リビア沖から地中海を渡る難民・移民の「死のルート」密航最前線―—闇夜に見た木造船

執筆者:村山祐介 2022年2月28日
カテゴリ: 政治 社会
国際NGO「国境なき医師団」が運営する難民・移民の救助船に同乗し、リビア沖から地中海を渡って欧州を目指す「死のルート」を取材したジャーナリストの村山祐介氏。彼が闇夜に見たのは、丸1日漂流していたという、沈没しかかった木造船だった。(この記事の後編は、こちらのリンク先からお読みいただけます

 

 中東やアフリカ、アジアから地中海を渡って欧州を目指す難民・移民の死が再び急増している。国際移住機関(IOM)によると、2021年の死者・行方不明者数は前年から600人増えて2000人を超え、5年ぶりに増加に転じた。その大半を占め、世界で最も危険な「死のルート」と呼ばれるのがリビア沖だ。

 国際NGO「国境なき医師団」が運営する捜索救助船ジオ・バレンツ号に約1カ月、同乗取材して見えた最前線の状況を報告する。

国境なき医師団が運営する捜索救助船ジオ・バレンツ号。高速救助艇2隻が船腹に格納されている=1月21日、リビア沖(撮影:村山祐介)

ヘッドライトに照らし出された男たち

 1月20日午後11時5分、リビア沖の北約250キロ。

 月明かりの洋上を疾走してきた高速救助艇が速度を落とすと、暗がりの奥にゆらゆら揺れる黒い塊がぼんやりと浮かび上がった。漂流船の周辺海域に着いたジオ・バレンツ号から出動して、10分が過ぎていた。

 風は穏やかだが、木造船が小刻みな波のうねりに弄ばれるように不規則に揺れている。助けを求めるような男性の声が聞こえた。数メートルの距離まで近づくと、甲板で肩を寄せ合う二十数人の人影がヘッドライトで赤黒く照らし出された。

 アラブ系やアフリカ系、南アジア系。さまざまな顔立ちの男たちが肩を寄せ合うように座っている。気温は13度。少し肌寒く、パーカのフードをかぶっている人が多いが、救命胴衣は誰一人、着ていなかった。

 副捜索救助チームリーダーのレオ・サウスオール(25、英国)が船首に歩み出た。通訳を兼ねたパレスチナ出身の隊員を傍らに呼び、英語とアラビア語で呼びかけた。

「このボートに移れば安全です。静かに私の指示に従ってください」

 救命胴衣を配り始めると、争うように手が伸び、あちこちから声が上がった。奥の数人が立ち上がり、木造船の船体は大きく上下に揺れた。レオは人さし指を下に向けて声を荒らげた。

「座って。座れ、座れ!」

 彼らのいる甲板からも「座って」とたしなめる声が上がった。その後は静かに指示に従うようになった。対話の回路が開いたように見えた。

沈没・転覆へのカウントダウンが進んでいた

深夜漂流していた木造船。この時すでに船内はひざ下まで浸水していた=1月20日、リビア沖(撮影:村山祐介)
 

 このとき、レオは違和感を抱いていた。木造船の揺れ方がどこか不自然に感じられたのだ。11時14分、無線で数百メートル離れた場所で待機する母船ジオ・バレンツ号に報告した。

「ボートは大きく揺れて右舷側に傾き、不安定な状況です」

 直感は当たっていた。後でわかったことだが、この数時間前から数十人が座っていた船底で浸水が始まり、すでにひざ下まで海水がせりあがってきていたのだ。

「船が損傷して冷たい水が入ってきました。コップでかき出しても水の方が早くて、水面がゆっくりと上がっていました」

 船底にいた、パキスタンで家庭教師をしていたナシール(31)はそう証言する。船は浮力とバランスを徐々に失い、沈没、あるいは転覆へのカウントダウンが進んでいた。

木造船を救助したのは1番上の救助地点

 彼らは密航拠点の1つ、リビア西部ズワーラを丸1日前に出航し、約300キロ北に位置するイタリア最南端のランペドゥーサ島を目指していた。

 全長数メートルの老朽化した木造船の船底と甲板に67人が詰め込まれ、操船に通じた人もいない。エンジンは片方が故障し、もう1つも燃料がほぼ尽き、動いたり止まったりする状態だった。座るのがやっとの高さの船底は燃料のような異臭が充満して息苦しく、激しい揺れで嘔吐したり、浸水で取り乱して泣き出したりする人が相次いでいた。

