「皇帝」になった工作員・プーチンの世界はなぜ歪むか――「ポストロシア」の国際秩序

執筆者:杉田弘毅
執筆者:畔蒜泰助
2022年4月12日
カテゴリ: 政治 軍事・防衛
エリア: ヨーロッパ
「ルスキー・ミール(ロシア世界)」の拡大解釈を始めたプーチン  (C)Asatur Yesayants/Shutterstock.com
この対談の後編『プーチンの「怒り」をウクライナの「怒り」が超える時』は、こちらのリンク先からお読みいただけます。

 

ロシアの電撃的な制圧も予想されたウクライナ侵攻は、停戦交渉の遅滞とともに長期化の様相を見せている。ロシア外交・安全保障の専門家であり、プーチンの人物像を白日の下に晒す『プーチンの世界――「皇帝」になった工作員』(フィオナ・ヒルほか著)の監修者でもある畔蒜泰助氏(笹川平和財団主任研究員)と、著書『「ポスト・グローバル時代」の地政学』で「怒り」という感情を起点に新たな国際情勢を捉えた杉田弘毅氏(共同通信特別編集委員)が、いまだ遠いこの戦争の「出口」を見通す。

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ロシア抜きのエネルギー地図

――長期的な視点では、この侵攻は国際社会にどのような変化をもたらすでしょうか。

杉田 世界のエネルギー地図は「ポストロシア」の秩序構築で動き始めています。ウクライナが意外に強かったとか、初動の戦略が甘すぎたとか、ウラジーミル・プーチンの誤算として様々な要素を挙げることも可能ですが、実はロシアのエネルギー抜きで経済を動かすという合意が西側にできたことが、最も大きな誤算だったと思います。

畔蒜 仮に政治的妥協点を見出したとしても、民間は絶対にリスクを取りませんからね。

杉田 JCPOA(2015年7月、イランが核兵器の開発を縮小する見返りに、欧米諸国が経済制裁の緩和を決めた国際合意)でも、国家間の合意が形成され制裁の緩和が決まっても、中国は別として日本など国際企業はイランビジネスにコミットしなかった。今回もシェルやBP、エクソンモービルは、ロシアからの撤退を早々に決めましたし、エネルギーに限らずユニクロだってそう。彼らは制裁以上にレピュテーション(対外的評価)を気にしている。

畔蒜 この先のエネルギー地図を考えるには、イラン産原油がどれくらい出てくるかが一つのカギになりますね。

杉田 いまイランの原油輸出は日量80万バレルぐらいで、制裁前は250万ほど輸出していましたから、米国がOKすればあと150万くらいは出せるでしょう。その他、サウジアラビア、UAE(アラブ首長国連邦)、それとベネズエラあたりがどれくらい出せるか。ロシアが輸出している日量500万バレル分の内、ヨーロッパに流れている230万バレルくらいはどうにか賄えるのではないかと思います。中国は現在、ロシアから150万バレル買っていますが、少なくともプラス50万バレルぐらいは買い増すと見ています。もちろん買い叩くでしょうけれども。

畔蒜 あとはインドも買うでしょうね。

杉田 はい。しかし天然ガスは原油よりも難しい。欧州はロシアから年間1550億立方メートルの天然ガスを輸入していて、依存度は57%。アメリカのシェールガスや、カタール、リビアなどから集めても全量を穴埋めするのは容易ではない。アメリカはこれまでの220億立方メートルを飛躍的に増やして2030年まで500億立方メートルを欧州に輸出する態勢をとることを決めましたが、残りの1000億立方メートルについては、米国とEU(欧州連合)がタスクフォースをつくって輸入先を探しはじめました。

「歴史認識」の戦争

杉田 今回の侵攻は、ある意味では9・11以上の、今世紀最大の国際政治上の大事件だと考えています。表面上はロシアとウクライナの戦争ですが、実際にはアメリカとロシアの衝突です。アメリカが軍隊を出していないとはいえ、ウクライナはアメリカ、NATO(北大西洋条約機構)の兵器と情報に頼って戦っている。

畔蒜 米露はもちろんのこと、中露関係も、パワーバランスが完全に変わります。これまでロシアは西側と中国の間でバランスを取りつつ自らのプレゼンスを確保してきましたが、これからは中国に大きく依存せざるを得なくなる。これが今回の出来事によって起こった国際秩序の地殻変動の一番のポイントですね。

