《1992年天皇訪中》日本が追った「和解」の幻、中国が捉えた戦略的好機(下)

執筆者:城山英巳 2024年1月7日
タグ: 日本 中国
エリア: アジア
共産党指導部は統治の新たな正統性としてナショナリズムの威力に気づき始めていた[人民大会堂東門外広場での歓迎式典で子供たちから花束を受けられる天皇、皇后両陛下=1992年10月23日、中国・北京](C)Reuters
橋本恕という強烈な個性と胆力を持ち合わせた外交官がいなければ、この天皇訪中は実現しなかったかもしれない。公開された文書は、「政治」がどこまでも決断できなかったことを示している。ただ、一連の過程で中国から湧いて出てきた領海法制定による尖閣問題も、民間賠償請求をめぐる動きも、中国側の長期戦略の一環だったと見るべきではないか。これらの争点化を回避した橋本駐中国大使や外務省高官の姿勢には、国交正常化20周年の天皇訪中を優先させたがゆえの死角もあったはずだ。

※〈  〉内は外交文書からの引用、〔  〕内は筆者による追加、肩書は当時。なお、文書中の誤字脱字および一般には馴染みのない特殊な表現等は適宜修正した。

対日批判を「中国の党・政府において圧殺」

 行き詰まる事態を打開する秘密の打ち合わせが行われたのは3月30日。4月上旬の江沢民総書記の来日に合わせ一時帰国した橋本大使は、渡辺美智雄外相とサシで会った。橋本の手書きメモにこう記録されている。

〈〔天皇〕訪中が行われる前の3~4カ月、後の2カ月程度、尖閣・民間賠償はじめ中国側で対日批判ないし日本の国民感情を刺激するような動きを、中国の党・政府において圧殺し、そのため万全の措置をとるよう大使の責任において申し入れる〉

〈先方の反応いかんでは「訪中は行わない」ことまで言及することあるべし〉

〈本国政府の訓令によらず、大使が帰国して〔中国党・政府の〕各方面と会った大使自身の印象として申し入れる〉

 橋本は4月1日、渡辺との確認事項を報告するため宮澤と面会。〈党内や国民の間に亀裂が生ずるような形で〔天皇訪中を〕実施したくない〉と慎重な宮澤に対して橋本は〈早急に総理の御決断を願う〉と迫った。しかし宮澤は煮え切らない。

〈正直に言って、自分は1月の外相訪中のとき、御訪中に反対はしなかったが、充分相談を受けたとは思っていない。また、自分としてそのとき、御訪中を決断したわけではない。外務省の人々は外国とのつきあいがながいせいか、ゾルレン〔かくあるべき論〕が強すぎる。物事はそんなに簡単でない〉

「外務省は走りすぎと思う」――慎重論に転じた中曽根康弘元首相

 外務省は暴走気味だ――。そう感じていたのは宮澤だけではなかった。外務省は、自民党工作のキーパーソンとして福田赳夫、中曽根康弘、竹下登の元首相3人と自民党副総裁の金丸を重視したが、そのうち中曽根は「賛成」から「慎重」に後退した。2月25日、谷野に〈韓国の了解さえ得られれば、陛下には行って頂いた方がよい。自民党内の意見に構う必要はない〉としていたが、橋本が3月31日に中曽根を訪ねると、〈外務大臣以下外務省は走り過ぎと思う〉〈ifをつけても、〔1月の外相訪中で〕具体的な日取りまで言うのは早すぎたと思う〉と苦言を呈した。

 橋本は直ちに渡辺に会い、〈中曽根元総理は相当後退している〉と報告した。宮澤も4月13日、橋本に対して中曽根の態度が障害になっており、〈どうして中曽根が意見を変えたのか自分もよくわからない〉と首を傾げた。

金丸狙撃事件に言及「命懸けでやるつもり」――渡辺美智雄外相

 4月6日、来日した江沢民総書記と宮澤首相の会談が迎賓館で行われた。改めて天皇訪中を招請した江沢民に対して宮澤は〈御訪中の決定については、今暫く時間を頂きたい〉と先延ばしにした。江沢民は〈率直に申し上げる〉とし、こう不満めいたことを口にした。

