南スーダンで行われたMini-NUD(ナショナル・ユニティ・デイ)でのバスケット試合の様子(写真提供・JICA、以下同)

 今年の4月、スーダンで武力衝突が起こり、日本人を含む外国人が一斉に国外に退避するという事件が起こった。国内の混乱はなお続いている。

 スーダンは、1989年以来ほぼ30年、オマル・バシール大統領による独裁が続いていた。4年前の2019年4月、民衆の不満、デモ、軍の不信任などによって、この政権が倒れ、そのあとには民主派と軍との協力・妥協による暫定政権が成立した。しかし状況は不安定で、2021年10月に騒擾が発生し、いったん2022年12月に収束したものの、再び今回の騒擾になったのである。

 日本に馴染みの少ないスーダンの事件についてどう考えるべきか。個人的な経験をまじえてスケッチしてみたい。実は以前にもフォーサイトにスーダンについて書いたことがあり(『世界地図を読み直す 協力と均衡の地政学』〈新潮選書〉所収)、若干重複するが、それを含めて、スーダンおよび南スーダンについて書きたいと思う。

 なお、2011年に南スーダンが分離して以後にスーダンという時は、北側のスーダンを指し、それ以前の時期についてスーダンという時は、南北をあわせたスーダンを指している。

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