ロシア南西部クルスク州に国境を接するウクライナのスーミ州で解放されたアンドリー・グリシェンコ(本人提供)

 ロシア軍によって捕虜として連れ去られたチェルノブイリ原発の警備隊員169人は、ベラルーシを経由してロシアに移送された後、運命がばらばらになった。オレクシー・ルトチェンコ(47)は、数々の暴行を受けながらも、8カ月あまりで解放された。しかし、翌2023年まで拘束された人、さらには2024年現在もまだ帰還できていない人も、多数存在する。

 ロシア西部ブリャンスク州ノヴォジブコフ第2拘置所に収容されたアンドリー・グリシェンコ(28)は、その場所で年を越した。侵攻から1年が経ち、やがてここの拘置所生活が440日を超えた2023年5月13日、彼はモスクワに近いトゥーラ州ドンスコイの第1刑務所に移送された。

プーチンは「能なし!」

 ここでは、ノヴォジブコフの拘置所よりも厳しい生活を強いられた。毎晩2度、真夜中にわざと起こされ、立つよう強いられた。毎朝ロシア国歌を歌わされるのは前の場所と同じだが、ただ歌っていれば良かった以前とは異なり、捕虜たちの声が合わないとすぐに殴られた。「ロシア万歳」と言わされ、かけ声を唱えさせられた。

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