共産党指導部は統治の正統性を支える新たな柱としてナショナリズムの威力に気づき始めていた[人民大会堂東門外広場での歓迎式典で子供たちから花束を受けられる天皇、皇后両陛下=1992年10月23日、中国・北京](C)Reuters

※〈  〉内は外交文書からの引用、〔  〕内は筆者による追加、肩書は当時。なお、文書中の誤字脱字および一般には馴染みのない特殊な表現等は適宜修正した。

対日批判を「中国の党・政府において圧殺」

 行き詰まる事態を打開する秘密の打ち合わせが行われたのは1992年3月30日。4月上旬の江沢民総書記の来日に合わせ一時帰国した橋本大使は、渡辺美智雄外相とサシで会った。橋本の手書きメモにこう記録されている。

〈〔天皇〕訪中が行われる前の3~4カ月、後の2カ月程度、尖閣・民間賠償はじめ中国側で対日批判ないし日本の国民感情を刺激するような動きを、中国の党・政府において圧殺し、そのため万全の措置をとるよう大使の責任において申し入れる〉

〈先方の反応いかんでは「訪中は行わない」ことまで言及することあるべし〉

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