 バングラデシュで野菜を売っていたアカス(24)は、ひざ下まで浸かった状態でアラー(神)に祈り続けていた。

「ずっと飲まず食わずで、もう力が残っていませんでした。死ぬと思ってみんな泣き始めて、完全にパニックでした。救助が1時間遅かったら、全員死んでいたでしょう」

「待機指示」の途方もない17分間

 救命胴衣が一通り行き渡り、レオが見本を示して着用の仕方も教えた。救助の準備は整った。

 レオはそう3回報告したのだが、母船から救助のゴーサインが出ない。11時16分、しびれを切らして無線で訴えた。

「彼らをこのままにしておくのは不安です。迅速に対応願います」

 夜の救助の難しさは、暗がりで互いの表情が分からず、救助する側とされる側が信頼関係を築きにくいことだ。本当に味方なのか。実はリビアに強制送還しようとしているのではないか。そんな疑心暗鬼から指示に従わなかったり、逃げようとして海に飛び込んだりすることもある。

 船がバランスを崩せば転覆し、全員が海に投げ出されてしまう。救命胴衣で浮くことはできても、冬の夜の海では瞬く間に体温を奪われて低体温症に陥り、死に至る可能性がある。

 助ける、と言ったまま動かない救助艇を、いつまで信じてくれるのか。木造船の揺れはさらに激しくなっていた。

 11時19分、レオは無線で再び催促した。

「ブリッジ。みんなひどく動揺しています。船底にも人がいるという情報があります。繰り返します。安全な状況ではありません。安全な状況ではありません」

「スタンバイ(待機してくれ)」

 その時、ジオ・バレンツ号の最上部にある「ブリッジ」(船橋)と呼ばれる操舵室では、捜索救助活動の指揮を執るチームリーダーのリカルド・ガティ(43、イタリア)がイタリア海事当局との交信を続けていた。

 レオの思いは分かっていた。当局にも危険を伝えていたが、「指示を待て」との対応が変わらない。理由ははっきり分からなかったが、ほかの船舶との連絡調整に時間がかかっているようだった。

 11時22分。レオは意を決して無線機を握った。

「決断が必要です。座視するのは無責任です。彼らの命が深刻かつ切迫した危険にさらされています。救助の実行が不可欠です」

 リカルドは覚悟を決めた。

「分かった。救助を開始すると伝えておく」

 この時の判断をリカルドは振り返る。

「当局の指示を待ち続けるのはあまりに危険でした。結局、17分間待ちましたが、不安定なまま漂流している状況においては、途方もない時間です」

船底から遺体が見つかったケースも

 救助に踏み切ったものの、作業は難航した。

 不規則な波のうねりで、木造船と救助艇が別々のタイミングで上下左右に揺れるためだ。レオと隊員が木造船の船尾から一人ずつ、両側から抱きかかえて救助艇に受け入れていくのだが、船同士の間隔が広がれば海に転落しかねない。救助艇が位置を取り直して近づくたび、先端の緩衝材が「ギュイン」と不快な摩擦音を立ててきしみ、ゴムが焦げた臭いが漂う。救助艇が大きく沈んだはずみで、レオや隊員がバランスを崩す場面が何度もあった。

漂流中の木造船から救助艇に乗り移る人=1月20日、リビア沖(撮影:村山祐介)
 

 全長約8メートルの救助艇には私と隊員の計5人が乗っており、1回で救助できるのは二十数人だ。木造船の反対側で待機していたもう一隻の救助艇に作業を引き継ぎ、いったんジオ・バレンツ号に帰って助けた人たちを引き渡す。

 再び木造船に戻ったときには、残り数人になっていた。11時46分、最後の一人を助け出したあとで、レオは木造船に乗り移った。

 似たような木造船の船底から昨年11月、燃料のような異臭で窒息したとみられる10人の遺体が見つかっていた。レオは船底への出入り口になっている甲板の穴に頭を突っ込んでのぞき込み、ヘッドライトでしばらく照らしてから言った。

