プーチンに勝利宣言はできても、ウクライナ人の怒りは永遠に続く (C)Drop of Light/Shutterstock.com
この対談の前編『「皇帝」になった工作員・プーチンの世界はなぜ歪むか』は、こちらのリンク先からお読みいただけます。

 

「自由と民主主義」が世界の普遍となった冷戦後グローバリズムの時代から、「怒り」で世界政治が動かされる「ポスト・グローバル時代」の地政学へ。プーチンのウクライナ侵攻はこの転換を象徴するものだと、杉田弘毅氏(共同通信特別編集委員)は指摘する。プーチンの「怒り」にウクライナのNATO中立化など一定の回答が与えられても、ウクライナ人の「怒り」は永遠に続くと畔蒜泰助氏(笹川平和財団主任研究員)は見通した。世界はこの戦争の終わらせ方を問われている。

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旗頭なき反乱軍

――欧米による経済制裁の影響はどうご覧になりますか?

杉田 ウラジーミル・プーチン自身も認めるように、ロシアは耐久経済が得意です。しかもこの日に備えてアメリカ国債をどんどん売ってきたし、ドルも使わなくなっている。ちょっとやそっとじゃ音を上げないと思うんですよ。1、2年くらいの泥沼化も構わないと思って、ウクライナをロシアの属国にするという最大限の要求を停戦協議でも出し続けているのではないでしょうか。

畔蒜 オリガルヒ(新興財閥)へのダメージも重要なポイントですが、オリガルヒには「エリツィンオリガルヒ」と「プーチンオリガルヒ」の2種類があることを見落とせません。前者のエリツィン時代に興りプーチン政権下は政治に介入しない約束のもとでビジネスの継続を容認された人たちと、後者のプーチンの“お友達”――ガスプロムのアレクセイ・ミレルやロスネフチのイーゴリ・セーチンなど――は、その立場が根本的に違います。

 エリツィンオリガルヒも基本的にプーチンとの関係は悪くないですが、一方でグローバル経済の中で成功している人たちですから、今の戦争については後ろ向きにならざるを得ない。こうしたメンバーにはオレグ・デリパスカ(ロシア・アルミニウム社長)、ミハイル・フリードマン(アルファ銀行頭取)、チェルシーのロマン・アブラモヴィッチ(ミルハウス・キャピタル)、ルクオイルのヴァギト・アレクペロフやノリリスク・ニッケルのウラジーミル・ポターニンなどが挙げられます。例えばアレクペロフあたりは会社を通じて意思表示しています。

 ただ、現時点でこうした声が大きな影響力を持つとは考えにくい。なにしろ反政府の旗頭がいませんから。反政府運動の核になりうる人物はアレクセイ・ナワリヌイだけでしたが、それも捕まってしまった。ドミトリー・メドヴェージェフ元大統領の側近で、かつて副首相までやったアルカジー・ドヴォルコーヴィチというリベラル系の人物がいて、彼はハイテク研究所のスコルヴォの所長だったのですが、戦争反対の発言をした途端にクビになっています。

 オリガルヒが反プーチンに加担する形として考えられるものがあるとすれば、武力官庁の官僚、いわゆるシロビキたちが組織としてプーチンを見限り、それをオリガルヒがサポートするシナリオはあるかもしれません。こうした組織の主要ポジションはプーチンの最側近が握っていますが、その下の世代、青年将校たちが反旗を翻す形ですね。もっともオリガルヒ同様、シロビキにも金が流れる仕組みが出来ていますので、彼らも基本的には今の体制を歓迎しています。

杉田 「ロシア国家」「ロシア民族」「ロシア世界」と言いながら、結局は組織なのですね。

畔蒜 あるロシアの著名な専門家が「ロシアはまだ本当の国家になり切っていない、プーチンレジームの国だ」と言いました。それで「国家とレジームの違いは何ですか」と聞くと「最終的に国民に奉仕するのが国家。一方で仲間内に奉仕するのがレジームだ」と。ロシアは、唯一プーチンという存在に国の正統性を依存しているんです。

杉田 それは分かります。アメリカの大統領が2期までなのも、一人が長く権力に居座ると、法治から人治になっていく。法が軽視されると国家が成り立たなくなってゆく。だからプーチンは強いけど、ロシアは国としてやはり弱い。

