スーダンで瓦解した「アラブの春」「対テロ戦争」「国連PKO」

執筆者:篠田英朗 2023年4月28日
タグ: 国連 紛争
エリア: アフリカ
対立を続けるスーダン国軍トップのブルハン将軍(右=ロシア大統領府HPより)と、ダガロRSF司令官(左=ロシア政府HPより)
軍閥同士の権力闘争が内戦化したスーダン。その背景には「アラブの春」の成功例とされたはずの民主化の蹉跌、対テロ戦争がもたらした周辺環境の激変、そして早すぎた国連PKOの撤収がある。かつて大きな役割を果たした市民社会は生存の確保に汲々とし、介入して抑止できる存在もない今、混乱はさらに続きかねない。

 スーダンで新たな内戦が勃発した。二人の軍閥によって率いられた組織間の権力闘争が、紛争の基本構図だと言ってよい。

 ただしその背景には、国際的な政治動向に影響されている面もある。

 スーダンはアフリカでも有数の大国であり、その動向の影響を過小評価することはできない。あまり語られていない面に焦点をあてながら、あらためてスーダン内戦の性格を、大局的な視野から捉え直してみたい。

遅れて訪れた「アラブの春」の終焉

 まず指摘しておかなければならないのは、過去数年のスーダンの目まぐるしい政治情勢は、「アラブの春」の観点から観察されてきた、ということである。ハルツームを首都とするスーダンの主要部は、歴史的には、大英帝国に統治される前は、エジプトに統治されていた。スーダンはアフリカの国家であるが、アラブ世界に属する国でもある。ハルツームを中心とするスーダン主要部に居住する人々は、黒人であると同時にアラビア語を話すアラブ人と考えられている。

 スーダンを長く統治していたオマル・バシール政権は、イスラム原理主義としての性格を持っていた。アフガニスタンに行く前のオサマ・ビン・ラディンを匿っていたことでも知られている。アラブ圏全域を席巻した、2010年以降の独裁政権に対する大衆の反政府運動のうねり「アラブの春」は、チュニジアから始まり、北アフリカ諸国を経由して、中東に飛び火していった。北アフリカのリビアやエジプトで独裁政権が倒されたときも、バシール政権はすぐには倒れなかった。しかしその政権基盤は必ずしも盤石ではなく、影響は受けざるを得なかった。……

この記事だけをYahoo!ニュースで読む>>
カテゴリ: 政治 軍事・防衛
フォーサイト最新記事のお知らせを受け取れます。
執筆者プロフィール
篠田英朗(しのだひであき) 東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授。1968年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大学大学院政治学研究科修士課程、ロンドン大学(LSE)国際関係学部博士課程修了。国際関係学博士(Ph.D.)。国際政治学、平和構築論が専門。学生時代より難民救援活動に従事し、クルド難民(イラン)、ソマリア難民(ジブチ)への緊急援助のための短期ボランティアとして派遣された経験を持つ。日本政府から派遣されて、国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)で投票所責任者として勤務。ロンドン大学およびキール大学非常勤講師、広島大学平和科学研究センター助手、助教授、准教授を経て、2013年から現職。2007年より外務省委託「平和構築人材育成事業」/「平和構築・開発におけるグローバル人材育成事業」を、実施団体責任者として指揮。著書に『平和構築と法の支配』(創文社、大佛次郎論壇賞受賞)、『「国家主権」という思想』(勁草書房、サントリー学芸賞受賞)、『集団的自衛権の思想史―憲法九条と日米安保』(風行社、読売・吉野作造賞受賞)、『平和構築入門』、『ほんとうの憲法』(いずれもちくま新書)、『憲法学の病』(新潮新書)など多数。
  • 24時間
  • 1週間
  • f
back to top