439人の難民・移民を救助して帰路に就いたジオ・バレンツ号だったが、イタリアからなかなか入港許可が下りない。疲労やいら立ちからけんかが頻発し、大乱闘で「コード・レッド」が発信される事態に。(この記事の前編は、こちらのリンク先からお読みいただけます

 

 国際NGO「国境なき医師団」が運営する捜索救助船ジオ・バレンツ号のデッキは、1月19日から21日までの3日間で計439人を迎え入れ、瞬く間に足の踏み場もなくなった。

 出身国は16カ国にわたり、エリトリア(107人)やスーダン(45人)、エジプト(44人)といった北・東アフリカ、ギニア(18人)やコートジボワール(13人)などの西アフリカに加え、バングラデシュ(91人)とパキスタン(87人)といった南アジアからの集団もいた。

 女性は13人で、生後2カ月の乳児、1歳の赤ちゃん2人と一緒に上階のデッキに集められた。あどけなさの残る少年も多く、保護者のいない18歳未満だけで104人に上った。

救助されて一息ついた後、デッキで自撮りする若者たち=1月20日、リビア沖(撮影:村山祐介)

「リビアは地獄」と話したオムラン

「世界最悪の人道危機」と呼ばれた紛争を抱えるスーダン・ダルフールから来たオムラン(27)は、対立するアラブ系民兵に叔父らが殺され、家族が散り散りになった。民兵に追われ、2019年に隣国チャドを経由してリビアに逃れたが、密入国が見つかって移民収容所に1年間収監された。

「出たいなら家族に送金させろと言われて、うちは貧しいんだと訴えても聞いてくれませんでした。カネ、カネ、カネ。リビアは地獄です」

 隙を見て脱走した後、8年前に別離した姉が住むスウェーデンに向かうことに決めた。ウェーターをして働いてためたお金で、密航業者に2000ディナール(約5万円)を払った。

「国連の事務所で『欧州に行きたい』と言っても助けてくれませんでした。密航が非常に危険なことは分かっています。でも本当に、本当に、他に方法がないんです。姉と再会して、スポーツの勉強もしたい。夢をつかむためなら怖くありません」

エリトリアから逃れてきたアビエル

 ジオ・バレンツ号が20日に2番目に救助したゴムボートは、東アフリカの独裁国家エリトリアの出身者が109人中96人を占めていた。

 アビエル(24)は、徴兵制から逃れるため、19歳のときに友人と隣国スーダンに向かった。

「学校を出た後は50代まで兵役かもしれません。父は徴兵から25年間経った今も兵士です」

 リビアに移ったのは2年前、憧れの英国に渡るためだった。だが、密航希望者が待機する刑務所のような施設に8カ月にわたって軟禁された。

「食事も水もまともにもらえず、あのままでは死んでいました」。

 逃げ出して、父が用立てた代金1100ドル(約13万円)を密航業者に渡してやっと密航船に乗ることができた。

 だが、ボートは過密状態で、誰も操船の方法を知らなかった。

「ただ祈るしかありませんでした。狭すぎて水も食料も持ち込めなかったので、2日以上かかっていたら死んでいたでしょう」

 アビエルは自分のフェイスブックにティグレ語で「リビア、いつか問う」というタイトルをつけた。

「砂漠でも、刑務所でも、地中海でも、たくさんの人が死にました。奪った命をどう思っているのか。弁護士になっていつかリビアに問いただしてやりたい」

組織的な虐待の連鎖にさらされている移民

 リビアは彼らのように欧州に合法的に行けない人たちを密航させるビジネスの拠点になってきた。

 オイルマネーで潤っていたカダフィ政権時代は250万人規模の出稼ぎ外国人労働者を受け入れ、アフリカや中東、アジア各国のコミュニティーが存在するなど、もともと往来の土壌があった。さらに民主化運動「アラブの春」でカダフィ政権が2011年に倒れた後は、外国を巻き込んだ内戦に陥り、各地で武装勢力が割拠。国境管理や入国審査はないがしろになり、密入国して集まってきた人たちを粗末な船で地中海に送り出す密航業者が幅を利かせるようになった。

 移民を狙った誘拐や強制労働も頻発し、政府や武装勢力が管理する収容所での拷問や性暴力も相次ぐ。国連の独立調査団は2021年10月、国連人権理事会に提出した報告書で「移民は入国した瞬間から組織的な虐待の連鎖にさらされている」と指摘した。

