米国と急接近するイラク・シーア派の宿命

執筆者:立山良司 2003年2月号
カテゴリ: 国際 文化・歴史
エリア: 中東

 イラクの「体制転覆」が現実味を帯びる中、全人口の約六〇%を占めるシーア派、特に反体制イスラム組織の動向が注目されている。二〇〇二年十二月、米国の後押しで開かれた反体制派によるロンドン会議でも、サダム・フセイン後の政権のあり方を協議する委員会メンバーの約半数をシーア派勢力が占めた。しかしシーア派内での対立も激しく、足並みはいっこうにそろわない。 よく知られているように、イラク国民は大きく三つに分けられる。北部に集中しているクルド人(多くがイスラム教スンニー派、全人口の約一五%)、中央部から北部に住むスンニー派アラブ人(約二五%)、それに南半分を占めているシーア派アラブ人だ。シーア派といえばイランを思い浮かべるが、イラク南部は歴史的にシーア派揺籃の地だ。バグダッドから約百キロ南のカルバラーはシーア派第三代イマームがスンニー派によって虐殺された場所であり、さらに南のナジャフから著名な法学者が輩出してきた。 イラクのシーア派はずっとバグダッドを支配してきたスンニー派と同じアラブだが、宗派の違いから政治的に差別されてきた。主要油田はシーア派の居住地域である南部に集中しているが、その恩恵を受けてこなかった。それだけにシーア派の反体制運動の歴史は長い。

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