上海で検査をする医療従事者(5月27日)。上海のロックダウンは中国経済に大きな打撃を与えている  (C)AFP=時事

 1949年以来の中国の歴史を見れば、ある意味で上海と北京の争いでもあった。

 文化大革命を牛耳った“四人組”は、上海を根拠地にして鄧小平たちの北京に対抗しようとした。鄧小平は、改革開放政策の基地を広東省、特に新しく造った深圳市に置いた。文革の“垢(あか)”にまみれた上海を回避しようとしたのだ。上海のナンバーワンをつとめた江沢民は、上海の復権につとめ、上海を再び経済の中心に据えた。だが政治の中心は北京のままだった。政治は北京、経済は上海の構造が固まったのだ。同じく上海のトップから北京入りした習近平は、国政に占める政治のウエイトをさらに高めた。鄧小平路線でどうにかバランスしていた政治と経済の関係に失調を来し、政治が経済を圧迫するようになった。

 この政治と経済の矛盾が、中国のコロナ政策の核心にある。

出口戦略だったはずの「上海モデル」

 政治重視の北京は、習近平政権に必要なことは何でもする。今秋の党大会、すなわち習近平三選に向けての環境整備として、本年2月の冬季オリンピックの成功と3月の全国人民代表大会の順調な開催は至上命令であった。これを邪魔しかねないのが新型コロナウイルスだというので、北京のコロナ予防策は徹底していた。

記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。