なかなか下りない受け入れ許可

 ジオ・バレンツ号のデッキの上では、こうした出身国も置かれた環境も、抱えている事情も異なる400人規模の共同生活が1つ屋根の下で始まることになった。

 どう生活を切り盛りして、彼らを受け入れてくれる国を見つけて送り届けるか。航海の前半は捜索救助チームを中心に動いてきた12カ国22人からなるスタッフの任務は、後半は医師や看護師、助産師らの医療チーム、人道支援、通訳、後方支援担当らに軸足が移った。

 だが、その道のりは出だしから難航が続いた。

 ジオ・バレンツ号が航行中の海域を所管するマルタ当局に21日から連日、受け入れの要請をしたものの強く拒まれ、イタリア当局にも23日にいったん断られた。イタリアの海域に移動してから24日にもう一度要請してようやく「検討対象」にしてもらえたが、なかなか先には進まない。船籍を置くノルウェーの当局に調停を頼んだり、医療や人道的な側面から受け入れを促す報告書をつくって送ったり、あの手この手で説得を試みる日々が続いた。

 救助された直後は生きている喜びと欧州行きへの期待にあふれ、笑顔でポーズをとったり、スマホで自撮りしたりしていた人たちも、先の見えないデッキ暮らしに疲労やいら立ちを見せるようになった。

連絡事項は6カ国語で

 最大の障壁は、言葉の違いで互いに意思疎通がままならないことだった。

 毎日午前10時の食料配布に先立って、スタッフと救助された人たち数人がスピーカー脇に横一列に並ぶ。その日の連絡事項を、英語とフランス語、アラビア語、パキスタン人向けのウルドゥー語、バングラデシュ人が使うベンガル語、そしてエリトリア人が話すティグリニャ語の計6カ国語にするためだ。マイクを回してそれぞれの出身国の集団に話しかけて、やっと話が伝わっていく。

連絡事項は毎回6か国語で翻訳して伝えられた=1月28日、リビア沖(撮影:村山祐介)

 副プロジェクト・コーディネーター、ビンセント・グリソン(34、フランス)はこの場で毎朝、「大ニュースはありません。まだイタリアの前にいて、当局が下船許可を出してくれるのを待っているところです」などと現状を伝えた。翻訳されるたびに、あちこちからため息が漏れた。

 顔なじみになった人たちからは愚痴がこぼれるようになった。最初は喜々として食べていたレトルト食品も「量が足りない」「辛くして欲しい」。すれ違いざまにしょっちゅう呼び止められて、「いつ下船できるのか」「どこに着くのか」と質問攻めにあった。

 ビンセントに倣って「インシャアッラ―」(アラビア語で「神の思し召しがあれば」)とかわす術を覚えたが、「家族に無事を伝えたいのに、どうしてネットを使わせてくれないのか」と切実に訴えられて、言葉に窮すこともあった。

大乱闘で「コード・レッド」

 10代や20代の血気盛んな若者も多く、殴り合いのけんかも連日のように起きた。

 どつき合いが突然始まって、周囲を巻き込んで加速度的に広がっていく。早期収拾が鉄則で、スタッフがすぐに飛び入って時には羽交い絞めにして興奮する若者たちを引き離した。

 だが27日夜にはついに、エリトリア人とパキスタン人の間のけんかが大勢を巻き込む大乱闘に発展し、スタッフの無線で「制御不能の恐れ」を伝える符号「コード・レッド」が発信された。私はデッキにいなかったのだが、監視カメラの映像には群衆が一気に駆け出す殺気だった様子が映っていた。幸いけが人は出なかった。

 翌朝話を聞いて回ると、原因は「カードゲームの貸し借り」といった程度のことだった。

「なだめようとしたのに、加勢しに来たと思われた。言葉が分からないから悪い方に受け取られてしまう」(エリトリア人)、「みんな飽きていて、些細なことで怒り出す」(パキスタン人)と鬱屈がたまった胸の内を明かした。

 誰もが死と隣り合わせの漂流を体験した直後のうえ、リビアで誘拐や暴力の被害を受けた人も少なくない。

 心理療法士のヘーガー・サーダラー(28、ベルギー)は、「命の危険を感じたり、自分ではどうにもできないと思ったりすることが心に深い傷を負わせることがあります。全員がPTSD(心的外傷後ストレス障害)になり得る経験をしています」と、いら立ちの陰に、見えない心の傷の存在を指摘する。

