ロシアがウクライナでの戦争で手一杯なため、クレムリンからルカシェンコへの圧が一時的に弱まった側面も見逃せない[独立国家共同体(CIS)首脳の非公式会合で握手を交わすルカシェンコ大統領(右)とプーチン大統領=2024年12月25日=ロシア・サンクトペテルブルク郊外](C)EPA=時事

ウクライナへの対応にシフトしていったロシア

 6選を目指す大統領選挙を前に、ロシアとウクライナを天秤にかけるような動きを見せたルカシェンコ氏。ところが、2020年8月9日の投票終了後、ルカシェンコ陣営による選挙不正への抗議運動が、ベラルーシの広範な国民層に広がる。中央選管の「ルカシェンコ候補が80.1%を得票」という発表は、国民の肌感覚とはかけ離れたありえない数字であり、国民の怒りに火をつけた。かつて「最も模範的なソビエト人」と称され、ルカシェンコのポピュリズムになびいたベラルーシ国民も、独立後の30年近い歳月で変貌し、ついにルカシェンコにノーを突き付けたのである。

 市民の勢いに押され、一時は風前の灯火かとも思われたルカシェンコ体制だったが、徹底的な弾圧によって、次第に市民を沈黙させていった。そして、もう一つ、ルカシェンコの切り札となったのが、プーチン・ロシアのテコ入れであった。ルカシェンコは、大統領選の直前まで、ワグネル隊員を人質にロシアと駆け引きしていたというのに、状況がまずくなったらすぐにロシアになびいてみせた。こうした恥も外聞もないところが、ルカシェンコの真骨頂だ。そのあたりはプーチンもわきまえたもので、何事もなかったかのように、早々とベラルーシ大統領選の結果を承認し、ルカシェンコの要請に応じて治安部隊を対ベラルーシ国境に集結させた。この措置は、ベラルーシの民主派に「一線を越えたらロシアの部隊が出てくる」という恐怖心を与え、暴力的な政権奪取を思い止まらせる効果があったと考えられる。

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