
ウクライナへの対応にシフトしていったロシア
6選を目指す大統領選挙を前に、ロシアとウクライナを天秤にかけるような動きを見せたルカシェンコ氏。ところが、2020年8月9日の投票終了後、ルカシェンコ陣営による選挙不正への抗議運動が、ベラルーシの広範な国民層に広がる。中央選管の「ルカシェンコ候補が80.1%を得票」という発表は、国民の肌感覚とはかけ離れたありえない数字であり、国民の怒りに火をつけた。かつて「最も模範的なソビエト人」と称され、ルカシェンコのポピュリズムになびいたベラルーシ国民も、独立後の30年近い歳月で変貌し、ついにルカシェンコにノーを突き付けたのである。
市民の勢いに押され、一時は風前の灯火かとも思われたルカシェンコ体制だったが、徹底的な弾圧によって、次第に市民を沈黙させていった。そして、もう一つ、ルカシェンコの切り札となったのが、プーチン・ロシアのテコ入れであった。ルカシェンコは、大統領選の直前まで、ワグネル隊員を人質にロシアと駆け引きしていたというのに、状況がまずくなったらすぐにロシアになびいてみせた。こうした恥も外聞もないところが、ルカシェンコの真骨頂だ。そのあたりはプーチンもわきまえたもので、何事もなかったかのように、早々とベラルーシ大統領選の結果を承認し、ルカシェンコの要請に応じて治安部隊を対ベラルーシ国境に集結させた。この措置は、ベラルーシの民主派に「一線を越えたらロシアの部隊が出てくる」という恐怖心を与え、暴力的な政権奪取を思い止まらせる効果があったと考えられる。
9月14日にはルカシェンコがロシアを訪問し、南部ソチでプーチン大統領との首脳会談が開催された。この席でプーチンは、ルカシェンコをベラルーシの合法的な大統領と認め、ベラルーシに15億ドルの融資を提供することを約束した。それと同時にルカシェンコには、憲法改革を実施し、市民との対話を通じて国内情勢を安定化させるという宿題が課せられた。
この時期のクレムリンは、憲法改革を通じたベラルーシ情勢の安定化というシナリオを描き、その延長上でルカシェンコが少なくとも大統領という役職からは退くことを求めていたと見られる。そして、連合国家をアップグレードしてベラルーシを保護国として囲い込むといった戦略だったはずだ。
実際、ロシアはその後も連合国家という枠組みでのベラルーシとの統合を推進しようとし、両国間での「連合プログラム」(当初検討していた「工程表」を改称)の採択を目指した。そして、両国は2021年9月に28項目から成る連合プログラムにつき合意し、11月に正式採択した。
ただ、この頃になると、ウクライナおよびドンバス情勢、対米国およびNATO関係の緊迫化を受け、クレムリンはルカシェンコ体制への圧力や連合国家建設に向けた要求についてはトーンダウンさせていた印象が強かった。実は、2021年11月4日に連合プログラムが採択されたのと同日に、連合国家の「軍事ドクトリン」が採択されており、そちらの方にロシアの主眼があったと見る専門家も多い。連合国家の軍事ドクトリンは、ロシア側が2018年に承認しながら、それまでルカシェンコが受け入れを拒んできた経緯があった。
時あたかも、ロシアは対ウクライナ国境に大規模な兵力を集結させつつあった。その後実際に、2022年2月24日にロシアがウクライナへの全面軍事介入を開始することになるが、その際にロシア軍の一部はベラルーシ領を経由してウクライナに侵入した。連合国家の軍事ドクトリンは、今日に至るまで一般に公開されていないので、確たることは言えないものの、同ドクトリンがウクライナ侵攻に向けた布石の一つであった可能性も否定できない。
ルカシェンコは、1994年に大統領に就任してから初めてと言っていい政権存亡の危機に直面し、それをロシアのバックアップで乗り切ったことから、すっかりプーチンに頭が上がらなくなった。従来、ルカシェンコはロシア軍がベラルーシに駐屯することに難色を示し、ベラルーシにはロシア軍が使用する海軍通信センター、ミサイル警報システムのレーダー基地という2カ所の施設が存在するのみだった。しかし、2022年10月、ロシアとベラルーシが合同軍を結成し、その一部としてベラルーシ国内にロシア兵約9000人が駐留することが発表された。さらに、プーチン政権は2023年4月、ロシアがベラルーシに戦術核兵器を配備するとの方針を表明した。
そんな押されっぱなしのルカシェンコが、一時的に留飲を下げた出来事があった。それが2023年6月の「プリゴジンの乱」である。

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