マーシャル基金(GMF)研究員、防衛省防衛研究所主任研究官、防衛省防衛政策局国際政策課部員、英王立防衛・安全保障研究所(RUSI)訪問研究員などを歴任。著書に『EU離脱――イギリスとヨーロッパの地殻変動』(ちくま新書、2020年)、『欧州戦争としてのウクライナ侵攻』(新潮選書、2023年)など。

鶴岡路人著『欧州戦争としてのウクライナ侵攻』(新潮選書)

◎東野篤子(ひがしの・あつこ)

筑波大学教授。1971年生まれ。専門は国際関係論、欧州国際政治。主な研究領域はEUの拡大、対外関係。慶應義塾大学法学部卒業。英バーミンガム大学政治・国際関係学部博士課程修了、Ph.D.(政治学)取得。同大学専任講師、OECD日本政府代表部専門調査員、広島市立大学准教授などを経て現職。ウクライナ研究会副会長。著書に『解体後のユーゴスラヴィア』(共著・晃洋書房、2017年)、『共振する国際政治学と地域研究』(共著・勁草書房、2018年)など、訳書に『ヨーロッパ統合の理論』(勁草書房、2010年)がある。

カテゴリ: 政治 軍事・防衛
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執筆者プロフィール
鶴岡路人(つるおかみちと) 慶應義塾大学総合政策学部准教授、戦略構想センター・副センター長 1975年東京生まれ。専門は現代欧州政治、国際安全保障など。慶應義塾大学法学部卒業後、同大学院法学研究科、米ジョージタウン大学を経て、英ロンドン大学キングス・カレッジで博士号取得(PhD in War Studies)。在ベルギー日本大使館専門調査員(NATO担当)、米ジャーマン・マーシャル基金(GMF)研究員、防衛省防衛研究所主任研究官、防衛省防衛政策局国際政策課部員、英王立防衛・安全保障研究所(RUSI)訪問研究員などを歴任。著書に『EU離脱――イギリスとヨーロッパの地殻変動』(ちくま新書、2020年)、『欧州戦争としてのウクライナ侵攻』(新潮選書、2023年)など。
執筆者プロフィール
東野篤子(ひがしのあつこ) 筑波大学教授。1971年生まれ。専門は国際関係論、欧州国際政治。主な研究領域はEUの拡大、対外関係。慶應義塾大学法学部卒業。英バーミンガム大学政治・国際関係学部博士課程修了、Ph.D.(政治学)取得。同大学専任講師、OECD日本政府代表部専門調査員、広島市立大学准教授などを経て現職。ウクライナ研究会副会長。著書に『解体後のユーゴスラヴィア』(共著・晃洋書房、2017年)、『共振する国際政治学と地域研究』(共著・勁草書房、2018年)など、訳書に『ヨーロッパ統合の理論』(勁草書房、2010年)がある。
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