なぜオルバン政権は権威主義化したのか(C)EPA=時事

 

 中・東欧にあるハンガリーがEU(欧州連合)の問題児とみなされて久しい。

 ハンガリーのオルバン・ビクトル首相(58)は、もとは反共のリーダーの一人だった。チェコのヴァーツラフ・ハベル(2011年、75歳没)やポーランドのレフ・ワレサ(77)より一世代ほど若い彼は、20代の青年期にソ連崩壊を経験し、フィデス=ハンガリー市民同盟(以下、フィデス)の党首となった。反共のリーダーが、必ずしも民主主義と自由主義を信奉するわけではないだろう。彼もまた、そうしたタイプの人物である。

 オルバンは1998年から2002年まで首相を務め、社会党に敗れて下野した後、2010年の国政選挙を経てあらためて首相に就任した。その体制下で急速に権威主義化が進むことになる。裁判所の独立性はなくなり、政府に批判的なメディアは解体された。難民を支援する民間団体は、公的機関から嫌がらせを受けた。国際的に高い評価を得る私大(中央ヨーロッパ大学)は、自国出身の「グローバリスト」ジョージ・ソロスが出資することで目を付けられ、隣国オーストリアに転出せざるをえない状況に追い込まれた。

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