「中には誰もいません」

 リュックなどの遺留品を回収した後、甲板に赤いスプレーで大きく「MSF SAR 20/01/22」と吹き付けた。他の救助関係者に漂流中と間違われないよう、国境なき医師団(MSF)の捜索救助(SAR)により1月20日に「救助済み」であることを示すしるしだ。

漂流船の甲板に救助済みのメッセージをしるす捜索救助隊員=1月20日、リビア沖(撮影:村山祐介)
 

 救助した後は、密航船が再利用されたり、エンジンなどが転売されて資金源になったりするのを防ぐため、できる限り壊すよう海事当局から促されている。実際、この5時間前に別の木造船の救助が終わった際には、遠巻きに眺めていた複数の漁船から人が先を争って乗船し、瞬く間に曳航していった。その一部始終を見ていた隊員は「地中海は無法地帯のようなものだ」と首を振った。

 とりわけ武器が潤沢に出回っているリビア周辺では、不審船が銃器を隠し持っている可能性を念頭に置かざるを得ない。リスクが伴う深夜の破壊作業は見送って、母船に戻った。

 私が救助艇からはしごを上ってジオ・バレンツ号に入ると、受け入れ作業はほぼ終わりかけていた。体育館ほどの広さのデッキの半分をテープで仕切り、マスクを配って体温を測り、出身国や年齢の聞き取りをして、毛布などを配布していく。この数日で救助した300人以上の人でごった返しており、みな疲れ切った心身を休める寝床の確保を急いでいた。

 午後11時54分。出動からちょうど60分間が経っていた。

48時間で6回も救助出動

 私がイタリア・シチリア島のアウグスタ港からジオ・バレンツ号に乗船したのは1月7日。11日に出航した後もシチリア沖に留まって訓練をしてばかりで、15日にリビア沖に着いてからも平穏な日々が続いた。密航船はイタリアを目指して北上するため、逆風になる北風のうちはあまり出航しない、と聞いてはいたが、手持ち無沙汰な日々にうんざりしかけていた。

 だが、晴天で風も波も穏やかになった19日、事態は急展開した。

 21日までの3日間で少なくとも16件の漂流船情報が飛び交い、ジオ・バレンツ号は48時間の間に計6回も救助出動することになったのだ。

87人を乗せて漂流していたゴムボート。生後2カ月の赤ちゃんもいた=1月19日、リビア沖(撮影:村山祐介)
 

 航空機で捜索しているNGOや海難情報を収集しているNGOからの連絡を元に対象海域に向かい、シフトを組んで24時間態勢でブリッジから双眼鏡で水平線に目を光らせる。そして、船影を発見すると、格納している高速救助艇2隻をクレーンで海面に降ろして現場に駆け付ける。 

 沈没・転覆するまでの時間との闘いは、同時にリビア沿岸警備隊との競争でもある。ジオ・バレンツ号に救助された船と同時に出航していた別のボートは警備隊に拿捕され、乗っていた人たちはリビアに連れ戻された。 

 1月23日、ジオ・バレンツ号は捜索活動を終えて帰途に就いた。この先、天候が再び崩れる見通しとなり、他の救助船もリビア沖に向かっていたためだ。だが、航海は前半戦が終わったに過ぎなかった。

 

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執筆者プロフィール
村山祐介 ジャーナリスト。1971年、東京都生まれ。立教大学法学部卒。1995年、三菱商事株式会社入社。2001年、朝日新聞社入社。2009年からワシントン特派員として米政権の外交・安全保障、2012年からドバイ支局長として中東情勢を取材し、国内では経済産業省や外務省、首相官邸など政権取材を主に担当した。GLOBE編集部員、東京本社経済部次長(国際経済担当デスク)などを経て2020年3月に退社。米国に向かう移民を描いた著書『エクソダス―アメリカ国境の狂気と祈り―』(新潮社)で2021年度の講談社本田靖春ノンフィクション賞を受賞。2019年度のボーン・上田記念国際記者賞、2018年の第34回ATP賞テレビグランプリのドキュメンタリー部門奨励賞も受賞した。
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