ランド研究所が描いた「ロシアを潰す方法」

2015年の国際経済フォーラムに参加したプーチン。中央奥は杉田弘毅氏 写真:杉田氏提供

杉田 2019年にアメリカの安全保障系シンクタンク、ランド研究所が興味深い報告書を出しています。「ロシアをいかに潰すか」がテーマなのですが、ロシアの弱さは経済だとの指摘があります。ロシアにはエネルギー以外何もない、あとはせいぜい農産物。だからエネルギーを無力化すればロシア経済が潰れ、国家が潰れるというシナリオですね。その手段として挙げているのは、ある意味当然のことではありますが、シェールガスをバンバン掘って、北海油田と中東にもどんどん石油を出させるというものです。

 今回バイデンが軍隊を出さなかったのも、実はロシア泥沼の長期戦争に誘い込み、経済を標的にして無力化する謀略だったと主張する人もいるくらい。これはさすがに陰謀論に過ぎますが、少なくとも経済制裁は報告書のシナリオ通りに進んでいるといっていい。中国やインドが買い支えするだろうけど、ロシア経済が傷むことは明らかです。ロシアの強みの核兵器を維持、開発するのに必要な膨大な費用も賄えなくなってしまう。

畔蒜 中国は間違いなくロシアを支えるでしょうし、習近平は決してプーチンを見捨てないと思いますが。

杉田 私もそう思います。ただ習近平にしてみれば、見捨てる、見捨てないではなく、使えるものは使う。米中対立という大きな構図の中で、ロシアは、もはや中国の「切り込み隊長」程度の存在になります。今後は中国がこれをどう使うかにかかってくる。

畔蒜 アメリカとの最終的なゲームを考えた時、ロシアの存在はあった方がいい。ロシアが無くなったら、アメリカの圧力を一身に受けなくてはならないし、ロシアには引き続きベラルーシに核を置いてくれる存在であってほしい。

 ただ、中国だけに目を奪われてもいけないですね。もちろんインドは重要なファクターになりますが、ランド研究所の報告書にもあるように、ロシア弱体化シナリオは「中東の石油増産」が前提です。いまその中東が石油の増産に応じない。それどころかUAE(アラブ首長国連邦)などは、オリガルヒたちの退避先にもなっている。もともとロシアが米国の後退に反比例してグリップを強めてきた地域ですし、簡単にはアメリカの言う通りに動きそうもないですね。すでにヨーロッパは反ロシアで固まっていますから、もしかしたら「対中国」よりもさらに大きな視点で、冷戦以来の世界の分断が起こりかねません。

加速する「怒り」での対立

杉田 対立については、私も自分の本(『「ポスト・グローバル時代」の地政学』)の中で論じた「怒り」という国民感情での対立が、さらに加速すると思います。プーチンの歴史修正主義も、結局はアメリカを軸に構築されてきた歴史観に関する「怒り」ですし、目下の戦況で増え続ける哀しみもまた、新たな怒りを生んでゆく。この「怒り」がこの先も世界政治を動かしていく気がしているんです。

『「ポスト・グローバル時代」の地政学』(杉田弘毅/著)

畔蒜 その微妙な感情、積み重なった歴史の機微は、アメリカ人には理解されにくい部分かもしれません。

杉田 アメリカ国内にも「白人労働者階級の怒り」がありますが、これは国内経済の問題ですしね。外に向けては民主党も共和党も、自分たちが掲げる民主主義には疑いを持たない。でもそれは方々で「怒り」を買っていて、今回の事態が起きたともいえます。

畔蒜 民主主義の拡大というトレンドは、やはりNATO(北大西洋条約機構)の東方拡大に合致しますね。一つはボスニアの介入で、もう一つはコソボ紛争。

杉田 いずれも人道支援を掲げて民主主義の拡大を図った。

畔蒜 しかもコソボは国連を迂回して行ったから、その後のイラク戦争のプロトタイプにもなりました。あの時期のアメリカはまさに絶頂期で、その絶頂期に自分たちの理想を世界に広めようとしたんですね。

杉田 最近、イラク戦争と今回の戦争と、国際法的な正当性では何が違うのかとよく聞かれます。イラク戦争は大量破壊兵器計画という根拠のない報告まで出して他人の国に侵攻し、「民主化」を一方的に押し付けた。これは「ロシア民族の保護」を一方的に唱えるプーチンとほとんど変わらないじゃないか、と言われるわけです。でも「民主化」は普遍的価値観ですし、ウクライナの人々が自由主義陣営を望んでいるのだから、イラク戦争とは明確に違います。

 ただ今回は「ウクライナはNATOに加盟していないから軍事介入しない」とする一方で、ボスニアもコソボも、そしてイラクでも人道支援として軍事介入を行っている。であれば今回も人道支援で人道回廊を作り、そこに入ってきたロシア軍を撃てばいいとの論法は成り立つのですが、今のアメリカにはそれが出来ません。