杉田 中国については、ロシアへの武器提供が取り沙汰されます。ただ、国際社会の反発を買う武器提供は本来、メリットがない。むしろロシアのエネルギーを安く買うだけでプーチンに恩を売ることが出来る。ロシアは完全に中国の弟分にもなってくれる。

畔蒜 イスラエルが仲介する案も浮上していますが、これは重要なポイントです。イスラエルを後押ししているのはドイツだと見られています。

『プーチンの世界  「皇帝」になった工作員』(フィオナ・ヒル/著 、クリフォード・G・ガディ/著 、濱野大道/訳 、千葉敏生/訳 、畔蒜泰助/監修)

 これには事業の無期限停止が決まった天然ガスパイプライン、ノルドストリーム2の問題も影響していますが、より根源的にはヨーロッパの歴史認識が絡みます。その起点として改めて考えなければならないのが、この戦争の引き金を引いたプーチンの歴史観です。『プーチンの世界』には、彼がどのように歴史を学び理解し、利用してきたかが示されていますが、結果としてそれはプーチンの国家観、「ロシア世界(ルスキー・ミール)」の構築につながります。プーチンはここ数年、その延長線、集大成というべき論文を相次いで発表しています。

杉田 2020年と21年に出された第二次世界大戦とウクライナに関する論文ですね。

畔蒜 これらの論文発表は、2019年9月にEU議会が採択した第二次世界大戦に関する決議がひとつのきっかけになったと考えられる。この中でEUは、第二次世界大戦の起点は従来の1939年9月のドイツのポーランド侵攻ではなく、同年8月の独ソ不可侵条約に遡るべきだとした。つまり「独ソが手を結んだからポーランド侵攻が起こった」との視点です。

 一方のロシアの歴史観は、ソ連が2700万人の犠牲を払ってナチスドイツを倒したからこそ大戦が終結したのであり、その結果として今の世界秩序があるというもの。2020年6月にプーチンが発表した歴史論文は、まさにこのEU議会の決議に真っ向から反論する内容でした。そして翌年の7月に出したのが、例のウクライナとロシアの一体性に関する論文でした。

 こうした文脈から今回の侵攻を理解すると、単純な安全保障問題だけでは片付かないし、イスラエルによる仲介の陰にドイツが見え隠れするのも、実に興味深いところです。プーチンは2つの論文を出す前の2020年1月、第二次世界大戦で犠牲になったユダヤ人の記念碑建立を祝うべく、イスラエルを訪問しています。

――イスラエルの仲介をドイツが後押しする背景は?

畔蒜 それはドイツの歴史観、すなわちオストポリティーク(東方政策=旧西ドイツ首相のヴィリー・ブラントが提唱した外交政策。東欧地域との歴史的結びつきを生かし,70年代以降の本格的デタントの土壌をつくった)に関わります。ノルドストリームの設置もその文脈に位置付けられますが、ドイツは伝統的にロシアに対する贖罪意識があるんです。ドイツとイスラエルが仲介者に浮上するのには、彼らの歴史問題が深く関わっていると考えられる。

杉田 西側の第二次世界大戦の歴史観は、単純化すればアメリカとイギリスがドイツと日本をやっつけたというもので、そこにソ連の存在はほとんどない。しかもそのストーリーは冷戦、そして冷戦の勝利によってますます強まっていった。こういった西側の歴史解釈に対してプーチンが、「そんな薄っぺらい歴史解釈なんて認められない、もっと重層的な理解をしろ」とボールを投げたのが一連の論文でした。

畔蒜 まさにそうです。

杉田 ただ、ウクライナ人にしてみれば、ロシア、ソ連と一緒だった時代なんて、せいぜい18世紀末以降200年間ぐらいで、それまでのウクライナは9世紀にキエフ公国が誕生し、その後はリトアニアやポーランド、オーストリア=ハンガリー帝国の支配下にあった。ロシア正教はキエフが起源とはいえ、ウクライナ人の多くはウクライナをヨーロッパだと思って生きてきた。歴史の修正は国際政治の中に持ち込まれると、学問的な論争では済まされない紛争の火種になりますからね。

