ユーゴスラビアの希望とパレスチナの暗雲

執筆者:田中明彦2000年10月号

 冷戦が終わって十年が過ぎたが、ヨーロッパにとってこれほど喜ばしいことはないのかもしれない。ユーゴスラビアでミロシェビッチ大統領が退陣したことである。それもほとんど犠牲者を伴わない無血革命によって、それが達成されたのである。このユーゴスラビアにおける民主化は、ドイツ統一十周年とほぼ時を同じくして起こった。この十年のヨーロッパが決して間違っていなかったと、多くのヨーロッパ人たちは思ったことだろう。「一九八九年の反共産主義革命を思い起こさせるような激動の一日に、ユーゴスラビア権力の象徴である議会や国営テレビが、反政府のデモ隊に占拠され、これに対する警察の抵抗は徐々に弱まった」『ニューヨーク・タイムズ』紙社説はこのように書き始め、「ユーゴスラビアにおける民主主義の勝利は、全ヨーロッパに影響がある」と語り、ひとたびミロシェビッチが去れば、「ヨーロッパは、かつてのソ連国境まで、民主的で一体となることになる」と結論した(“Liberating Yugoslavia,”『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン(IHT)』、十月七―八日)。 この地域や第三世界にくわしいジャーナリストのロバート・カプランは、「セルビアにおけるスロボダン・ミロシェビッチの失墜は、一九四五年に赤軍の占拠によって始まった東欧における共産党支配の最後の痕跡を消すことになる」と評価した(“Milosevic's Fall Could End the Division of Europe,”IHT、十月七―八日)。

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