第12回 「官」を凝視する松本清張、「公」を幻視する司馬遼太郎
2025年5月31日

国民的作家の司馬遼太郎(左)と松本清張(右)、両者の違いは「リアリズム」に見て取れる (C)時事
(前回はこちらから)
創価学会と共産党の「休戦」の背景
1974年12月28日、創価学会と日本共産党とのあいだで「創価学会と日本共産党との合意についての協定」が調印された(調印書の公表は翌1975年7月)。長らく熾烈な対立を続けてきた創価学会と共産党の(向こう10年を期限とする)この「休戦条約」は、社会に大きな衝撃を与えた。
創価学会と共産党、どちらも池田大作と宮本顕治という絶対的指導者を擁するトップダウン型の組織であり、この調印が二人の意向抜きに可能なはずはなかった。両者を仲立ちしたのが作家・松本清張である。1968年に『文藝春秋』誌上で、池田、宮本両氏と個別に対談したことを契機に、それぞれと親交を深めた清張が仲介役を買って出たのである。
もっとも、純粋な意気投合というわけではない。各種の思惑が複雑に交差していた。共産党側にとってこれは単に都市部の低中所得層という支持基盤のバッティングに由来する軋轢の緩和というだけにとどまらない意味をもっていた。そうした戦術的次元のみならず、「70年代のおそくない時期に民主連合政府の樹立」という第12回党大会の決定(1973年)――一種の野党共闘構想であり民主連合政府綱領という形で提起された――という大戦略の一環でもあったはずである。
記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。