   畔蒜さんがおっしゃるように、イスラエルとドイツが仲介に動くとすれば実に興味深い。2015年のミンスク2(ウクライナ、ロシア間で展開したドンバス戦争の停戦合意)時にはアンゲラ・メルケルが当時のウクライナ大統領のペトロ・ポロシェンコとプーチンの間を取り持ったわけですが、これはメルケルが東ドイツ出身で双方の歴史観を理解していたから出来た部分がある。今回もまた、そうした人物が必要となってくるのかもしれません。

2010年のヴァルダイ会議に参加したプーチン(手前)。1人おいた奥は畔蒜泰助氏   (C)REUTERS

内向きのロシア、引き籠るプーチン

畔蒜 ヨーロッパ、特に東欧の歴史観を日本で理解するのは本当に難しいです。プーチンが言うところの「ルスキー・ミール(ロシア世界)」も、やはり理解されにくいですね。『プーチンの世界』の中でも、この「ルスキー・ミール」がどのようにしてプーチンの中で醸成されてきたか、紙幅を割いて解説しています。そして今回の侵攻に関して加味すべきは、「ルスキー・ミール」の概念をプーチンが拡大させていることです。この言葉はもともと、「ロシア語を話す人」と理解されてきたのですが、最近のプーチンは「ロシアと歴史を共有している人たち」へと解釈を押し広げた。もちろん、その対象はウクライナです。ただ「ロシア語話者」にしろ「歴史を共有する人」にしろ、いずれも国際的には通用しないロジックですね。

杉田 極めて内向きの考えです。メッセージの向かっている先は「ロシア人の団結」。プーチンは国内の民主化運動を非常に強く意識している。2018年には年金給付開始年齢の引き上げに対してロシア全土でデモが起こりましたし、2000年代は世界各地でカラー革命が起こった。プーチンが最も恐れるのはこうした動きです。04年のウクライナのオレンジ革命ではヴィクトル・ヤヌコーヴィチが失脚しましたが、あれが再び起こるとどうなるか。ロシアにも飛び火して、やがては自分が(ルーマニアのニコラエ・)チャウシェスクになるんじゃないか――そう思っているはずです。

   今回の侵攻も、NATOの拡大やロシアの歴史観、民族主義を大きな要因として挙げつつですが、より切実な問題として民主化運動をロシアの岸辺に寄せ付けない目的があったはずです。2018年にジョー・バイデンが「フォーリン・アフェアーズ」誌に共著論文を発表していて、この中で「ロシアとどう付き合うか」が論じられている。そこでバイデンは「プーチンが最も恐れているのは民主化運動である」と指摘しました。しかしバイデンは、今回のウクライナ情勢のコントロールで二つの大きな過ちを犯してしまった。

 ひとつはプーチンに対するメッセージです。昨年12月7日のオンライン米露首脳会談の際、バイデンは早々に「米軍は出さない」と発言し、戦略的曖昧さを手放したこと。かつてアメリカは、1990年のイラクによるクウェート侵攻で同じ失敗を犯しました。衛星写真でイラク軍がクウェート国境近くに集結しているのを確認しながら、当時の駐イラク米大使だったエイプリル・グラスピーはサダム・フセインに対し、「アメリカはアラブ民族同士の対立には介入しない」と言ってしまった。それによりフセインは侵攻に出たわけです。今回も全く同じ構図です。プーチンは力の信奉者ですから、仮に世界最強のアメリカ軍が動くとの可能性を匂わせていれば、今回の暴挙には出なかった可能性が高い。

 そしてもう一つの失敗は、ウクライナにもう少しきちんとした対空防衛システムを提供しておくべきだった。今、ジャベリンとかスティンガーが活躍していますが、もっと高高度で飛行するミサイルや航空機を撃墜できるものを用意しておけば、ロシアも軽々には動けなかった。高性能な兵器を与えすぎるとゼレンスキーが“火遊び”してしまう懸念で判断を間違えた。

畔蒜 そこにはジョージア紛争(2008年)の教訓もあったでしょうね。当時のジョージア大統領、ミヘイル・サーカシビリはロシアに攻撃を仕掛けないと言いつつ、結局は仕掛けてしまった。単純に強力な武器を持てば抑止になるかというと、逆にリスクになる可能性もある。

