米プリンストン大学での「イラン」体験――イラン・フーゼスターン紀行(番外編)
2020年5月21日
昨年6月、イラン南西部フーゼスターン地方への研究紀行について、2度にわたって記した(『ジョージアから「連れ去られた人々」を追って――イラン・フーゼスターン紀行=上』2019年6月3日、『中』6月19日)。
約400年前にジョージア(グルジア)から半ば強制的に移住させられた人々の末裔を訪ねる旅であったが、その後、米プリンストン大学に研究滞在することになり、なかなか続編に取りかかることが出来なかったところへ新型コロナ禍の到来である。
しばらく空いてしまったが、このような時にこそ、遠い異国の、遠い過去に目を向けるのも悪くないかもしれない。
そこで今回は、フーゼスターン紀行に戻る前に、プリンストン大学で触れたイランと中東の「近い」過去に簡単に触れてみよう。
新型コロナ禍が促す歴史回顧
そもそもイランは遠い異国などではない。国際政治の重要なアクターであり、アメリカにとっても、そして日本にとっても、外交や安全保障の観点から常にその存在感を意識せざるを得ない。原油の価格が下がっても、ペルシア湾岸の安全保障上の位置付けは簡単には低下しない。
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