12月1日の「黄色いベスト運動」デモを報じた『ル・モンド』。凱旋門の壁に「黄色いベストは勝利する」との落書きが (『ル・モンド』HP より)
 

 燃料費の高騰と燃料税引き上げに対する抗議に端を発したフランスの「黄色いベスト運動」は、11月半ば以降1カ月にわたってこの国を揺るがせて、やや下火になってきた。この間、エマニュエル・マクロン政権が被った痛手は大きい。燃料税引き上げ凍結など譲歩を強いられ、国内の改革の見通しが立たなくなっただけではない。国際的な信用を大きく失い、欧州連合(EU)内での牽引力発揮も期待できなくなった。

 一方、それほど影響を与えたこの運動の性格は、定まらないままである。彼らは果たして右なのか、左なのか。グローバル化による繁栄から取り残された地方の困窮がその根底にあると言われるが、どうしてパリで焼き打ちをするほどまで過激化したのか。疑問は多い。

 彼らはどこから来たのか。彼らとは何者か。彼らはどこに行くのか。各種世論調査や研究者の論考から探った。

都市に対する田舎の反乱

 フランスの車に装備が義務づけられている黄色いベストを着たデモは、11月17日に始まり、以後土曜日ごとにパリをはじめフランスの主要都市で催されてきた。その経緯とフランス社会に与えた影響は、すでに渡邊啓貴先生がフォーサイトで2度にわたって論じた通りであり(2018年12月3日「暴徒化抗議デモ『黄色いベスト運動』でマクロン政権『危機直面』」2018年12月13日「マクロン大統領『テレビ演説』は国民に通じたか」)、一部が暴徒化して商店略奪や車両への放火、文化財の破壊などに手を染めた。この間、12月10日夜にマクロン政権がデモ参加者らの要求を一部受け入れたこと、11日夜に仏東部ストラスブールでイスラム過激派によるテロが起きたことなどから、5回目となった15日は、参加者も警官隊との衝突も大幅に減った。

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