――コロナを恐れ「自己隔離」を始めたプーチンの判断力自体がおかしくなっているとの見方もあります。

畔蒜 プーチンの側近としてはセルゲイ・ショイグ(国防相)やワレリー・ゲラシモフ(軍参謀総長)、ニコライ・パトルシェフ(安全保障会議書記)など、いろいろ名前が挙がってきます。これまでのプーチンは彼らの意見を聞いてバランスのとれた判断を下してきたのですが、今回の侵攻がこうした専門家が練った計画とは到底思えないんですよ。そう考えると「歴史観に基づく戦略判断を下してしまった」というのが、今のところ最も合理的な説明になるのかもしれません。

杉田 歴史観を優先させてしまうと、冷静な戦略はあり得ないですからね。

畔蒜 クレムリンのウェブサイトに、プーチンがマスクもつけずウラジーミル・メディンスキーと話し込んでいる写真がありました。メディンスキーはプーチンが大統領に復帰した2012年5月から文化大臣を務め、現在はプーチン大統領の補佐官。ウクライナとの停戦交渉の代表も務めています。彼はウクライナ出身の歴史学者、作家でもあって、先述のプーチンのウクライナ論文が出た直後に設けられた「歴史啓蒙に関する省庁間委員会」のトップに、大統領令で就任している。

 撮影場所はモスクワの戦勝博物館で、日付が2021年1月27日。一緒に古い新聞のコピーを見ているようですが、プーチンがコロナを気にしてあまり人と会わなくなっても、メディンスキーとだけは密になって歴史の話をしている。これが今回の侵攻を象徴しているような気がしますね。

※この対談は3月17日に収録されました。

 

杉田弘毅(すぎた・ひろき)

共同通信社特別編集委員。1957年生まれ。一橋大学法学部を卒業後、共同通信社に入社。テヘラン支局長、ワシントン特派員、ワシントン支局長、編集委員室長、論説委員長などを経て現職。安倍ジャーナリスト・フェローシップ選考委員、東京-北京フォーラム実行委員、明治大学特任教授なども務める。多彩な言論活動で国際報道の質を高めてきたとして、2021年度日本記者クラブ賞を受賞。2021年、国際新聞編集者協会理事に就任。著書に『検証 非核の選択』(岩波書店)、『アメリカはなぜ変われるのか』(ちくま新書)、『入門 トランプ政権』(共同通信社)、『「ポスト・グローバル時代」の地政学』(新潮選書)、『アメリカの制裁外交』(岩波新書)など。

 

畔蒜泰助(あびる・たいすけ)

笹川平和財団主任研究員。1969年生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業、モスクワ国立国際関係大学修士課程修了。東京財団研究員、国際協力銀行モスクワ事務所上席駐在員を経て現職。専門はユーラシア地政学、ロシア外交安全保障政策、日露関係。著書に『「今のロシア」がわかる本』(三笠書房・知的生き方文庫)、『原発とレアアース』(共著、日経プレミアムシリーズ)。監訳本に『プーチンの世界』(新潮社)がある。

カテゴリ: 政治 軍事・防衛
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執筆者プロフィール
杉田弘毅 共同通信社特別編集委員。1957年生まれ。一橋大学法学部を卒業後、共同通信社に入社。テヘラン支局長、ワシントン特派員、ワシントン支局長、編集委員室長、論説委員長などを経て現職。安倍ジャーナリスト・フェローシップ選考委員、東京-北京フォーラム実行委員、明治大学特任教授なども務める。多彩な言論活動で国際報道の質を高めてきたとして、2021年度日本記者クラブ賞を受賞。2021年、国際新聞編集者協会理事に就任。著書に『検証 非核の選択』(岩波書店)、『アメリカはなぜ変われるのか』(ちくま新書)、『入門 トランプ政権』(共同通信社)、『「ポスト・グローバル時代」の地政学』(新潮選書)、『アメリカの制裁外交』(岩波新書)など。
執筆者プロフィール
畔蒜泰助 1969年生まれ。笹川平和財団主任研究員。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業、モスクワ国立国際関係大学修士課程修了。東京財団研究員、国際協力銀行モスクワ事務所上席駐在員を経て現職。専門はユーラシア地政学、ロシア外交安全保障政策、日露関係。著書に『「今のロシア」がわかる本』(三笠書房・知的生き方文庫)、『原発とレアアース』(共著、日経プレミアムシリーズ)。監訳本に『プーチンの世界』(新潮社)がある。
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