畔蒜 アメリカの絶対的な国力の衰えと、ロシアが核兵器保有国であるとの要因は否定できないところです。だから今回の戦争は単なる安全保障を巡る戦争にとどまらない、価値観を巡る戦争の様相を持っていますが、その価値観自体も揺らいでいる。

杉田 例えばイスラム教徒はコーランに従って生きることが心の平安だと言う。あるいは中国のある識者は、「杉田さん、選択肢はせいぜい2つか3つで十分です。100もあったら迷って夜も寝られません」と言いました。いわば「自由」に対するアンチテーゼです。

 この感覚は我々にも理解できる。アメリカ人だって、実は自由じゃない。高校をドロップアウトしたら、その後に就ける仕事、そして生活は限られてくる。ハーバードに行く人は親が金持ちの人が多い。上昇のチャンスは限られ、選択の自由があるとは言えない社会なのに、自由が一番と言う偽善がアメリカにはあって、そういうネガティブなアメリカを中国人もロシア人もイスラム教徒も知っている。我々はアメリカ風ではなくて我々の生きたいように生きると言っている。

畔蒜 そのあたりをきちんと理解していたアメリカの外交官が、かつてのヘンリー・キッシンジャーでした。

杉田 今ならウィリアム・バーンズ(現CIA長官=元外交官でロシア大使等歴任)も理解していると思います。

畔蒜 アラビア語もロシア語もフランス語も出来る、アメリカでも稀有な外交官ですからね。

杉田 でも、そのバーンズさえ幻滅させてしまったのがプーチンだったと言えそうです。

畔蒜 バーンズは2008年のNATO首脳会議でウクライナとジョージアの加盟に道筋をつけたのはさすがにやり過ぎたと思っていたのでしょう。だから昨年11月にはモスクワに飛んでニコライ・パトルシェフ安全保障会議書記に会い、プーチンとも電話会談をして、モスクワの真意を探った。そして米露首脳会談を経て、ロシアの安全保障上の脅威を米露で議論する枠組みを作った。

杉田 そうでしたね。あの時はプーチンも大喜びだったはずです。やっぱりロシアはアメリカにとって中国より格上の、ちゃんとしたパートナーなのだと。

畔蒜 しかし、まさか本当に侵攻するとはバーンズも考えていなかったでしょうね。

杉田 彼は裏切られたと感じたはずです。いまや対露強硬派の先頭に立っている。おそらくバーンズは、米政権内でいま最も「なぜ、そんなことをした」と思っている人間のはずです。

 結局、突き詰めれば、なぜプーチンが侵攻にしたかという疑問だけが残ってしまう。歴史観に基づく戦略的判断、コロナ、バイデンの誤ったメッセージ、民主化運動など色々な視点で捉えても、この侵攻でロシアが得るものはほとんどなく、むしろ失うものばかり。そもそも現実問題として、ウクライナはNATOに入れなかった。

畔蒜 でも、ここまで来てしまったら、プーチンも引くに引けない。ロシア国内向けにドネツク、ルガンスク、クリミアを押さえて、ウクライナのNATO中立化さえ担保できれば勝利宣言はできるかもしれませんが、ウクライナ人の怒りは永遠に続きます。ましてや、戦術核など使おうものなら……。

杉田 そうなれば「プーチンの世界」終わりになってしまう。

※この対談は3月17日に収録されました。

 

杉田弘毅(すぎた・ひろき)

共同通信社特別編集委員。1957年生まれ。一橋大学法学部を卒業後、共同通信社に入社。テヘラン支局長、ワシントン特派員、ワシントン支局長、編集委員室長、論説委員長などを経て現職。安倍ジャーナリスト・フェローシップ選考委員、東京-北京フォーラム実行委員、明治大学特任教授なども務める。多彩な言論活動で国際報道の質を高めてきたとして、2021年度日本記者クラブ賞を受賞。2021年、国際新聞編集者協会理事に就任。著書に『検証 非核の選択』(岩波書店)、『アメリカはなぜ変われるのか』(ちくま新書)、『入門 トランプ政権』(共同通信社)、『「ポスト・グローバル時代」の地政学』(新潮選書)、『アメリカの制裁外交』(岩波新書)など。

畔蒜泰助(あびる・たいすけ)

笹川平和財団主任研究員。1969年生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業、モスクワ国立国際関係大学修士課程修了。東京財団研究員、国際協力銀行モスクワ事務所上席駐在員を経て現職。専門はユーラシア地政学、ロシア外交安全保障政策、日露関係。著書に『「今のロシア」がわかる本』(三笠書房・知的生き方文庫)、『原発とレアアース』(共著、日経プレミアムシリーズ)。監訳本に『プーチンの世界』(新潮社)がある。

 

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