 スタッフの夜の会議で、彼らがやけを起こして海に飛び込んだ場合にどう対応するかを話し合っているさなかに緊急警報が誤作動し、慌ててデッキに駆け込んだこともあった。

イタリアに入港できても難民認定への長い道のり

 

 鬱憤が積もっていただけに、28日朝、ビンセントが臨時集会を開いて「イタリアへの入港が決まりました」と発表すると、「ウォー」という地鳴りのような雄叫びが湧き上がった。ガッツポーズをしたり、跳びはねたり、踊り出したり、抱き合ったり。各国語に翻訳されるたびに歓喜の渦が広がった。

イタリアの受け入れ決定が発表され、喜びを爆発させる人たち=1月28日、リビア沖(撮影:村山祐介)

 この日は金曜日でイスラム教の礼拝日にあたり、スーダン人やパキスタン人、エリトリア人と出身国ごとに合唱したり、手拍子をしたりと多彩な感謝の祈りが捧げられた。

 夕方には出港時と同じシチリア島アウグスタ港に到着し、新型コロナウイルスの検査を終えた順に下船が始まった。満面の笑みでスタッフとグータッチをして、1人ずつ港に続くタラップを降りて念願のイタリアの地を踏んでいく。命がけの夢がかなった瞬間だ。

 だが、その直後から冷徹な現実を突き付けられることになる。

 白い防護服を着た当局者に番号札とともに顔写真を撮られ、コロナ対策の検疫船に移される。その後、難民認定の申請手続きが始まるが、審査に数カ月から2年はかかる長い道のりだ。それぞれの置かれた状況によって大きく異なるものの、イタリア内務省の2020年の集計では、難民認定や保護が与えられた割合は全体の2割ほど。地元メディアによると、今回の下船者のうち3人が密航を手助けした疑いで逮捕された。

下船に先だって新型コロナウイルスの検査を受ける人たち=1月28日、リビア沖(撮影:村山祐介)

難民危機で一変したNGOへの風当たり

 捜索救助船自体への風当たりも強まっている。

 シリアなどから欧州に押し寄せた2015年の難民危機以降、様々なNGOで地中海の救助活動を担ってきたチームリーダーのリカルド・ガティ(43、イタリア)は、環境の激変ぶりをこう振り返る。

「かつて救助に当たるイタリア沿岸警備隊は『海の天使』と呼ばれていました。それが2017年から我々は『移民の海のタクシー』、時には『人身売買の協力者』とすら言われます」

 欧州の反移民感情の高まりと歩調を合わせるように、イタリア当局とNGOの関係も一変した。当初は「イタリア当局主導で様々なNGOがチームのように動く関係」だったが、17年を境に当局からの漂流船の情報提供は途絶えた。イタリア政府は欧州連合とともに、移民の到着を防ぐため、リビアの沿岸警備隊などに巨額の資金援助と技術支援を始めた。

 医師団の捜索活動は15年には漂流船情報の9割を当局から得ていたが、21年は他のNGOからの情報が6割、双眼鏡による目視が4割を占めた。前回の航海で救助した8隻のうち5隻、今回も6隻中3隻は双眼鏡で「人力」で見つけたものだ。

 リカルドは「捜査や訴追を通じてNGOの活動を違法化する動きが強まっている」とも指摘する。安全検査で見つけた規則違反を理由とした出港差し止めや船籍剝奪で出港できなくなったり、今回のように下船先がなかなか決まらなかったりするケースも相次いでいる。

 そこにコロナ禍ものしかかる。

 今回は救助した人たちに陽性者が6人見つかったことに加え、スタッフ・船員も6人に陽性が確認された。私を含めた他のスタッフらの7日間の船内隔離に加え、次の航海に参加できなくなったスタッフの代替要員の手配に追われた。

 強まるばかりの逆風のなかで、なぜ救助活動を続けるのか。

 リカルドは言う。

 「欧州で移民は今や非常に機微な問題です。ただ、私たちが話しているのは『移民』についてではなく、『救助が必要な人たち』なのです。私たちが救助しなければ、彼らは死ぬことになります」

 今年も2月20日時点で地中海ですでに165人の死者・行方不明者が見つかっており、その8割がリビア沖で、ほとんどが転覆などに伴う溺死だった。

 

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