
スーダンで新たな内戦が勃発した。二人の軍閥によって率いられた組織間の権力闘争が、紛争の基本構図だと言ってよい。
ただしその背景には、国際的な政治動向に影響されている面もある。
スーダンはアフリカでも有数の大国であり、その動向の影響を過小評価することはできない。あまり語られていない面に焦点をあてながら、あらためてスーダン内戦の性格を、大局的な視野から捉え直してみたい。
遅れて訪れた「アラブの春」の終焉
まず指摘しておかなければならないのは、過去数年のスーダンの目まぐるしい政治情勢は、「アラブの春」の観点から観察されてきた、ということである。ハルツームを首都とするスーダンの主要部は、歴史的には、大英帝国に統治される前は、エジプトに統治されていた。スーダンはアフリカの国家であるが、アラブ世界に属する国でもある。ハルツームを中心とするスーダン主要部に居住する人々は、黒人であると同時にアラビア語を話すアラブ人と考えられている。
スーダンを長く統治していたオマル・バシール政権は、イスラム原理主義としての性格を持っていた。アフガニスタンに行く前のオサマ・ビン・ラディンを匿っていたことでも知られている。アラブ圏全域を席巻した、2010年以降の独裁政権に対する大衆の反政府運動のうねり「アラブの春」は、チュニジアから始まり、北アフリカ諸国を経由して、中東に飛び火していった。北アフリカのリビアやエジプトで独裁政権が倒されたときも、バシール政権はすぐには倒れなかった。しかしその政権基盤は必ずしも盤石ではなく、影響は受けざるを得なかった。……

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