「スタリ・モスト」が美しいモスタルだが、今なお紛争の爪痕が……

 

 ボスニア紛争の舞台となったボスニア・ヘルツェゴビナに向かった。牡蠣のストンからさらに10キロほど北上すると国境を越える。目指したのはモスタルという同国南部の都市だ。モスタルはボスニア紛争で徹底的に破壊された都市の1つであり、破壊の主役を演じたのはクロアチア人だった。

 両国の国境に一応ゲートはあるが、スタンプも旅券のチェックもなく、車は通された。両国は仲良し、なのかと思えば、実際はそうではない。ただ、あまりに国境が入り組みすぎていて、住民の往来が活発なので、管理する実効性がないため、放置しているという感じだ。

 旧ユーゴ諸国はどの国も大変な目にあった。それを総称してユーゴ紛争という。個別に各国で先のクロアチア紛争やコソボ紛争、マケドニア紛争などいろいろあった。その中で最も凄惨な殺し合いが起きた場所の1つが、ボスニア・ヘルツェゴビナだった。

 旧ユーゴは、「5つの民族、4つの言語、3つの宗教」と言われる。ボスニア・ヘルツェゴビナはその象徴的な存在で、かつてはボスニア人(ムスリム人)、クロアチア人、セルビア人がそれぞれ3分の1の割合で共存していた。

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