〈自分の訪日自体、中国国内において歴史等の関係があり、色々議論があった。自分は若干のそういった説を排除し、勇敢に日本にやってきたと言える。従って、自分としては、こうしてやって来た以上、両陛下の御訪中について大まかな結果が出るよう是非期待している〉

 実は、翌4月7日夜、外務省飯倉公館で渡辺と銭其琛が秘密外相会談を行っていたことが、今回の外交文書公開で分かった。渡辺は、江沢民の来日で天皇訪中を決定できない理由を説明した。

〈誠に遺憾ながら1月に予想しなかった状況が出現した。最も自分が残念に思うのは、尖閣諸島の問題が突然、中国の全人代で採択されたことである。何故この時期に行われたのか理解に苦しむ。〔中略〕この尖閣問題によって我が国の国民感情が大きく傷付けられ、陛下の御訪中の問題についても水を差される格好となったことは事実である〉

 渡辺は、3月下旬に右翼団体員によって狙撃された金丸副総裁の事件に言及し、〈最近右翼が台頭してきており、今回の江総書記の警備も厳重に行うよう要請した。〔中略〕金丸副総裁狙撃事件のようなことが万が一にもないよう神経を使っている。また、密輸の拳銃も相当に流れ込んでいる。いずれにしても、日中関係を小さなことで傷つけたくないので、命懸けでやるつもりである〉と述べ、〈これは内閣の運命のかかっている話である〉と覚悟を示した。

 これに対し銭も〈渡辺大臣の言われるように本件はしばらく冷却期間をおき、検討していく〉と同意し、〈幸い我々にはまだ時間がある〉と付け加えた。

 上記の通り、橋本は北京帰任直前の4月13日、再び宮澤に会って〈天皇陛下が御訪中されるということで工作するということで良いか〉と念を押した。これに対して宮澤は〈然り。それで党内が収まらなければ、自分は橋本大使の責任にしない。自分が責任をとる〉と口にした。しかし宮澤の煮え切らない態度はその後も続いた。

「江沢民総書記はじめ、推進論者の政治生命がかかっている」――徐敦信・中国外交部副部長

 天皇訪中問題が袋小路に入る中、北京に戻った橋本は対中工作を開始した。まず4月16日、カウンターパートの徐敦信外交部副部長を訪ね、天皇訪中に向けて障害となっている個別案件を挙げ、こう要求した。

〈たとえ民間であれ「軍国主義」についての言及はすべておさえてほしい〉

〈尖閣諸島については今後とも「棚上げ」方式をとり、中国側から一切手を出さぬ旨確認してほしい〉

〈民間賠償については、72年の国交正常化の際の賠償放棄は中華人民共和国が日本国に対して放棄したものであり、当然、民間も含めて放棄したものであるとの解釈を今後とも堅持してほしい〉

〈従軍慰安婦について〔中略〕中国政府は一切何も発言していないことを評価。今後ともこの態度を堅持してほしい〉

〈〔前略〕国会で審議中の国連平和維持活動(PKO)協力法案について〔中略〕反対したり、反対と受けとられる表現は厳につつしんでほしい〉

 橋本は〈天皇訪中を実現するために障害になるすべての問題や意見の不一致を現在から始まって訪中実現後数カ月まですべて凍結し、眠らせてほしいと言っているのだ〉と語気を強めた。……

カテゴリ: 政治
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執筆者プロフィール
城山英巳(しろやまひでみ) 北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院教授。1969年生まれ。慶應義塾大学文学部卒業後、時事通信社に入社。中国総局(北京)特派員として中国での現地取材は十年に及ぶ。2020年に早稲田大学大学院社会科学研究科博士後期課程修了、博士(社会科学)。2010年に『中国共産党「天皇工作」秘録』(文春新書)でアジア・太平洋賞特別賞、2014年に中国外交文書を使った戦後日中関係に関する調査報道のスクープでボーン・上田記念国際記者賞を受賞。著書に『中国臓器市場』(新潮社)、『中国 消し去られた記録』(白水社)、『マオとミカド』(同)、『天安門ファイル-極秘記録から読み解く日本外交の「失敗」』(中央公論新社)、『日中百年戦争』(文春新書)などがある。
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