地政学の谷間、モルドバの苦悩――「親EU路線」は在外票依存、大統領選にロシアが介入

執筆者:服部倫卓 2024年11月20日
タグ: EU ロシア
エリア: ヨーロッパ
キャプション入る[2024年8月31日、モルドバ、キシナウ](C)EPA=時事
ウクライナの隣国モルドバでは、親EU派の現職サンドゥ氏が大統領選に勝利し、同時に行われた国民投票でもEU加盟賛成が反対を上回った。しかし、それは欧米への出稼ぎモルドバ人の在外票に頼った薄氷の勝利で、親EU路線が国民的コンセンサスを得たとは言い難い。ロシアの選挙介入が大々的に行われる環境のもと、来夏の議会選で与党が多数を維持できるかが今後の注目点となる。

 2024年秋、世界の注目は大国アメリカの大統領選に注がれたが、同じ時期に東欧の小国モルドバでも、国の命運を左右する重大な投票があり、少なからぬ関心を集めた。人口ではアメリカの135分の1、経済規模ではアメリカの1654分の1にすぎない小国モルドバが、何ゆえに一部で強い関心を抱かれているのであろうか。

 端的に言えば、モルドバは小国ながら、東欧の国際秩序の行方を左右する試金石となっているからである。モルドバの隣国であるウクライナは、欧州連合(EU)および北大西洋条約機構(NATO)加盟路線を打ち出したことからロシアとの対立を深め、2022年2月以降ロシアによる全面軍事侵攻にさらされている。モルドバは、軍事的には従来「中立」を標榜してきたものの、EU加盟路線ではウクライナと足並みを揃える。それゆえ、モルドバはプーチン・ロシアの「次の標的」になってしまうのではないかと、国際的に広く懸念されているのである。

ロシア帝国主義と大ルーマニア主義の角逐で生まれた小さな国

 さて、モルドバ共和国とは、どんな国だろうか? モルドバは、ウクライナとルーマニアに挟まれた内陸国である。かつて社会主義のソ連邦を形成した15共和国の一つが、1991年暮れのソ連崩壊に伴い、初めて独立国となった。

 モルドバの所得水準は非常に低く、ウクライナと並んで、しばしば「欧州最貧国」と呼ばれる。農業・食品以外にはこれといった有力産業がないので、糧を得るために欧米やロシアなどに出稼ぎに出る市民が多い。最近では外国に定着するディアスポラが拡大し、モルドバ本国の人口が空洞化している。そして、実はこれが近年の選挙で死活的な要因に浮上している。

 モルドバ人は民族・言語的にルーマニア人と同系統であり、スラブ人主体の東欧にあって「ラテンの孤島」となっている。言ってみれば、ルーマニアとモルドバは一種の「分断国家」である。ただし、戦後に誕生した分断国家の多くは、東西ドイツ、南北朝鮮、南北ベトナム、台湾・中国など、資本主義VS共産主義の対立により成立した。それに対し、ルーマニアとモルドバは、1980年代まではともに共産主義陣営で、1990年代以降はともに自由化したにもかかわらず、別々の国として存在してきた。

 ずばり言えば、モルドバという存在は、歴史的にロシア帝国主義と大ルーマニア主義がこの地を巡ってせめぎ合ってきた結果として生まれ落ちたと言える。それが、今日ではプーチン・ロシアとEUによる影響圏の奪い合いに姿を変え、東欧の国際関係の火種となっているのだ。

 なお、現時点でルーマニア側にもモルドバ側にも国家統一を求める意見はあるが、双方ともまだその機が熟しているとは言えない。それでも、モルドバの場合には、単にEU加盟路線を採っているだけでなく、ルーマニアというEU加盟済みの長兄が存在している点が、ウクライナなどとは異なる要因である。

都市・地区によって大きく異なる投票傾向

 さて、改めて整理すれば、モルドバでは10月20日に、大統領選挙と、EU加盟路線を問う国民投票が実施された。大統領選では、親欧米派で現職の女性政治家、マイヤ・サンドゥ氏が再選を果たすかどうかが焦点になった。国民投票では、「貴方は、モルドバ共和国のEU加盟を視野に入れた憲法改正を支持しますか?」ということが問われ、イエスかノーかで回答する形となった。大統領選は10月20日の第1回投票では決まらず、11月3日の決選投票にもつれ込んだ。

 10月20日の投票率は、大統領選が51.68%、国民投票が50.72%だった。大統領選と国民投票という重要な投票を同日に実施し、動員を図ろうとした割には、盛り上がりを欠いたと言わざるをえない。結局、国民投票でEU路線に賛成したのは、投票者の50.38%で、薄氷での承認となった。

 一方、大統領選挙では、10月20日の第1回投票で11名の候補が争い、現職のサンドゥ氏が42.49%を、野党「社会主義者党」が推したアレクサンドル・ストヤノグロ氏が25.95%を得票、この上位2名による決選投票にもつれ込んだ。11月3日投票の決選投票では投票率が54.34%へとやや高まり、サンドゥ氏が55.35%、ストヤノグロ氏が44.65%を得票して、サンドゥ大統領が再選を果たした。

 その際に、きわめて特異なのは、投票結果を地区別に見ると、各地区のEU賛成率と第1回投票でのサンドゥ支持率が、ほぼ完全な相関関係にあったことだ(図1)。相関係数をはじき出すと、驚異の0.9942である。普通に考えればこれは、今日のモルドバ社会ではEUに加盟すべきか否かが有権者の最大の関心事になっており、賛成ならば親欧米派のサンドゥ氏に票を投じることがほぼ自動的に決まるという図式を意味しているように思える。

図1 モルドバ大統領選と国民投票の地区別結果
 (2024年10月20日投票、%)

 しかし、現実にはややニュアンスが異なるだろう。モルドバでも人々の切実な関心事は自らの暮らし向きであり、EU加盟問題についての高度な問題意識を持ち合わせている有権者は多くない。

カテゴリ: 政治
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執筆者プロフィール
服部倫卓(はっとりみちたか) 北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター教授。1964年静岡県生まれ。北海道大学大学院文学研究科博士後期課程(歴史地域文化学専攻・スラブ社会文化論)修了(学術博士)。在ベラルーシ共和国日本国大使館専門調査員などを経て、2020年4月に一般社団法人ロシアNIS貿易会・ロシアNIS経済研究所所長。2022年10月から現職。著書に『不思議の国ベラルーシ――ナショナリズムから遠く離れて』(岩波書店)、『歴史の狭間のベラルーシ』『ウクライナ・ベラルーシ・モルドバ経済図説』 (ともにユーラシア・ブックレット)、共著に『ベラルーシを知るための50章』『ウクライナを知るための65章』(ともに明石書店)など。
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