『ナショナル・ヒストリーを超えて』が発刊された同時期、上野千鶴子氏は「つくる会」に対抗する活発な言論活動を展開していた[記者会見する東京大学の上野千鶴子名誉教授=2015年11月26日](C)時事

(前回はこちらから)

上野千鶴子の「不在」

 再び『ナショナル・ヒストリーを超えて』に戻ろう。1998年5月に刊行されたこの本において、今になってみるとむしろその不在によって自らを際立たせているように見える人物がいる。坂本多加雄らのいわゆる「つくる会」の面々ではない。この時期、やはり「つくる会」に対抗する活発な言論活動を展開していた人物――上野千鶴子である。

 その一年ほど前、1997年9月にシンポジウム「ナショナリズムと『慰安婦』問題」が開催された。『超えて』にも論考を掲載していた高橋哲哉・徐京植が登壇するパネルセッションに先立って冒頭に開催されたのが、他ならぬこの上野千鶴子と歴史家・吉見義明の「対決」セッションであった。同シンポの記録とその後のやりとりが収録された同名書籍(青木書店、1998年9月刊行)に登場する人物は『超えて』とかなりの重複を見せているのであるが、『超えて』の方には執筆者として上野が登場しないばかりか、本文や注においてもほとんど言及がない(わずかに注で書名とともに一回、122頁)。だが、これが偶然の結果というわけではないらしいことは、「……どちらにも問題があると片付ける女性論者がいるが……不当な言いがかりである」(140頁)という一節からうかがえる(どのような文脈だったのかについては後述する)。この「女性論者」が上野を指していることは、シンポジウムのやりとりを目にした関係者や観客には明らかだった。対「つくる会」という戦線において統一されているかにみえる『超えて』は、しかし他面では、上野千鶴子という「名前を言ってはいけないあの人」への気まずい沈黙を抱えていたことになる。

記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。